[画像1]◆御手形諏訪神社・御手形石の由緒◆諏訪神社に祀られている大石の上に、大きな手の跡が付いているのが御手形石の起こりである。大昔、八百万の神が集まる高天が原(たかまがはら)から、使者が出雲に来て大国主命(
[画像2]◆御手形諏訪神社・御手形石の由緒◆諏訪神社に祀られている大石の上に、大きな手の跡が付いているのが御手形石の起こりである。大昔、八百万の神が集まる高天が原(たかまがはら)から、使者が出雲に来て大国主命(
[画像3]◆御手形諏訪神社・御手形石の由緒◆諏訪神社に祀られている大石の上に、大きな手の跡が付いているのが御手形石の起こりである。大昔、八百万の神が集まる高天が原(たかまがはら)から、使者が出雲に来て大国主命(
[画像4]◆御手形諏訪神社・御手形石の由緒◆諏訪神社に祀られている大石の上に、大きな手の跡が付いているのが御手形石の起こりである。大昔、八百万の神が集まる高天が原(たかまがはら)から、使者が出雲に来て大国主命(

◆御手形諏訪神社・御手形石の由緒◆
諏訪神社に祀られている大石の上に、大きな手の跡が付いているのが御手形石の起こりである。

大昔、八百万の神が集まる高天が原(たかまがはら)から、使者が出雲に来て大国主命(おおくにぬしのみこと)に帰順を勧めた。

大国主命は早速承知し降参したが、若い息子の建御名方命(たてみなかたのみこと)は承知せず談判決裂、ついに高天が原の武甕槌命(たけみかづち)との戦いになる。

建御名方命は敗れて逃げるが、武甕槌命はどこまでも追いかけ、とうとう佐原の地で追いついた。

建御名方命は降参し傍らの石に手形をつけて帰順の誓いをし、二神の間に和睦が成立した。

この地を「追いの窪」という。 武甕槌命が建御名方命を追って来たから出来た石だという。