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与謝蕪村の新しい俳句が発見された動画について

「奈良テレビチャンネル」が制作した、「与謝蕪村の新発見の句」は、絵画、俳画、詩の作者である与謝蕪村の新しい俳句が発見されたことを紹介しているニュース動画です。

松尾芭蕉小林一茶と並び、江戸の三大俳人のひとりと呼ばれる与謝蕪村の俳句が天理大学付属天理図書館で発見されたことで注目されました。
与謝蕪村の研究に役立つ貴重な資料として保管されます。
この記事では、新しい俳句が発見された与謝蕪村について解説しています。

与謝蕪村の新発見の俳句

与謝蕪村の新発見の句の画像
画像引用 :YouTube screenshot

与謝蕪村の生誕300年の2015年に、新たに発見された212句が与謝蕪村の句に追加されました。
天理大学付属天理図書館が所蔵している「夜半亭蕪村句集」という書籍の中から新しい句が発見されたのです。
天理大学付属天理図書館で開かれた「新収蕪村句集 蕪村句会稿」記者会見には、さまざまなメディアが取材に訪れ、注目を浴びていることが映像からもわかります。
こちらの動画の0:14より見ることができます。

新たに発見された資料の中には、与謝蕪村が修正を加えた跡や点検の跡が残されており、とても貴重な資料です。
実際の句集や修正を加えた跡は動画の0:26よりご覧になれます。
この天理大学付属図書館では記念展「俳人蕪村-生誕300年を記念して-」も開催されました。

日本で有名な俳人である与謝蕪村とは?

与謝蕪村の画像
画像引用 :YouTube screenshot

与謝蕪村は江戸俳諧中興の祖といわれる江戸俳句の巨匠です。
代表作は「菜の花や月は東に日は西に」「春の海ひねもすのたりのたりかな」などがあり、さまざまな名句、名言を残しています。
俳号は「宰鳥」「夜半亭(二世)」で、画号は「春星」「謝寅」など複数あります。

1716年、摂津国東成郡毛馬村に与謝蕪村(本名=谷口)は生まれました。
20歳の頃、早野巴人に師事して俳諧を学びます。
その後、松尾芭蕉に憧れて東北地方を周遊したり、さまざまな修行を経て、40歳を超えてから花開きます。

俳人として有名な与謝蕪村ですが、画家としても活動していました。
松尾芭蕉の作品に絵画を合わせる俳画も描いています。
「奥の細道」「夜色楼台図」などの画巻が有名です。

俳句とは

俳句を考える老人の手元の画像
写真:俳句を考える老人の手元

俳句とは季節や自然をうたう短い詞で、五・七・五の十七文字で表現されます。
俳句は句の中に季語をひとつ入れるという決まりがあり、これを有季定型といいます。
和歌や連句(俳諧連歌)と同じように、季語を含めない作品もあり無季俳句といいます。
俳句は十七文字、十七音、十七語とも呼ばれます。

江戸時代に俳句は盛んとなりましたが、その後明治時代正岡子規によって、近代文芸の俳句として確立されました。

俳句に似た川柳は俳句と同じように五・七・五で表現されますが、季語がないのが特徴です。
自由度が高く、手軽に表現できるのが川柳のいいところ。

与謝蕪村の新しい俳句が発見された動画の記事のまとめ

与謝蕪村の新発見の句の画像
画像引用 :YouTube screenshot

「奈良テレビチャンネル」が制作する、「与謝蕪村の新発見の句」は、与謝蕪村の新たな俳句が発見されたことを紹介している動画です。

江戸時代の有名な俳人の新しい句の発見で、当時注目を浴びました。
歴史好きな人には必見の動画となっているので、気になる方は見てみましょう!

【公式ホームページ】天理大学附属天理図書館
https://www.tcl.gr.jp/index.htm

この記事を書いた人
最終更新日 : 2022年8月7日
日本
鈴木 正孝(Masataka Suzuki)
浅草住みの気ままライター。旅行と小説を読むことが趣味

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