ゆづきみお

2023年1月2日(編集済み)
[画像1]伏見稲荷大社の千本鳥居を抜けると奥社伏見稲荷大社奥社奉拝所があります。そこから、稲荷山に進みはじめて根上がりの松を過ぎ、しばらく進むと、稲荷山の中腹手前あたりに熊鷹社があります。稲荷山は、今まで行った
[画像2]伏見稲荷大社の千本鳥居を抜けると奥社伏見稲荷大社奥社奉拝所があります。そこから、稲荷山に進みはじめて根上がりの松を過ぎ、しばらく進むと、稲荷山の中腹手前あたりに熊鷹社があります。稲荷山は、今まで行った
[画像3]伏見稲荷大社の千本鳥居を抜けると奥社伏見稲荷大社奥社奉拝所があります。そこから、稲荷山に進みはじめて根上がりの松を過ぎ、しばらく進むと、稲荷山の中腹手前あたりに熊鷹社があります。稲荷山は、今まで行った
[画像4]伏見稲荷大社の千本鳥居を抜けると奥社伏見稲荷大社奥社奉拝所があります。そこから、稲荷山に進みはじめて根上がりの松を過ぎ、しばらく進むと、稲荷山の中腹手前あたりに熊鷹社があります。稲荷山は、今まで行った
[画像5]伏見稲荷大社の千本鳥居を抜けると奥社伏見稲荷大社奥社奉拝所があります。そこから、稲荷山に進みはじめて根上がりの松を過ぎ、しばらく進むと、稲荷山の中腹手前あたりに熊鷹社があります。稲荷山は、今まで行った
[画像6]伏見稲荷大社の千本鳥居を抜けると奥社伏見稲荷大社奥社奉拝所があります。そこから、稲荷山に進みはじめて根上がりの松を過ぎ、しばらく進むと、稲荷山の中腹手前あたりに熊鷹社があります。稲荷山は、今まで行った

伏見稲荷大社の千本鳥居を抜けると奥社伏見稲荷大社奥社奉拝所があります。
そこから、稲荷山に進みはじめて根上がりの松を過ぎ、しばらく進むと、稲荷山の中腹手前あたりに熊鷹社があります。

稲荷山は、今まで行ったパワースポットの中で最もパワフルて(いい意味でも悪い意味でも)奥が深く、異界を彷徨った気持ちになりました。

なのでここで引き返すのは勿体無いのですが、一応登山てすから。
ここで引き返しても、十分満足できる場所の一つではありました。

こんな山の上にあることに驚いた新池が、とても大きくて、木々を映してとても綺麗。

ここは谺ケ池(こだまがいけ)とも呼ばれています。
その昔、行方知れずになった人の居場所を探す時、池に向かって手を打ち、こだまが返ってきた方向に手がかりがつかめると云う言い伝えがあったそうです。

最近は探し物なら何でもOKになっており、ネットで、願いが叶うための必要な人はどこにいるのかわかると見かけました。

そして熊鷹社!
すぐ向かい側の竹屋でロウソクを買い熊鷹社にと備えしてお願い事をします。

新池の前で拍手2回すると、右側の奥から音が。
友人はなんと、左側から音がしたので、やはり違うのだと驚きました。
ちなみに音がした方角に進むと願いが叶うとか。

よくわからないけれど、普通に道なりに進んでしまいました。

熊鷹大神は勝負の神様と言われており、勝負に勝てるご利益があるそうなで、大切な勝負がある時はここまで来てみてはいかがでしょうか。

私もいつかそんな機会にまたここに来たいと思います?

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2023年1月3日
#木嶋坐天照御魂神社 (このしまにますあまてるみたまじんじゃ)と読みます。 境内に蚕をまつる「養蚕神社(こかいじんじゃ)」があるため、 #蚕ノ社 (かいこのやしろ)とも呼ばれます。 映画村がある #太秦 (うずまさ)は、渡来人 #秦氏 の勢力が盛大だった地域とされます。 秦氏の首長の住まいがあった拠点だったため、リーダーを意味する太いと、秦氏の自我残り、太秦と書いて太秦と、ウルトラC的な読み方になりました。 秦氏が日本にもたらしたものの一つ養蚕。 なので蚕を祀った神社があるのです。 もともと #木島神社 (このしまじんじゃ)」と言いました。 『続日本紀』では「木嶋神」と表記されています。 「(伏見)稲荷も(石清水)八幡も木島も、人の参らぬ時ぞなき」とあり、ひっきりなしに人が訪れていたと記録に残っています。 またここには、清水が湧き出る(元)糺の池がありました。 現在は、下鴨神社の糺の森に移ったとされます。 特筆すべきは、三つの鳥居を重ねた #三柱鳥居 社務所にある由緒書きに、 「ここは景教(ネトリウス派キリスト教)が渡来し、秦氏と関連があったことの名残をとどめる遺跡として伝えられる」 とあります。 この時代に日本に新しく仏教とキリスト教が入ってきて、どちらを中央が採用するかという争いがあった説があります。 秦氏はキリスト教を推進していたようです。 秦氏の首長、秦河勝が支えていた聖徳太子は厩戸(馬小屋)で生まれたと、まるでキリストのようなエピソードがありますし。 謎が多いだけに、妄想をかけ立てられる奥深い神社なのです。