新潟県長岡市で発見された火焔土器とは
こちらの動画は「nagaokacity」が制作した「長岡市「ナルホド!ながおか」-~火焔土器発見から80年~ 縄文文化を世界に発信!」です。
新潟県長岡市にて発見された縄文時代の火焔土器は、4つの鶏冠状把手と鋸歯状突起を持つ大胆な装飾デザインの深鉢形土器で燃えさかる焔のようなデザインから名付けられました。
JR長岡駅の新幹線コンコース内に火焔土器のレプリカモニュメントが設置され、昭和62年1月13日には火焔土器モニュメント除幕式が行われました。
その除幕式に出席した岡本太郎は、こんなに圧倒的な美観にぶつかったことはなかったと語ります。
その様子は動画の0:30頃よりご覧になることができます。
今から約80年前の昭和11年に長岡市関原町の馬高遺跡にて火焔土器は発掘されました。
考古学研究家である近藤篤三郎ら親子が発掘したもので、後に集落の解明と良好な遺物を検出したことから「馬高・三十稲場遺跡」として国指定史跡となりました。
それらの資料を保存・展示し活用する博物館施設として、長岡市に馬高縄文館が平成21年オープンしました。
こちらは火炎土器をテーマにした日本で唯一の博物館(ミュージアム)で、館内には1,000点に及ぶ資料が展示されています。
平成26年には天皇皇后両陛下も視察されました。
こちらは動画の2:46よりご覧になれます。
長岡市出土の火焔土器はどのように作られたのか
ではその火焔土器はどのように作られたのでしょうか。
火焔土器を含む火焔型土器と呼ばれる土器は発掘された土器におこげやすすが付いていたことから土鍋のように食べ物を煮炊きする調理をするための使用されていました。
「火焔土器」と「火焔型土器」の区分ですが、「火焔土器」は近藤篤三郎が発掘した最初の土器で、「火焔型土器」はそれ以降に発掘された同様の形の土器と区別されています。
こちらは動画の2:51より馬高縄文館の主査より説明されています。
火焔土器の作り方は、粘土の三角を重ねてギザギザを作った後、ひも状の粘土を貼り付けて焼くことで独特の文様を出す方法が一般的とされています。
火焔土器の作り方は動画の4:35より詳しく紹介されています。
似た形の土器として、王冠型土器があげられますが、口縁部と把手の形状がはっきりと分かれており、火焔土器とは歴史的にも対立したものであったと推測されています。
長岡市から世界への広がりを目指す火焔土器
2020年東京オリンピックの聖火台に火焔土器のデザインを採用してもらうため信濃川火焔街道連携協議会が4市1町の連携を図り推進活動をしてきました。
1964年の新潟国体では火焔土器式炬火台を使い、今でも新潟市陸上競技場に設置されています。
これらの活動は縄文文化発信サポーターズという組織によって広く活動しており、火焔土器の3Dデータを公開したり、長岡土器造り同好会などのワークショップにて、その魅力を発信しています。
また、イギリス・ロンドンの大英博物館では火焔土器や火焔土器と有名な花火をモチーフにしたマンホールが常設展示されており、大盛況となっています。
十日町市の火焔土器は国宝に
十日町市の笹山遺跡にて発掘された火焔土器は1999年に国宝に認定され、日本の重要な文化財、新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器として十日町市博物館に保存されています。
一方、長岡市の火焔土器は平成28年に4市1町で申請した『「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化』ストーリーが日本遺産として認定されました。
火焔土器紹介動画のまとめ
こちらの記事はいかがでしたか?
新潟の長岡市という地域で発見された情熱的なデザインである火焔土器。
岡本太郎をはじめ多くの人を魅了するその造形美と歴史の流れを感じることができるのがこちらの動画です。
是非長岡市へ足を運んでみていかがですか!
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