[画像1]前回の投稿で、愛媛県伊予市には「源平合戦」にまつわる史跡や伝承が多く残っていることをお伝えしました。今回はその第2弾、「五色姫伝説」についてご紹介します。JR伊予市駅から海に向かって歩くこと徒歩15分
[画像2]前回の投稿で、愛媛県伊予市には「源平合戦」にまつわる史跡や伝承が多く残っていることをお伝えしました。今回はその第2弾、「五色姫伝説」についてご紹介します。JR伊予市駅から海に向かって歩くこと徒歩15分
[画像3]前回の投稿で、愛媛県伊予市には「源平合戦」にまつわる史跡や伝承が多く残っていることをお伝えしました。今回はその第2弾、「五色姫伝説」についてご紹介します。JR伊予市駅から海に向かって歩くこと徒歩15分
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[画像7]前回の投稿で、愛媛県伊予市には「源平合戦」にまつわる史跡や伝承が多く残っていることをお伝えしました。今回はその第2弾、「五色姫伝説」についてご紹介します。JR伊予市駅から海に向かって歩くこと徒歩15分

前回の投稿で、愛媛県伊予市には「源平合戦」にまつわる史跡や伝承が多く残っていることをお伝えしました。
今回はその第2弾、「五色姫伝説」についてご紹介します。

JR伊予市駅から海に向かって歩くこと徒歩15分、ヤシの木が立ち並ぶ南国ムード満点の「五色姫海浜公園」があります。
夏になると海水浴客でにぎわい、ビーチバレー高校生女子の全国大会が毎年行われます。また、秋になると公園内では「観月いもたき」も楽しめます。

そんな海浜公園周辺は昔から「五色浜」と呼ばれています。この名前には悲しい伝説が残されています。

源平の戦で敗れ伊予市の浜辺に隠れ住んでいた平家の5人の姫たち。ある日姉姫が赤いカニを見て平家の赤い旗色を思い出し、源氏への恨みを募らせてしまいます。

姉姫は源氏の旗色である白いカニを、宿敵に見立て敵討ちをしたいから探してくるようにと妹たちに命じますが、幾日探しても白いカニは見つかりません。疲れ果てた妹たちは、カニに白粉を塗って姉姫に渡すものの、すぐに嘘だと見抜かれ、激怒した姉姫に末の妹が切られてしまいます。

悲嘆にくれた妹たちは海に身を投げ、残された姉姫も末の妹の亡きがらを抱いてほどなく海に身を投じます。こうして亡くなった5人の姫が、赤・白・緑・黄・黒の5色の石になり浜辺に打ち寄せたことから、この浜辺を「五色浜」と呼ぶようになりました。

「五色姫海浜公園」として平成8年(1996年)に整備された際、伝説にちなんで5色の石が設置された「かに広場」が設けられています。

また、姫たちを哀れみ生き返ることを願う土地の人々の涙が、5色の石の上に落ちると、海の彼方から姫たちが蘇ったという後日譚にちなみ、毎年3月の第4日曜日には女性の祭典「五色姫復活祭」が開催されます。

「五色のねがい石」という、「ますます、いよし。ブランド」に認定された名菓もあります。伝説にある五色の石を、小豆、青えんどう豆、白いんげん豆、スイートコーン、栗で表現。それらを、じっくりと煮込んで蜜漬けされた国産小豆で包んでいます。お土産にいかがでしょう。

去る6月29日が海開きだった、五色姫海浜公園。いよいよ夏到来です。
美しい白砂と穏やかな波が打ち寄せる浜辺で、思いっきり海水浴を楽しみましょう!

*五色姫海浜公園*
住所:伊予市尾崎
お問い合わせ先:伊予市役所 089-982-1111(代表)

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2025年6月25日
愛媛県伊予市には、なぜか「源平合戦」の時代にまつわる史跡や伝説が多く残っています。 そんな中から、今日は「山吹神社」をご紹介します。 山吹神社は、愛媛県伊予市中山町の山あいにある、小さな神社。 源平合戦のさなか倶利伽羅峠の戦いで活躍した武将・木曽義仲を巴御前とともに支えた山吹御前を弔うために建てた神社だと言われています。 源平合戦で武勲を上げた木曽義仲ですが、謀反を問われ源頼朝に討たれます。 このとき、山吹御前は病のため京の都に残されていました。 木曽義仲の死を知った山吹御前は、木曽義仲が伊予守であった縁を頼りに、愛媛県伊予市へと落ち延びます。 伊予市双海町上灘に上陸した山吹御前は、病のため自力で歩くこともままならず、家臣たちが笹に乗せて引っ張り、山を越えようとしました。 伊予市双海町翠地区の坂道には「曳き坂」、山頂には楯で身を隠し一夜を明かしたため「築楯」、御前が亡くなり死装束に改めたとされる場所には「衣装替え地」と、それぞれ地名が残っています。 純朴で心優しい地元の人たちはその亡骸を弔うため、墓となる五輪塔を建てました。 さらに明治25年(1892年)、伝承が途絶え五輪塔が粗末に扱われないようにと地元の有志が、愛媛や高知で社寺などなるの建立に腕を振るっていた長州大工に依頼し、山吹神社を建立しました。 車で走っていると見落としてしまいそうな、小さな神社。 神社も五輪塔も苔むし、ひっそりと静かに佇んでいます。 山吹御前の出自は不明ですが、大洲市肱川地方の豪族の姫であったとする説があるそうです。 出生時、庭にたくさんの山吹が咲いていたため山吹の姫、山吹御前と呼ばれたとか。 また、木曽義仲の便女(召使い、美女の意味)とされていますが、妻であったとする説もあります。 美しく強い女武者の、乱世に翻弄された生涯は今もなお日本各地で語り継がれています。 *山吹神社* 住所:愛媛県伊予市中山町佐礼谷 営業時間:自由参拝 駐車場:なし ※路肩に駐車する場合は通行車両にご注意ください