北海道西興部村

2024年12月15日
[画像1]【雪を纏う宮の森】数日の間に、雪深さを増した宮の森。木育事業推進員のお手伝いをしながら、宮の森をちょこっと散策しました。雪にずぼずぼと、長靴を履いた足を埋めながら歩きます。ひとりだったら足元ばかり見て
[画像2]【雪を纏う宮の森】数日の間に、雪深さを増した宮の森。木育事業推進員のお手伝いをしながら、宮の森をちょこっと散策しました。雪にずぼずぼと、長靴を履いた足を埋めながら歩きます。ひとりだったら足元ばかり見て
[画像3]【雪を纏う宮の森】数日の間に、雪深さを増した宮の森。木育事業推進員のお手伝いをしながら、宮の森をちょこっと散策しました。雪にずぼずぼと、長靴を履いた足を埋めながら歩きます。ひとりだったら足元ばかり見て
[画像4]【雪を纏う宮の森】数日の間に、雪深さを増した宮の森。木育事業推進員のお手伝いをしながら、宮の森をちょこっと散策しました。雪にずぼずぼと、長靴を履いた足を埋めながら歩きます。ひとりだったら足元ばかり見て
[画像5]【雪を纏う宮の森】数日の間に、雪深さを増した宮の森。木育事業推進員のお手伝いをしながら、宮の森をちょこっと散策しました。雪にずぼずぼと、長靴を履いた足を埋めながら歩きます。ひとりだったら足元ばかり見て
[画像6]【雪を纏う宮の森】数日の間に、雪深さを増した宮の森。木育事業推進員のお手伝いをしながら、宮の森をちょこっと散策しました。雪にずぼずぼと、長靴を履いた足を埋めながら歩きます。ひとりだったら足元ばかり見て
[画像7]【雪を纏う宮の森】数日の間に、雪深さを増した宮の森。木育事業推進員のお手伝いをしながら、宮の森をちょこっと散策しました。雪にずぼずぼと、長靴を履いた足を埋めながら歩きます。ひとりだったら足元ばかり見て

【雪を纏う宮の森】
数日の間に、雪深さを増した宮の森。

木育事業推進員のお手伝いをしながら、宮の森をちょこっと散策しました。

雪にずぼずぼと、長靴を履いた足を埋めながら歩きます。

ひとりだったら足元ばかり見てしまいますが
声をかけられ顔を上げると、花や葉の芽を発見。

芽をつけて、じーっと長い冬が過ぎるのを待っているんだなぁ。

幹にぽっかり空いた穴。
だれかが住んでいるのか、住んでいたのかしら。

トドマツの木がひび割れているのは「凍裂」のためだと教えてもらいました。
木の中の水分が凍って膨張し、幹が割れてしまうのだそう。
幹に亀裂が入るときは森中に、澄んだ音が響き渡るんだとか。

シカの足跡の横を歩いてみたり
雪の上に落ちる実や花を拾ってみたり。

ちょっと高いところから見渡す雪化粧の町並みもお気に入りの景色でした。

#西興部村 #北海道 #冬 #雪 #雪化粧
#宮の森 #木育 #コブシ #ヤチダモ #トドマツ #シカ

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2024年12月26日
【お味噌づくり】 先日、お味噌づくりの場に立ち会いました。 自分たちが食べるためのお味噌を手づくりするひとたちがいて、そこへ地域の大人と保育所の子どもたちが集まった小ぢんまりとした会でした。 西おこっぺ村の保育所では畑で野菜作りをしていて 今年育てた作物のなかには大豆もありました。 「お味噌は大豆からできているんだね」 「ほかに大豆からできているものはなんだろう」 絵本を読みながら 自分たちの経験と結びあわせて、大豆やお味噌のことを考えます。 はじめの作業は あらかじめ煮てくれていた大豆をつぶすこと。 ミンサーに大豆を入れて ハンドルをぐりぐり回すと、お豆がペーストになります。 ミンサーの土台をおさえる方も ハンドルを回す方も、とても力の要る作業。 ちいさなつくり手たちは、せっせと、力強く豆をつぶしていきます。 塩と糀をまぜ、大豆をまぜ つくったみそだまをタルに投げこんで。 つやつやと きらめいていたお豆たちが 1時間半ほどをかけて、なめらかになっていきました。 お味噌は作ってから食べられるまで 半年以上はかかるのだと。 大豆のやさしい まろやかな香りが漂うなか 来年までお預けか… と思いきや。 なかまのひとりが昨年に仕込んだお味噌を持ってきてくれたので、みんなでお味噌汁をいただきました。 わたしにとって、買うのが当たり前になっていたお味噌。 自分で "つくる" という選択肢があるんだなぁと、気づかされます。 今年仕込んだお味噌には 来年までぐっすりと眠ってもらいましょう。 #西興部村 #北海道 #味噌づくり #味噌 #てづくり #保育所 #大豆 #畑 #木育 #お味噌汁
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2024年12月3日
【蘇る太鼓の音】 12月1日(日) 興部町民チャリティー演芸会にて、西興部村から ウエンシリ太鼓の演奏をさせていただきました。 6分ほどの短い曲を1曲披露。 冬から春へと、ウエンシリ岳が雪解けから目覚める情景を表現したものでした。 たくさんの温かい拍手や応援の言葉をいただけたこと大変うれしく思います。 せっかくなので 西興部村の和太鼓が復活した経緯をちょこっとお話しします。 西興部村で和太鼓演奏が始まったのは1980年代。 その頃の叩き手は地元青年団。 青年たちによる力強い音色で、お祭りなどを盛り上げていました。 そのときから演奏されていた曲が「ウエンシリ太鼓」です。 当時、小学校のある先生が作曲したその曲は2000年頃まで叩き継がれていました。 その後、青年団の解散などから 叩き手がいなくなった太鼓たちは、長い間、奏でられることなく眠っていました。 途中、有志の和太鼓サークルが活動している時期もありましたが、コロナ渦で講師をお招きするのが難しくなってしまい、太鼓の音はすっかり止んでしまいます。 動きがあったのは今年の8月。 「演芸会が復活するにあたって太鼓も復活させよう」と、 かつての叩き手や音楽分析に優れた村民らが力を合わせウエンシリ太鼓を習得。 素人の集まりではあったものの、熱意溢れる7人によって ウエンシリ太鼓が再び、その音を轟かせました。 その後、演芸会で演奏を聴いた数人の村民が新たにメンバーに加わり、現在も活動を続けています。 ご縁があり、興部町民チャリティー演芸会での演奏機会もいただくことができました。 結成から間もない団体ですが、こうして村内外からお声がけいただけて、練習にも力が入ります。 すこし長くなりました。 途絶えていたものがまた始まり、続けていくことは、とてもエネルギーが必要なことだと思います。 メンバーが楽しみながら活動を続け、それが聴いている方たちにも伝わればうれしい限りです。 #西興部村 #北海道 #太鼓#ウエンシリ太鼓 #興部町 #町民チャリティー演芸会 #12月1日#青年団 #和太鼓 #わたしは撮影隊