[画像1]~本日は晴天☼なり~こんにちは! 杵築市観光協会です。 前回は杵築城、その周辺を散策した様子を投稿しました。 今日は少しだけ城下町エリアへ。写真は杵築市を代表する風景「酢屋の坂」からの眺め~北台武家屋
[画像2]~本日は晴天☼なり~こんにちは! 杵築市観光協会です。 前回は杵築城、その周辺を散策した様子を投稿しました。 今日は少しだけ城下町エリアへ。写真は杵築市を代表する風景「酢屋の坂」からの眺め~北台武家屋
[画像3]~本日は晴天☼なり~こんにちは! 杵築市観光協会です。 前回は杵築城、その周辺を散策した様子を投稿しました。 今日は少しだけ城下町エリアへ。写真は杵築市を代表する風景「酢屋の坂」からの眺め~北台武家屋
[画像4]~本日は晴天☼なり~こんにちは! 杵築市観光協会です。 前回は杵築城、その周辺を散策した様子を投稿しました。 今日は少しだけ城下町エリアへ。写真は杵築市を代表する風景「酢屋の坂」からの眺め~北台武家屋
[画像5]~本日は晴天☼なり~こんにちは! 杵築市観光協会です。 前回は杵築城、その周辺を散策した様子を投稿しました。 今日は少しだけ城下町エリアへ。写真は杵築市を代表する風景「酢屋の坂」からの眺め~北台武家屋
[画像6]~本日は晴天☼なり~こんにちは! 杵築市観光協会です。 前回は杵築城、その周辺を散策した様子を投稿しました。 今日は少しだけ城下町エリアへ。写真は杵築市を代表する風景「酢屋の坂」からの眺め~北台武家屋
[画像7]~本日は晴天☼なり~こんにちは! 杵築市観光協会です。 前回は杵築城、その周辺を散策した様子を投稿しました。 今日は少しだけ城下町エリアへ。写真は杵築市を代表する風景「酢屋の坂」からの眺め~北台武家屋

~本日は晴天☼なり~
こんにちは!杵築市観光協会です。前回は杵築城、その周辺を散策した様子を投稿しました。今日は少しだけ城下町エリアへ。
写真は杵築市を代表する風景「酢屋の坂」からの眺め~北台武家屋敷通り~大原邸の屋敷内、お庭の様子です。

【酢屋の坂】まちの多くを物語る坂
北台の武家屋敷と商人の町をつなぐ、土塀と石垣が印象的な酢屋の坂は、石畳が非常に美しい坂道。
志保屋の坂とはたびたびセットで紹介されるがそれもそのはず。杵築を代表するこの二つの坂は相対していて、志保屋の坂を下りきれば、酢屋の坂にさしかかる。
坂の名前の由来は、谷町の商人と深い関わりがある。
酒屋を営む塩屋長右衛門は、谷町から南台への坂の下で営んでいた塩屋(酒屋)をずいぶんと繁盛させた豪商で、その後は谷町から北台への坂の下で今度は酢屋の商売を始めた。
坂はそれぞれの商いから、「塩屋(志保屋 )の坂」「酢屋の坂」と呼ばれるようになった。
このエピソードからもわかるように、坂はこの町と深くつながり、暮らしや人々を繋いできたばかりか、江戸の時代と今をこうしてつないでいる。
こうした坂の存在が、杵築の貴重な個性となって輝いているのは言うまでもない。

【大原邸】
上級武士の暮らしを垣間見る美しき家老宅
上級武士たちの屋敷跡が並ぶ北台武家屋敷通り。中でも酢屋の坂隣りにある大原邸は、家老などの要職を務めた上級武士の屋敷として、その暮らし向きや風情が今でも漂う貴重な建築遺産である。

見事な茅葺屋根、広い庭には美しい回遊式庭園が見られる。その他にも、間口の広い玄関、次の間の存在、弓天井、そして厠(かわや)。華やかであるどころかむしろ、質素で堅実、それでいて格式の高さが随所に見えるなど、ここが身分の高い上級武士宅であったことの証が建物の隅々に残されている。

そしてこの建物は、江戸時代の文化や武家社会の教養、人への気遣いといったものを感じたり、読み解くことができる空間でもある。さらには、物を大切にしたり、節約するといった数々の知恵が洗い場やかまどに見られるなど、今でも興味深い工夫が残っている。

☆最後の写真はサービスショットです。
「土塀のヒミツ」よ~く見てみると壊れた一部分から構造がわかりますよね。
散策途中には、あれ?ン⁇などといった面白い場面に遭遇することも。今後、このような投稿もさせていただきますので、ぜひご覧ください。

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2025年5月28日
杵築城 城下町杵築にそびえるランドマーク 1394年の築城以来、600年もの間この町を見守ってきた杵築城。 模擬天守とはいえ、城跡にそびえる三層の天守は在りし日のこの城の姿を偲ばせる。 室町時代初期、木付氏によって八坂川の河口にある台山の上に築かれたこの城は、北は高山川、東は守江湾といった天然の要害に囲まれた城であった。 その後の天災、震災などで城も場所や形を変えながら、城主もまた前田、杉原、細川氏と入れ替わり、小笠原氏、そして松平氏を最後に江戸の時代も終わりを告げ、杵築城は新たな城主を迎えることなく今に続く。 文献史料と発掘調査成果から「一国一城令」による破却以前の城の建物構成や構造が分かるなど、江戸時代初期の城郭の実態を知る上でも重要であるとされ、2020年3月に台山地区の城跡と麓の藩主御殿跡が国の史跡に指定された。 現存するのは一部石垣など。 現在では、山上が城山公園として一般にも開放されていて、市内のあちこちで発見された国東塔など貴重な石造物を野外展示している石造物公園もある。 築城当時“木付”と命名されながら、幕府朱印状に誤って“杵築”と記されて以来「杵築」に。 また島津の猛攻撃に2か月も耐えたことから別名「勝山城」とも呼ばれている。 城内は藩主ゆかりの品をはじめとする、貴重な品々が展示されており、甲冑や武器、仏像などを展示。 足軽に扮して記念撮影なども楽しめる。 城下町散策の最終目的地として多くの観光客が訪れ、天守から望む絶景と風の心地よさは旅の思い出になるでしょう。