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動画記事 2:31
100年前の日本では、庶民はどのように暮らしていた?第一次世界大戦中でもある大正時代の庶民の暮らしぶりを知ることができる、歴史的に貴重な写真の数々を紹介!
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大正時代の庶民の暮らしを写真でご紹介! こちらの動画『1914~1918(大正3年~大正7年)庶民の暮らしと「赤とんぼ」』には、大正時代の日本の人々の暮らしの様子が映されています。 写真を撮影したのは、アメリカ人営業マンのエルストナー・ヒルトンさん。 動画に使われているBGMは、日本の有名な童謡、作詞・三木露風、作曲・山田耕筰の「赤とんぼ」です。 戦争前や第一次世界大戦中には写真技術があまり発達していなかったため、この動画にまとめられた写真の数々はとても貴重です。 約2分半の映像で、現在へと受け継がれている日本の庶民の生活をご堪能ください。 写真で紹介されている、日本の大正時代とはどのような時代? 画像引用 :YouTube screenshot 大正時代とは現在から約100年前、大正天皇の在位期間である1912年7月30日から1926年12月25日までの期間のこと。 この時期の日本では明治維新後に民主主義の発展を目指す「大正デモクラシー」が起こりました。 また、第一次世界大戦が起こったのも大正時代です。 大正時代はたった15年の短い時代ですが、日本近代史を語る上で欠かせない期間でもあります。 大正時代の庶民の服装や食文化、生活の様子とは? 画像引用 :YouTube screenshot 大正時代には洋服のファッションも登場しますが、庶民の多くはまだ着物を身につけて暮らしていました。 動画の1:16には川で着物を洗濯する女性の姿も映されています。 写真を見ても分かるように、男性は短髪、女性は1つにまとめた髪型にするのが一般的でした。 動画の0:28には、道端で占いをする易者の姿もあります。 0:35には伝統工芸品の籠を編む男性の様子が、0:44には日本伝統のダルマ作りも撮影されています。 その他にも動画では、当時の日本の生活の様子がわかる写真が次々と紹介されています。 動画の1:08に映っているのは、庶民の暮らしや食事作りに欠かせなかった囲炉裏(いろり)です。 冬にはこれで暖を取っていました。 また、1:56に紹介されているのは、猿回しと呼ばれる芸能文化です。 テレビやインターネットなどが無い当時の庶民の娯楽でした。 大正時代の庶民の暮らしを撮影した動画まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 今回は、大正時代の暮らしを撮影した写真を動画にまとめたものをご紹介しました。 貴重な写真の数々からは、当時の庶民がどのように生活していたのかをうかがい知ることができます。 紹介されている写真には、笑顔の人々がたくさん写っています。 大正時代には戦争が起こり、庶民は貧しい暮らしを余儀なくされましたが、人々の心は豊かだったのかもしれませんね。 -
動画記事 3:37
日本一の城と称された江戸城の歴史を学ぶ!多くの古写真が物語る歴史的建造物は今もなお世界中の人に愛される名所として東京の中心に佇む!
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江戸城を古写真で案内する動画の紹介 こちらは「LIT esperan」が制作した『Edo Castle / Tokyo Imperial Palace in 1871 江戸城』で、江戸城をたっぷりの古写真で振り返る動画です。 江戸城は規模の大きさ、天守の高さ、御殿の大きさから「日本一」の城と言われています。 この記事では歴史や江戸城跡の観光スポットを動画に沿ってご紹介いたします。 江戸城は明治時代まで残されていたため、写真が多く残っている特徴があります。 まずは、動画でかつての江戸城の勇姿をご覧ください。 江戸城とは?その歴史は? 画像引用 :YouTube screenshot 江戸城は、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が1457年に築いた平山城です。 その後、豊臣秀吉が開城し、江戸時代に徳川家康が増築・改築を行いました。 その結果、日本最大の面積の巨大城郭になります。 徳川幕府の政庁として使用された後、明治元年に明治新政府に明け渡され、明治2年に皇城となります。 こちらは「江戸城明け渡し」「江戸城無血開城」と言われます。 1888年には宮城となり、1948年に皇居と改称されました。 現在も江戸城跡の一部が天皇陛下のお住まい「皇居」として使用されています。 動画で紹介される江戸城に関連する場所はどこ? 写真:皇居・富士見櫓 動画のスタートは、高層ビルが建ち並ぶ東京にぽっかりと緑の空間が現れます。 ここが江戸城の内郭という城の中心部で、外側には外郭がありました。 動画の0:38から、浅草本願寺、浅草寺、桜田門、虎ノ門、富士見櫓、水道橋、新大橋と隅田川、日比谷門、浅草橋門、本丸大手門、坂下門、西ノ丸二重橋など現在もよく知られている人気スポットが古写真で紹介されます。 動画の途中には2:05から最後の徳川将軍の徳川慶喜公、1:33からは江戸城周辺の古地図や天守閣の図面も映されます。 江戸城の見学について 写真:皇居周辺 江戸城は東京都千代田区にあり、交通アクセスは、JR「東京」駅、東京メトロ・都営地下鉄「大手町」駅から徒歩約5分です。 江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部は、皇居東御苑として一般に開放されています。 北の丸は、北の丸公園になっていて、周辺は観光客やランニング(皇居ラン)する人が多く訪れます。 天守閣は3回建造されましたが焼失し、再建・再現が計画され天守台が積み直されたところで止まってしまいました。 残された江戸城天守台は現在も見学することができます。 皇居に訪れた際には城門の近くの大番所や、立派な石垣、広場にあった本丸御殿の「忠臣蔵」でおなじみの松之廊下跡や大奥、和田蔵門跡、和田蔵門跡、石室、松之廊下跡、中雀門跡を見学するのがおすすめです。 皇居見学ツアーもあるのでこちらに参加されるのも良いでしょう。 江戸城の紹介まとめ 写真:江戸城の天守台 こちらの『Edo Castle / Tokyo Imperial Palace in 1871 江戸城』は、明治時代初めごろの江戸城の多くの写真を紹介しています。 皇居部分については、宮内庁に参観申し込みをすることで見学することができます。 詳細については、宮内庁のホームページでご確認ください。 江戸城は、その大きさや築城期間の長さ、天守閣の高さなどの点で、日本一を誇ります。 江戸城の歴史や観光スポットについてご紹介したこちらの記事を読んで、江戸城に興味を持っていただけたら嬉しいです。 【トリップアドバイザー】皇居東御苑(旧江戸城本丸跡) https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1066443-d320625-Reviews-The_East_Gardens_of_the_Imperial_Palace_Edo_Castle_Ruin-Chiyoda_Tokyo_Tokyo_Prefe.html -
動画記事 1:45
鉄砲伝来の地、鹿児島県種子島はどんな観光名所?種子島銃に関するスポットを巡る歴史観光を楽しんでみよう!
歴史- 99 回再生
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鹿児島県種子島の「鉄砲期」に関する動画をご紹介! こちらの動画は、読売新聞オンラインが制作した【史書を訪ねて「鉄砲記」 鹿児島・種子島】です。 こちらの動画で紹介されている鹿児島県種子島は、日本に初めて鉄砲が伝来した地として知られます。 動画冒頭には美しい種子島門倉岬のドローン空撮映像が収録されています。 豊かな自然風景と鉄砲伝来の歴史をご堪能ください。 鹿児島の種子島に鉄砲が伝来したのはいつ? 写真:火縄銃を持った鎧武者 鹿児島県種子島は鉄砲伝来地として知られるスポット。 1543年(天文12年)に種子島に漂着したポルトガル人によって、鉄砲とともに製造技術や射撃法などが伝えられました。 動画の0:27からは、鹿児島県種子島にある鉄砲伝来の記念碑や鉄砲像が紹介されています。 種子島に伝わった鉄砲はマッチロック式と呼ばれる大筒の銃器で、種子島銃とも呼ばれます。 鉄砲伝来と同時期の1549年(天文18年)には、ヨーロッパ人宣教師によって日本にキリスト教も伝えられました。 鹿児島県種子島の鉄砲に関するスポットとは? 画像引用 :YouTube screenshot 動画の0:41で紹介されている種子島総合開発センター鉄砲館の近隣には、初めて鉄砲を発砲したという種子島時尭の銅像もありますよ。 種子島時尭は火縄銃の国産化を果たしたことでも知られます。 動画の1:17から映されている八板金兵衛清定は、鉄砲を複製し、また鉄砲の発砲に必要なネジを開発したと伝わる人物です。 これによって鉄砲の量産が可能となり、戦国時代には多くの武将が安価な値段で鉄砲を手に入れられるようになりました。 鹿児島県の種子島を訪れてみよう! 写真:鹿児島県・種子島の洞窟 種子島には動画に紹介されている鉄砲伝来に関するスポットのほかにも、種子島宇宙センター宇宙科学技術館や赤尾木城文化伝承館月窓亭をはじめとした多くの観光スポットがあります。 喜志鹿崎や浦田海水浴場、馬立の岩屋や千座の岩屋、アコウの木のアーチといった自然豊かなスポットもぜひ訪れてみましょう。 種子島では毎年鉄砲祭りが開催され、多くの観光客で賑わいますよ。 鹿児島県種子島の鉄砲伝来に関する動画まとめ 写真:鹿児島県・種子島 鹿児島県の種子島は、動画を見ても分かるようにとても自然豊かで魅力的なスポットです。 ぜひ種子島で鉄砲伝来に関する観光スポットをめぐって、その深い歴史を感じてみましょう。 鉄砲やキリスト教伝来についてさらに詳しく知りたい方は、長崎県五島列島に訪れるのもおすすめです。 【公式ホームページ】学びを遊ぶ、南の島「種子島」 | 種子島観光協会 http://tanekan.jp/ -
動画記事 1:50
江戸時代中期に活躍した与謝蕪村の新しい俳句が200以上見つかる!歴史に名を残した俳諧師の与謝野蕪村とは?そして俳句っていったい何?
歴史 ニュース- 74 回再生
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与謝蕪村の新しい俳句が発見された動画について 「奈良テレビチャンネル」が制作した、「与謝蕪村の新発見の句」は、絵画、俳画、詩の作者である与謝蕪村の新しい俳句が発見されたことを紹介しているニュース動画です。 松尾芭蕉や小林一茶と並び、江戸の三大俳人のひとりと呼ばれる与謝蕪村の俳句が天理大学付属天理図書館で発見されたことで注目されました。 与謝蕪村の研究に役立つ貴重な資料として保管されます。 この記事では、新しい俳句が発見された与謝蕪村について解説しています。 与謝蕪村の新発見の俳句 画像引用 :YouTube screenshot 与謝蕪村の生誕300年の2015年に、新たに発見された212句が与謝蕪村の句に追加されました。 天理大学付属天理図書館が所蔵している「夜半亭蕪村句集」という書籍の中から新しい句が発見されたのです。 天理大学付属天理図書館で開かれた「新収蕪村句集 蕪村句会稿」記者会見には、さまざまなメディアが取材に訪れ、注目を浴びていることが映像からもわかります。 こちらの動画の0:14より見ることができます。 新たに発見された資料の中には、与謝蕪村が修正を加えた跡や点検の跡が残されており、とても貴重な資料です。 実際の句集や修正を加えた跡は動画の0:26よりご覧になれます。 この天理大学付属図書館では記念展「俳人蕪村-生誕300年を記念して-」も開催されました。 日本で有名な俳人である与謝蕪村とは? 画像引用 :YouTube screenshot 与謝蕪村は江戸俳諧中興の祖といわれる江戸俳句の巨匠です。 代表作は「菜の花や月は東に日は西に」「春の海ひねもすのたりのたりかな」などがあり、さまざまな名句、名言を残しています。 俳号は「宰鳥」「夜半亭(二世)」で、画号は「春星」「謝寅」など複数あります。 1716年、摂津国東成郡毛馬村に与謝蕪村(本名=谷口)は生まれました。 20歳の頃、早野巴人に師事して俳諧を学びます。 その後、松尾芭蕉に憧れて東北地方を周遊したり、さまざまな修行を経て、40歳を超えてから花開きます。 俳人として有名な与謝蕪村ですが、画家としても活動していました。 松尾芭蕉の作品に絵画を合わせる俳画も描いています。 「奥の細道」「夜色楼台図」などの画巻が有名です。 俳句とは 写真:俳句を考える老人の手元 俳句とは季節や自然をうたう短い詞で、五・七・五の十七文字で表現されます。 俳句は句の中に季語をひとつ入れるという決まりがあり、これを有季定型といいます。 和歌や連句(俳諧連歌)と同じように、季語を含めない作品もあり無季俳句といいます。 俳句は十七文字、十七音、十七語とも呼ばれます。 江戸時代に俳句は盛んとなりましたが、その後明治時代に正岡子規によって、近代文芸の俳句として確立されました。 俳句に似た川柳は俳句と同じように五・七・五で表現されますが、季語がないのが特徴です。 自由度が高く、手軽に表現できるのが川柳のいいところ。 与謝蕪村の新しい俳句が発見された動画の記事のまとめ 画像引用 :YouTube screenshot 「奈良テレビチャンネル」が制作する、「与謝蕪村の新発見の句」は、与謝蕪村の新たな俳句が発見されたことを紹介している動画です。 江戸時代の有名な俳人の新しい句の発見で、当時注目を浴びました。 歴史好きな人には必見の動画となっているので、気になる方は見てみましょう! 【公式ホームページ】天理大学附属天理図書館 https://www.tcl.gr.jp/index.htm -
動画記事 2:41
東京国立博物館の歴史ロマンを感じる埴輪や土器、銅鐸や土偶の数々を要チェック!なんと12万点が収蔵されている日本最大規模の東京都台東区の博物館で新たな発見!
歴史- 85 回再生
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東京国立博物館で展示される埴輪や土器を動画でご紹介! こちらは「brianman1955」が制作した動画「埴輪・土器・銅鐸・遮光器土偶 東京国立博物館」です。 東京国立博物館とは、東京都台東区の上野恩賜公園内にある日本最古の博物館で、かつては帝国博物館または帝室博物館とも呼ばれました。 本館や表慶館、東洋館や平成館、法隆寺宝物館、黒田記念館、旧因州池田屋敷表門(黒門)や庭園といった施設で構成されます。 東京国立博物館内では日本刀をはじめとした刀剣や甲冑、考古遺物といった国宝や重要文化財を含む美術品が展示公開されています。 その収蔵品の総数はなんと12万点近いのです。 2019年には正倉院展、高御座、ミイラなどの特別展も行われ見どころも満載です。 動画で紹介されている正装の女子とはどんな埴輪? 画像引用 :YouTube screenshot 動画の冒頭から紹介されているのは、群馬県伊勢崎市豊城町横塚出土・東京国立博物館所蔵の埴輪「正装の女子」です。 この埴輪は裳状のスカートや簡袖の上着を着ており、玉類を連ねた耳飾り、首飾り、腕飾りで飾られています。 髪は島田髷を結い額に堅櫛を挿しています。 装飾されたこの埴輪は古墳時代のものと考えられる貴重なものです。 動画で紹介されている片口付深鉢形土器とはどんな土器? 画像引用 :YouTube screenshot 動画の0:42から紹介されているのは、埼玉県ふじみ野市福岡の上福岡貝塚出土の片口付深鉢形土器です。 この土器は、1937年に山内清男氏によって発掘され、調査の結果縄文時代前期関山式土器と推定されています。 動画で紹介されている銅鐸とはどのようなアイテム? 画像引用 :YouTube screenshot 動画の1:06から紹介されているのは、和歌山県みなべ町西本庄出土の銅鐸で、弥生時代と推定されます。 この時期の銅鐸は大型化し、吊り下げて鳴らす鐘としての機能はありませんでした。 装飾性の高い銅鐸は祭器として使われていたと考えられます。 動画で紹介されている遮光器土偶とはどんな土偶? 画像引用 :YouTube screenshot 動画の1:50から紹介されているのは、宮城県大崎市田尻蕪栗字恵比寿田出土の遮光器土偶。 縄文時代晩期には東北地方で土偶が盛んに作られたといわれます。 東京国立博物館の埴輪や土器の動画まとめ 写真:東京国立博物館 ご紹介した東京国立博物館の動画はたった2分40秒ほどですが、紹介されている埴輪や土器からは歴史のロマンが伝わってきます。 動画にある埴輪や土器以外にも、東京国立博物館の常設展や特別展などでは貴重な資料、図録、研究誌が多く展示公開され、さまざまな調査研究も進められているので、ぜひ足を運んでみましょう。 ◆東京国立博物館 施設概要情報◆ 【住所】〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9 【交通アクセス】JR上野公園口・鶯谷駅南口より徒歩10分(展示を見る場合は正門より入場)。または台東区循環バス「東京国立博物館」下車。 【入館料金】一般1000円、大学生500円(※2020年4月時点) 【休館日】月曜日 【駐車場】無し 【電話番号】03-3822-1111 【公式ホームページ】東京国立博物館 https://www.tnm.jp/ 【トリップアドバイザー】東京国立博物館 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g14134278-d320638-Reviews-Tokyo_National_Museum-Uenokoen_Taito_Tokyo_Tokyo_Prefecture_Kanto.html -
動画記事 5:23
北海道函館市の五稜郭は星型に作られた珍しい城塞!北海道有数の人気観光スポットの五稜郭の歴史、見どころを余すことなく紹介!
歴史 観光・旅行- 198 回再生
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函館にある五稜郭の観光動画をご紹介! こちらは、北海道函館市にある歴史的建造物の五稜郭(ごりょうかく)を紹介した動画「函館 「五稜郭」 Goryokaku, Hakodate」です。 動画の冒頭からご覧になれるように、函館の五稜郭は美しい星型の構造をもつ城塞が特徴的。 動画の1:34から紹介されている五稜郭タワーの展望台に上れば、五稜郭公園をぐるりと囲むようなインスタ映えする星型の水堀を一望できますよ。 動画で紹介されている函館の五稜郭とはどんな観光スポット? 写真:五稜郭 五稜郭は、幕末に箱館奉行所を守るため、江戸幕府によって当時の蝦夷地に作られた城郭です。 稜堡式(りょうほうしき)とも呼ばれる星型の五稜郭を設計したのは、動画の1:54で紹介されている武田斐三郎。 五稜郭は築城中には亀田役所土塁または亀田御役所土塁、函館御役所とも呼ばれていました。 また、ネコヤナギが多く生えていたことから柳野城という異名もあります。 動画で紹介されている函館の五稜郭は重要な歴史の舞台となった! 写真:五稜郭の石垣 明治維新の頃に完成した五稜郭は、戊辰戦争の最後の戦いである箱館戦争(五稜郭の戦い)で旧幕府軍に占領され本拠となった歴史をもちます。 今も動画の1:22にあるような土塁や石垣、石碑が残ります。 五稜郭は明治期には陸軍の練兵場としても使われました。 幕末からたびたび歴史の舞台となってきた五稜郭。 1988年には「五稜郭」というテレビドラマも作られました。 国の特別史跡である五稜郭は、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産にも指定されています。 現在は国有財産として函館市が管理しています。 動画で紹介されている函館の五稜郭の見どころをチェック! 写真:五稜郭・冬のライトアップ 動画の1:47からご覧になれるのは、2010年に復元された奉行所です。 動画の2:33からは奉行所内の様子がご覧になれ、大広間や中庭を見学したり、歴史資料の展示を見たりすることができます。 五稜郭公園では期間限定のライトアップも開催されるので、イベントの時期を狙って訪れるのもおすすめです。 函館五稜郭の紹介動画まとめ ©Goryokaku-Tower 改変 動画で紹介されている五稜郭では、5月頃の桜の時期、10月頃の紅葉の時期、冬場の雪景色など四季折々の風景も堪能したいもの。 函館では五稜郭の他にも、函館山から夜景を見たり、名物の函館ラーメンを食べたりといった楽しみ方がありますよ。 ちなみに、長野県佐久市の龍岡城も五芒星型の設計になっているのでぜひこちらもチェックしてみてください。 ◆五稜郭・五稜郭公園 施設概要紹介◆ 【住所】北海道函館市五稜郭町44番 【交通アクセス】JR函館駅から車、タクシー、バスで15分 【駐車場】無し 【公式ホームページ】五稜郭公園 https://www.hakodate-jts-kosya.jp/park/goryokaku/ 【トリップアドバイザー】五稜郭公園 https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298151-d1439713-r68353674-Goryokaku_Park-Hakodate_Hokkaido.html -
動画記事 3:26
長野県の大平宿には古きよき日本の原風景が残る人気スポット!大平宿が作られた歴史や衰退した経緯、そして宿泊施設として保存される現在の姿を追う。
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長野県にある「大平宿」の観光動画をご紹介! まずはこちらの「ひろくん起稿」が制作した動画【江戸時代の町並みが残る長野県「大平宿」】をご覧ください。 まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようなこの動画。 こちらは長野県飯田市にある大平宿(おおだいらじゅく)と呼ばれる観光スポットです。 大平宿とは何?歴史は?この記事では人気観光スポットの大平宿のご紹介をいたします。 長野県の大平宿はなぜ作られた?その歴史とは 画像引用 :YouTube screenshot 長野県の大平宿は、中山道と三州街道(伊那街道)を結ぶ大平街道の中間地点にかつて存在していた宿場町です。 宝暦4年 (1754年)にお椀やお盆等の木工品を加工、製造する木地師の大蔵五平治と、穀商人山田屋新七が移り住んだことからこの地の歴史が始まります。 動画でご覧になれるように、この地域には現在でも江戸時代末期から明治時代にかけての古い建物が多く現存しています。 伊那谷と木曽谷の間には木曽山脈がそびえており、かつては権兵衛街道を経由して奈良井宿へ行く方法しかありませんでした。 大平街道は、江戸時代中期に伊那谷から中山道へ至る妻籠宿(つまごじゅく)を結ぶため、飯田藩の許可によって開墾が進められました。 長野県の大平宿が衰退した理由とは? 画像引用 :YouTube screenshot 長野県の大平街道が開通すると、元善光寺参りの参拝者が立ち寄る茶屋宿として栄えるようになりました。 明治期には大平第三番小学正道学校や大平郵便局なども設置され、明治末期には中央本線の開通によって物流の要所となりました。 しかし昭和期には清内路村の清内路峠を超える国道265号が開通し、さらに林業も衰退し大平宿の利用者は減少しました。 平成期には前沢荘などが大火災で焼失しました。 動画で紹介されている現在の長野県大平宿の様子とは? 画像出典 :大平宿をのこす会 | 江戸時代の古民家に泊まろう 動画の1:47にあるように、大平宿の住民は昭和45年に集団移住を決定しました。 集団移住集落である大平宿は、廃村となった後に「いろりの里」として観光客が自然体験を楽しめる地に生まれ変わりました。 現在ではNPO法人大平宿を残す会や南信州観光公社の管理により、大平宿の丸三荘は現在でも古民家宿泊施設として活用されています。 集団移住集落を宿泊施設として利用することにより、この貴重な財産を再生・保存をするという目的があります。 一般的な宿泊施設とは異なり、必要なものは自分で用意し、民家の薪や炭で囲炉裏や窯を使って自炊し、退去時には掃除も行います。 大平宿では釣りや自然体験のイベントも不定期で開催されています。 近隣には大平台温泉や観光客向けのホテルなどもあります。 動画では一部朽ち果ててはいますが、当時の日本の暮らしが想像できる様々な古民家が全編に渡り紹介されています。 長野県の大平宿の動画まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 大平宿周辺は夏は涼しく爽やかで、冬場は雪の風景が楽しめる人気の観光地。 昔ながらの民家が残るこの地では、自然溢れるインスタ映えする風情ある写真が撮れるかもしれません。 動画にあるような古きよき山里の雰囲気を楽しみたい方は、長野県の大平宿周辺へ出かけてみてはいかがでしょうか。 ◆大平宿 施設概要紹介◆ 【住所】〒395-0045 長野県飯田市上飯田7929 【交通アクセス】中央自動車道 飯田ICより車で60分。※バス電車などの公共交通機関はありません。 【宿泊料金】1人 2,300円 【駐車場】あり 【電話番号】南信州観光社 0265-28-1747 【公式ホームページ】南信州観光公社 https://www.mstb.jp/ 【トリップアドバイザー】大平宿 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1021319-d7037774-Reviews-Odairajuku-Iida_Nagano_Prefecture_Koshinetsu_Chubu.html -
動画記事 4:35
特別史跡三内丸山遺跡で縄文時代の暮らしを想像しロマンを楽しもう!青森県にある大規模な集落跡で復元建物や出土品などを見学して歴史ロマンを堪能しよう。
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青森にある特別史跡三内丸山遺跡の動画について こちらで紹介する「marugotoaomori」が制作した「【青森の魅力】特別史跡三内丸山遺跡 - 地下に真実 地上にロマン」は、青森県にある大規模な縄文時代の集落跡を撮影したものです。 集落跡に加えて、さまざまな出土品やイベントなど、歴史を学べる素晴らしい観光施設になっています。 この記事では、青森市にある特別史跡三内丸山遺跡の魅力を紹介します。 特別史跡三内丸山遺跡とは 写真:三内丸山遺跡 特別史跡三内丸山遺跡は、青森県青森市にある日本で最大級の縄文時代の遺跡です。 今から約5,900年前から約4,200年前の縄文時代の前期から中期の大規模な集落跡です。 縄文人が約1,000年の間定住していたと言われています。 復元大型竪穴建物や復元大型掘立柱建物などの復元建物を見ることもでき、当時の暮らしを想像できます。 こちらの建築物は動画の0:41よりご覧になることができます。 復元建物以外にも、さまざまな発掘品もご覧になれます。 土器や土偶にアクセサリーなど当時の暮らしに欠かせなかった遺物が展示されています。 レストランや売店もあるので、休憩しながらいろいろなものを鑑賞できます。 交通アクセスは、JR青森駅から車で約20分。 市営バスで約30~40分です。 入場料は、一般が410円、高校生・大学生は200円、中学生以下が無料となっています(※2020年4月時点)。 特別史跡三内丸山遺跡で必ず見ておきたい復元大型掘立柱建物 画像引用 :YouTube screenshot 動画の1:08からご覧になれる復元大型掘立柱建物は巨大な柱が特徴の約15mの高さがある建物。 直径2mの大きな穴に栗の木を埋めて建てられました。 柱と柱の間隔はきちんと測って造られておりその長さは4.2m、長さの単位は35cmとなっています。 使用用途は不明で謎に包まれていますが、物見やぐら、灯台、神殿として使われていたのではないかとボランティアガイドは語ります。 縄文時代当時の高さは復元建物の15mより高く、約20mほどあったと言われています。 特別史跡三内丸山遺跡には六本柱建物跡以外にもさまざまな遺構が存在します。 一般の住民が暮らしていたといわれている竪穴式住居跡や、高床式建物であった可能性が高い掘立柱建物跡(高床式倉庫跡)などを見ることができます。 共同作業場や集会場として使われていたと思われる復元大型竪穴建物の内部も見学することができ、動画では1:00よりご覧になれます。 村の長の墓と言われている環状配石墓も見どころのひとつです。 特別史跡三内丸山遺跡の見どころ 画像引用 :YouTube screenshot 2:11からご覧になれる縄文の丘三内丸山まほろばパーク内にある「さんまるミュージアム」や縄文時遊館、三内丸山遺跡センターでは、特別史跡三内丸山遺跡から出土した遺物が約1,700点展示されています。 釣り針や魚の骨、イヤリングなどの装飾品を見ることができます。 縄文の人たちはさまざまな道具を使って農耕や食料を調達し調理をし、アクセサリーで自分を美しく飾るなど高い文化を持っていたことが想像できます。 青森市にある特別史跡三内丸山遺跡では、ものづくりができる体験工房もあります。 板状土偶づくりや再生琥珀のペンダントづくり、組紐体験などさまざまな縄文時代を楽しめるメニューが充実しています。 特別史跡三内丸山遺跡の記事のまとめ 画像引用 :YouTube screenshot 「marugotoaomori」が制作する、「【青森の魅力】特別史跡三内丸山遺跡 - 地下に真実 地上にロマン」は、青森市にある特別史跡三内丸山遺跡を紹介している動画です。 見晴台や物見やぐらの役割をしていたと想像できる約15mもある復興建物など、見どころがたくさんありますよ。 さまざまな遺構や出土品などが見られるので歴史好きには必見のスポットです! ◆特別史跡三内丸山遺跡 施設概要紹介◆ 【住所】〒038-0031 青森県青森市大字三内丸山305 【交通アクセス】JR青森駅から車で約20分 【入館料金】一般が410円、高校生・大学生は200円、中学生以下が無料(※2020年4月時点) 【営業時間】9:00~17:00 【休館日】毎月第4月曜日 【駐車場】500台あり 【電話番号】017-766-8282 【公式ホームページ】特別史跡「三内丸山遺跡」 https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/ 【トリップアドバイザー】三内丸山遺跡 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298241-d324336-Reviews-Sannai_Maruyama_Site-Aomori_Aomori_Prefecture_Tohoku.html -
動画記事 8:30
実際に忍者が暮らしていた甲賀流忍術屋敷をご紹介。歴史ある屋敷内で忍者の仕掛けを体感しよう
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こちらの動画は「isouei」が公開した「【日本唯一本物】 甲賀流忍術屋敷(日本語)」です。 動画では滋賀県甲賀市にある「甲賀流忍術屋敷 」の様子が紹介されています。 甲賀流忍術屋敷は甲賀流忍者・甲賀五十三家の筆頭格甲賀望月氏本家の旧邸です。 江戸時代元禄元年に建てられた本物の忍者屋敷です。 室内には手裏剣や刀の展示もされており、動画でもご覧いただけます。 屋敷の随所にどんでん返しやからくり窓など、忍者屋敷ならではの特徴をみることができます。 是非動画でご確認ください! -
動画記事 6:48
愛知県の国宝犬山城は日本にたった5つしかない国宝天守!犬山城の天守閣に登れば気分は殿さま!?日本の歴史にどっぷりと浸かる旅行に出かけみてはいかがですか!
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国宝犬山城とは?その歴史と成り立ち こちらの動画は「SouthernValleyDiary」が制作した「国宝犬山城 National Treasure Inuyama Castle」です。 国宝犬山城とは、築城年室町時代の天文6年(1537年)、愛知県犬山市に建てられた日本最古の様式である天守閣を擁する建造物です。 通称白帝城と呼ばれ、木曽川のほとりに建てられた天守閣からは城下町だけでなく雄大な伊木山と犬山地域を一望できる絶景が広がります。 写真:愛知県・犬山城 国宝犬山城を建てたのは織田信長の叔父である織田信康。 その後、江戸時代の元和3年(1617年)には成瀬正成によって天守閣に改良が加えられ、現在の姿とりました。 成瀬は幕末まで城主を務めました。 廃藩置県により天守閣以外を取り壊し、地震などの天災を受けつつも修復工事することで昭和10年に国宝へと認定されました。 また、昭和27年(1952年)には国宝規則の改正に伴い再度国宝として認定されることになりました。 かつては個人の所有する城として有名でしたが、現在は財団法人犬山城白帝文庫の所有となっています。 天守は3重、内部は4階、地下2階の構造です。 近年しゃちほこの修理も終わり城のシンボルが復活しました。 現存天守・国宝として指折りの犬山城 画像引用 :YouTube screenshot 日本国内で現在見学できる200ほどの城のうち、江戸以前から現存する天守は12城です。 それらを現存天守12城と呼ばれ、国宝犬山城もこのうちに当てはまります。 また、日本に5つしかない国宝の天守を国宝5城と呼び、姫路城、松本城、彦根城、松江城そして犬山城がこの5城にあたります。 この貴重な国宝犬山城の様子は動画の3:39よりご覧になれます。 貴重な天守閣や石垣の上に設けられた付櫓(つけやぐら)、そして天守の内部の様子も動画に収められています。 国宝犬山城とおススメ近隣・周辺観光スポット 画像引用 :YouTube screenshot 国宝犬山城天守の東側にはかつて巨大な杉の木があり、現在ではそれをご神木大杉様として奉っています。 犬山城跡も国の史跡として認定されています。 観光地として見ものなのは、かつての城下町にある町家の雰囲気を残すお店やカフェでの食事やグルメです。 国宝犬山城の城下町は動画の冒頭よりご覧になることができ、貴重な古い町家を確認することができます。 飲食店もそば・うどん屋、アイスクリーム、五平餅などが多数並びますので、食べ歩きをしながらの観光も楽しめるでしょう。 また、かつての呉服屋の豪商であった旧磯部家は当時の状態で現存することから一般公開されています。 旧磯部家は動画の0:18よりご覧になることができます。 画像引用 :YouTube screenshot 国宝犬山城の付近には犬山市文化史料館にはからくり展示館、城とまちミュージアムがあり国宝犬山城の歴史を体感できます。 1:28からご覧になれる、からくり展示館ではかつての犬山祭で使用されたからくり人形の展示を見ることができます。 1:56からご覧になれるの「城とまちミュージアム」では、城下町や犬山祭りの山車、国宝犬山城の精巧なジオラマや、国宝犬山城のしゃちほこが展示されています。 交通アクセスは名鉄犬山駅から徒歩15分にあり、入場料は100円となっていますので、ぜひ訪問することをおすすめします。 国宝犬山城への近道として有名なのは、2:49からご覧になれる三光稲荷神社です。 連なる赤い鳥居をくぐれば神聖な雰囲気に包まれることができます。 ハート型の絵馬は縁結びにもってこいですので、ぜひ立ち寄りたいスポットです。 駐車場も完備されているので車で訪れる際は、駐車場の情報を調べていくのがオススメです。 世界に誇れる日本の国宝犬山城紹介まとめ 画像引用 :YouTube screenshot いかがでしたか?日本が誇る城の中でも国宝はたった5つで、その一つである国宝犬山城は見ておいて損はありません! 世界に誇る日本の城をぜひともその身で感じ、体験してみてください! ◆国宝犬山城 施設概要紹介◆ 【住所】〒484-0082 愛知県犬山市大字犬山北古券65-2 【交通アクセス】名鉄犬山線 犬山庭園より徒歩15分 【入場料金】一般550円、小中学生110円(※2020年4月時点) 【営業時間】9:00~17:00 【定休日】年末 【駐車場】周辺に有料駐車場あり 【電話番号】0568-61-1711 【公式ホームページ】国宝犬山城 https://inuyama-castle.jp/ 【トリップアドバイザー】犬山城 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g325580-d320121-Reviews-Inuyama_Castle-Inuyama_Aichi_Prefecture_Tokai_Chubu.html -
動画記事 4:57
世界遺産に登録された富岡製糸場は近代日本の技術革新の場として知られる重要なスポット。群馬県富岡市の人気観光スポット「富岡製糸場」の見どころや歴史を余すことなく紹介!
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日本の世界遺産、富岡製糸場の動画をご紹介! こちらの動画は、「KyodoNews」が公開した、日本の世界遺産の1つである群馬県富岡製糸場を紹介した「明治時代に生糸産業革新 世界遺産の富岡製糸場 Japan's Tomioka Silk Mill registered as World Heritage site」です。 2014年にユネスコ世界遺産委員会は「富岡製糸場と絹産業遺産群」を世界遺産に登録することを決定しました。 富岡製糸場は、明治時代の日本において技術革新や生糸産業革命を成し遂げた、歴史的に重要なスポットです。 動画で紹介されている世界遺産富岡製糸場とはどんなスポット? 写真:群馬県・富岡製糸場 富岡製糸場は、近代産業発祥の地として知られる施設です。 富岡製糸所、原富岡製糸所、株式会社富岡製糸所、片倉富岡製糸所、片倉工業株式会社冨岡工場と呼び名を変えてきた歴史をもちます。 実業家の渋沢栄一は、富岡製糸場の設立社の1人に数えられます。 世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」には、富岡製糸場の建物ととともに、高山社跡や田島弥平旧宅、動画の4:08にある荒船風穴も構成遺産として登録されています。 また、富岡製糸場の敷地全体が国の史跡に、初期の建造物は国宝や重要文化財に指定されています。 動画の0:35からご覧になれるようには国立国会図書館には建設当時の工場の様子が描かれた錦絵も所蔵されています。 明治時代の日本にとって外国の技術を導入した工場が建設されたのは大ニュースとなりました。 動画で紹介されている世界遺産富岡製糸場の見学ポイントをチェック! 写真:富岡製糸場・東置繭所 富岡製糸場の生糸工場の建物は木骨煉瓦造で、器械製糸工場としては世界最大規模を誇ります。 建物の入口には旧富岡製糸場の表札がかけられています。 動画の1:27には検査人館の建物が、1:45には東繭倉庫の建物が紹介されています。 東繭倉庫の通路のアーチには建立された「明治5年」の刻印があります。 東繭倉庫の隣の繰糸場にはフランスから輸入された繰糸機のレプリカや、自動繰糸機が保存されています。 動画の3:17からはブリュナ館の建物が、3:57からは西繭倉庫の建物もご覧になれます。 世界遺産富岡製糸場の紹介動画まとめ 写真:群馬県・富岡製糸場 ご紹介した動画には、富岡製糸場の歴史や見どころが分かりやすくまとめられています。 富岡製糸場への観光旅行を計画している方や日本の世界遺産に興味がある方は、この動画をチェックして知識を得ておくのがおすすめです。 富岡製糸場の近隣には、群馬名物のおっきりこみを食べられるランチスポットや、富岡製糸場にまつわるシルクのお土産を購入できるショップもありますよ。 ◆世界文化遺産富岡製糸場 施設概要紹介◆ 【住所】群馬県富岡市富岡1-1 【交通アクセス】ホームページをご確認ください 【開場時間】9:00~17:00 【入場チケット料金】大人1000円、高校・大学生250円、小・中学生150円 【駐車場】なし 【電話番号】0274-67-0075 【公式ホームページ】世界文化遺産富岡製糸場 http://www.tomioka-silk.jp/tomioka-silk-mill/ 【トリップアドバイザー】富岡製糸場 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1021202-d1860844-Reviews-Tomioka_Silk_Mill-Tomioka_Gunma_Prefecture_Kanto.html -
動画記事 3:47
「小菅修船場跡」は世界遺産にも登録された!幕末の歴史はここから動き、そして日本の発展を支えた!長崎県の近代造船所発祥の地に残る当時の息吹を感じよう!
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世界遺産・小菅修船場跡とは こちらの動画は「videopro8570495」が公開した『世界遺産、日本の近代造船所発祥の地「小菅修船場跡」』です。 世界遺産に登録されている小菅修船場跡は、近代造船所発祥の地である長崎県長崎市小菅町にある1868年12月に完成した日本初の西洋式ドックです。 日本最古のボイラー蒸気機関を動力とする「曳きあげ」装置が設置されており、この西洋式ドックはスリップドックと呼ばれていました。 小菅修船場跡の設置されていた西欧式ドックは、「船架」と呼ばれるボイラー式蒸気機関で船を曳きあげるための台があり、その船架がそろばん状に見えたことから通称「ソロバンドック」と呼ばれました。 この「ソロバンドック」は動画の中でも0:55あたりから紹介されているのでご覧ください。 また蒸気を発生させるボイラーや1,000トン級の船を曳揚げていた機械も動画の3:12よりご覧になれます。 世界遺産「小菅修船場跡」の歴史 画像引用 :YouTube screenshot 動画で紹介されている小菅修船場は、トーマス・ブレイク・グラバーというスコットランド人の商人が幕末の維新十傑・小松帯刀、五代才助(五代友厚)らの薩摩藩士たちと計画し、外国船の修船施設・船場として明治元年(1868年)に完成しました。 その翌年、武器貿易で資金難に陥ってしまったトーマス・グラバーは明治政府に小菅修船場を売却し、長崎製鉄所の管理、三菱所有の施設となりました。 買収後は現在の三菱重工長崎造船所へと成長しますが、船舶の大型化に伴い事業は縮小しました。 その後第二次世界大戦で小型の軍用船艇を生産し、一度は盛り返したものの戦後1953年には閉鎖することになりました。 現在では、日本最古の本格的な煉瓦造りの建物として国の史跡に認定されています。 その独特なレンガはコンニャク煉瓦とも呼ばれ、2015年に明治日本の「産業革命遺産_製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産として世界遺産(ユネスコの世界文化遺産)に認定されました。 煉瓦造りの施設外観は動画の1:11よりご覧になることができます。 世界遺産小菅修船場跡の謎 写真:小菅修船場跡 長崎県長崎市小菅という土地は小さい入り江が陸に食い込むように伸びており、船の曵き込み、曳き揚げには絶好の土地でしたが、なぜ薩摩藩が藩外である長崎に修船場を設けることができたのかは謎のままです。 説としては以下の4つが挙げられます。 1. 薩摩藩の経済力が長崎まで及んでいた 2. 小菅が天領であった 3. 幕府が修船場を必要としていたこと 4. 長崎御用達商人を建設の申請者としたこと 観光地としての世界遺産「小菅修船場跡」 画像引用 :YouTube screenshot 歴史的な面だけでなく、観光地としても世界遺産・小菅修船場跡は有名です。 土日だけ開放されている曳揚げ小屋はボイラーや巨大な歯車を見ることができ圧巻です。 住所は長崎県長崎市小菅町で、交通アクセスはJR長崎駅前から長崎バスで15分、小菅町下車、徒歩5分です。 また、駐車場はないため公共交通機関をご利用ください。 世界遺産「小菅修船場跡」に触れて幕末の歴史を感じよう! 画像引用 :YouTube screenshot こちらの記事はいかがだったでしょうか? 世界遺産小菅修船場跡という幕末の歴史を担った造船施設の歴史や背景を知ると圧巻の景色も、より迫力が増すことと思います。 長崎へ旅行をした際にはぜひ世界遺産小菅修船場跡へ訪問してみてはいかがでしょうか? 近隣には宿泊施設・ホテルもありますので観光の際には是非ご利用ください。 ◆小菅修船場跡 施設概要紹介◆ 【住所】〒850-0934 長崎県長崎市小菅町5 【交通アクセス】JR長崎駅前から長崎バスで15分、小菅町下車、徒歩5分 【入館料金】無料 【駐車場】無し 【電話番号】095-829-1314 小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)|観光スポット|【公式】長崎観光/旅行ポータルサイト ながさき旅ネット https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/169/ 【トリップアドバイザー】小菅修船場跡 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298568-d4952490-Reviews-Kosuge_Repair_Dock_Old_Site-Nagasaki_Nagasaki_Prefecture_Kyushu.html -
動画記事 4:51
「元離宮二条城」はあの徳川幕府の繁栄と終焉を見届けた歴史ある城。京都の世界遺産は人生で一度は見ておきたい名所!
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二条城のドローン空撮映像をご紹介! こちらは「京都いいとこ動画 KyotoiitokoVideo」が公開した動画「二条城PV 総集編「世界遺産 二条城」です。 江戸時代に築城され歴史の舞台となった元離宮二条城は、1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)「古都京都の文化財」にも選ばれました。 動画で紹介されている二条城とは?歴史は? 写真:京都府・二条城の二の丸御殿 京都府京都市にある二条城は1603年(慶長8年)に江戸幕府初代将軍徳川家康により、京都御所の守護および将軍上洛の際宿泊所として築城されました。 その後天皇が入内するなど一時は栄えますが、三代将軍以降は江戸時代末期まで使われることはありませんでした。 幕末の1867年には、15代将軍・徳川慶喜が大広場で「大政奉還」をおこないました。 徳川幕府の繁栄と終焉を見届けた城です。 動画で紹介されている二条城の名建築 写真:京都府・二条城の東大手門 二条城では二の丸御殿が国宝に、東大手門や唐門、本丸御殿など22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸庭園が特別名勝に指定されています。 障壁画は幕府の御用絵師狩野派の手による絢爛豪華なものです。 こちらは動画の1:40よりご覧になれます。 また、お城の唐門には菊の御紋の金細工や徳川家の家紋三つ葉葵の金細工や彫刻が施されています。 二の丸御殿の正門は切妻造、桧皮葺の四客脚門で屋根の前後には唐破風が付きます。 この歴史風情溢れる美しい正門の姿は動画の0:36よりご覧になれます。 五層の天守閣は1750年に落雷で焼失しましたが、現在では天守閣跡を見学できます。 天守閣跡は動画の3:11よりご覧になれます。 動画で紹介されている二条城の見どころ 写真:京都府・二条城の本丸 二条城には香雲亭や茶室和楽庵、清流園や本丸庭園など、和風庭園・洋風庭園・和洋折衷庭園が完備されています。 新緑の緑に囲まれた本丸庭園は動画の2:41よりご覧になれます。 春には城内全域に約300本・50品種のサクラが咲き誇ります。 また梅やツツジ、夏にはシダレエンジュ、サルスベリ、朝顔、蘇鉄(ソテツ)、秋には紅葉、冬には雪景色など、四季折々の風景を楽しめます。 城内では令和2年にはアートアクアリウム城「二条城まつり2020」のライトアップイベントも開催されています。 築城400年記念展示・収蔵館もぜひチェックしておきましょう。 二条城の観光動画まとめ 写真:京都府・二条城 動画で紹介されているように、二条城には歴史の舞台となった重要な建物や、季節を感じさせる風流な庭園など、多くの見どころがあります。 二条城は工事のために一口城主を募っているので、支援したいとお考えの方は申し込んでみるのもおすすめです。 ◆二条城 施設概要紹介◆ 【住所】京都市中京区二条通堀川西入二条城町541 【交通アクセス】地下鉄東西線二条城前駅より徒歩2分 【拝観料】一般1030円、中高生350円、小学生200円 【拝観時間】8:45~17:00(入城は16:00まで) 【駐車場】大型駐車場あり 【電話番号】075-841-0096 【公式ホームページ】二条城 世界遺産・元離宮二条城 https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/ 【トリップアドバイザー】二条城 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298564-d321408-Reviews-Nijo_Castle-Kyoto_Kyoto_Prefecture_Kinki.html -
動画記事 3:52
千葉県夷隅郡の大多喜城で戦国時代の歴史を学ぶ!徳川四天王のひとりである有名武士の本田忠勝が築いた城は「続日本100城」に選ばれた名城!
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大多喜城を堪能できる動画の紹介 こちらの動画は『バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド」』が公開した『【刀剣ワールド】「大多喜城」刀剣・甲冑に会える城|刀剣・甲冑展示の城郭 YouTube動画』です。 動画では千葉県夷隅郡大多喜町にある「大多喜城」の歴史や、博物館の刀剣や甲冑の収蔵品を紹介しています。 こちらの記事では、大多喜城の歴史と観光情報、千葉県立中央博物館大多喜城分館の展示や開館情報をご紹介いたします。 大多喜城の歴史、刀剣や甲冑の資料を、初心者でもわかりやすく解説していますので、ぜひこちらの記事と動画をお楽しみください。 大多喜城の歴史について 画像引用 :YouTube screenshot 大多喜城は天文年間に真里谷信清に築城されて、当時は小田喜城と記載されていました。 その後、徳川家康から徳川四天王のひとり、本多忠勝に与えられ古くなった城を整備して上総大多喜藩の初代藩主になりました。 戦国時代には城下町も栄え、城とその周辺には遺構も残されています。 天保13年には荒廃した天守閣が焼失したとされています。 現在は、本丸跡、千葉県指定遺跡の大井戸、二の丸御殿薬医門が残っています。 千葉県立中央博物館大多喜城分館について 画像引用 :YouTube screenshot 天守閣づくりの建物が千葉県指定史跡の上総大多喜城本丸跡に昭和50年に建設されて、内部は歴史博物館になっています。 千葉県立中央博物館大多喜城分館の館内の様子は動画の1:25よりご覧になることができます。 展示は、“房総の城と城下町”をテーマに日本刀・槍(刀剣)や甲冑などの武士に関する資料が展示されています。 展示は常設展示のほか企画展も行われます。 また、甲冑試着の体験コーナーも人気があり、動画の2:15からご覧になれる、本多忠勝の武者姿を描いた「紙本著色本多忠勝像」や、動画の2:44からご覧になれる変兜として注目を集めている「兎形変兜」が人気を博しています。 千葉県立中央博物館の館内にあるミュージアムショップでお土産探しもいかがですか? 交通アクセスは、いすみ鉄道大多喜駅から徒歩15分。 大多喜城から徒歩5分の場所に有料駐車場もあります。 博物館の開館時間は9時から16時半、休館日は毎週月曜日と年末年始です。(最新情報は公式サイトをご確認ください) 大多喜城の観光紹介のまとめ 写真:春の大多喜城の風景 こちらの『【刀剣ワールド】「大多喜城」刀剣・甲冑に会える城|刀剣・甲冑展示の城郭 YouTube動画』では、房総の城・大多喜城の歴史と展示室紹介しています。 ここ大多喜城は、春には桜も楽しめる人気の花見スポットです。 御朱印、御城印も人気があり、大多喜城の周辺にはランチのできるグルメスポットやゴルフ場も多数あり、大多喜町は多くの方が訪れる人気スポットなのです。 ロマンを感じる大多喜城の歴史をぜひ動画でお楽しみください。 ◆千葉県立中央博物館大多喜城分館 施設概要紹介◆ 【住所】〒298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481 【交通アクセス】いすみ鉄道大多喜駅から徒歩15分 【入館料金】一般200円 【営業時間】9:00~16:30 【休館日】月曜日、年末年始 【駐車場】有料駐車場有り 【電話番号】 0470-82-3007 【公式ホームページ】千葉県立中央博物館 大多喜城分館 http://www2.chiba-muse.or.jp/SONAN/ 【トリップアドバイザー】千葉県立中央博物館 大多喜城分館 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1121125-d1314470-Reviews-Otaki_Castle_Museum-Otaki_machi_Isumi_gun_Chiba_Prefecture_Kanto.html -
動画記事 3:35
大阪府にある大阪城はあの天下人・豊臣秀吉によって築城された!日本の重要美術品である当時の名刀や甲冑に触れて戦国時代の歴史を知る!
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大阪城紹介動画について こちらの動画「【刀剣ワールド】「大阪城」刀剣・甲冑に会える城|刀剣・甲冑展示の城郭 YouTube動画」で紹介されているのは大阪府大阪市にそびえる大阪城です。 威風堂々とした佇まいは大阪のシンボルとしても有名ですね。 しかし、現在の大阪城にはどのような歴史があるのかご存知の方は案外少ないのではないでしょうか? 動画で紹介されている大阪城とは 写真:大阪城 大阪城は1583年(安土桃山時代)に天下人・豊臣秀吉によって築城されました。 大阪城天守閣には動画の0:39からご覧になれるように金色のしゃちほこを掲げ、金城や錦城とも言われた絢爛豪華な巨大な城で、秀吉の時代には強大な富と権力の象徴でしたが、秀吉亡き後、天下を狙う徳川家康と豊臣家が争う大阪の陣の舞台となり、豊臣側が負けて落城し、豊臣家も同時に滅亡します。 その後大阪城は徳川幕府に接収され、西日本支配の拠点となります。 大阪の陣で大阪城はかなり損壊し、徳川幕府によって再築されます。 現在残っている石垣や堀は徳川幕府によって再築されたものです。 大阪城に展示されている刀剣と甲冑について 画像引用 :YouTube screenshot それでは大阪城を巡る歴史を振り返ってみましょう。 時は戦国時代末期。 群雄割拠の時代も豊臣家と徳川家による争いに勝利したほうが天下統一を手中にするという情勢でした。 豊臣対徳川の争いでは幾つかの重要な合戦が有りますが、特に有名なのが天下分け目の関ヶ原と言われた「関ヶ原の戦い」でしょう。 この戦いで重要な役割を果たしたのが元は豊臣家の大名でありながら、秀吉の死後は徳川秀忠についた仙石秀久で、彼の甲冑が大阪城には所蔵されています。 現在大阪城を巡るこれらの歴史資料は天守閣内部にある博物館にて展示されています。 現在の大阪城は1931年に復興されたものですが明治維新や太平洋戦争の空襲で焼けてしまい、栄華を極めた大阪城は歴史の激動の中で幾度となく再築が繰り返されてきました。 今では大阪城跡は国の特別史跡に指定されており、再築された場内の博物館では動画の2:10からご覧になれる大阪を拠点とした刀工の名刀「大坂新刀」を収蔵しています。 また、動画の2:26からのご覧になれる刀銘「河内守国助」も所蔵され、こちらの作品は大阪府指定有形文化財に指定されています。 甲冑も戦国時代に作られたものを中心に数多く展示されていて、黒韋威胸紫紅白胴丸は重要美術品に指定されています。 大阪城に所蔵されている甲冑は動画の2:29よりご覧になれます。 大阪城紹介動画のまとめ 写真:大阪城のライトアップ 現在の大阪城は本丸、二の丸、重要文化財の櫓、外堀などが残っていて、内部を見ることができますが、現在も復元計画が進行しています。 また、周辺には桜の名所として知られ、バーベキューも楽しめる大阪城公園があり、イルミネーションやライトアップイベンドなどが開催され、多くの観光客で賑わいを見せています。 隣接する大阪城ホールではライブなどのイベントが開かれるなど、大阪城は名実ともに大阪のシンボルと言ってもよいでしょう。 大阪のグルメやランチと共に人気観光スポットの大阪城で日本の歴史に触れてください。 ◆大阪城 施設概要紹介◆ 【住所】〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城1-1 【交通アクセス】中央線・谷町線、谷町4丁目駅下車すぐ。 【入場料金】大人600円 【営業時間】9:00~17:00 【休館日】年末年始 【駐車場】有料駐車所あり 【公式ホームページ】大阪城天守閣 https://www.osakacastle.net/ 【トリップアドバイザー】大阪城 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g14127623-d320970-Reviews-Osaka_Castle-Chuo_Osaka_Osaka_Prefecture_Kinki.html -
動画記事 1:39
仏像をCTスキャンしたら天才仏師の運慶の作品だった!?大迫力の芸術品は歴史を覆す大発見!
歴史 芸術・建築物- 149 回再生
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奈良興福寺南円堂の四天王像のCTスキャン調査に関する動画をご紹介! こちらの『奈良・興福寺の国宝「四天王像」、作者は運慶? X線CTスキャン調査で技法解明』は「朝日新聞社」が公開した、奈良興福寺南円堂の四天王像に関する動画です。 2017年に東京国立博物館(東博)は、特別展「運慶」に合わせて、奈良県にある興福寺の仏像をCTスキャンしました。 これにより、日本彫刻史上最高傑作といわれる無著世親菩薩立像の作者が天才仏師運慶である可能性が浮上したのです。 現在、日本国内には運慶作の仏像がほかに31体あるとされますが、今後の調査で運慶作と考えられる仏像が増える可能性もあります。 動画で紹介されている四天王像のCTスキャン調査とはどんなもの? 画像引用 :YouTube screenshot 動画によると、奈良県興福寺南円堂の四天王像と興福寺北円堂の無著・世親両菩薩立像をCTスキャン調査したところ、いずれも芯のある木材を組み合わせていたことが分かりました。 これにより興福寺四天王像は運慶作ではないかと言われています。 無著・世親像の技法との共通性は双方の作者が運慶であるということを裏付ける重要な要素となりそうです。 動画では、2mを超える大きさの仏像を丁寧に梱包し、0:49よりX線CTスキャンを行います。 動画の0:10より、東京国立博物館の浅見龍介企画課長はインタビューで「この四天王像は今までX線透過撮影がされたことが無く像内の様子や構造が把握されていなかった」と語ります。 動画で紹介されている四天王像とはどういったもの? 画像引用 :YouTube screenshot 四天王像とは仏教で四方を守護している四神のことで、東方の持国天像、南方の増長天像、西方の広目天像、北方の多聞天像で構成されます。 興福寺の四天王像は運慶の父である康慶の作と考えられていましたが、今回の調査や作風の研究から、運慶の工房で作られた可能性が高まりました。 動画で紹介されている興福寺には国宝や国重要文化財が数多くある 写真:奈良県・興福寺 奈良県にある興福寺は東金堂と西金堂、北円堂や南円堂といった歴史的な建造物で構成されています。 興福寺の木造四天王立像は、動画で紹介されている南円堂の四天王像と入れ替わる形で旧金堂から南円堂へ移されました。 興福寺にはほかに阿修羅像、木造薬王菩薩・薬上菩薩立像、銅造薬師如来坐像、両脇侍像、木造文殊菩薩立像、木造維摩居士坐像、木造十二神将立像、銅造仏頭といった、平安時代や鎌倉時代に製作された寺宝が数多くあります。 興福寺四天王像の調査に関する動画まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 今回は、仏像に関する歴史的価値の高い発見を動画でご紹介しました。 この東京国立博物館の調査は、歴史の謎を紐解く重要な発見になるかもしれません。 奈良県は平城京の時代から栄え、現在でも東大寺や春日大社、薬師寺や当麻寺など色々な見どころがあります。 仏像や歴史に興味がある方は、ぜひ足を運んでみましょう。 【公式ホームページ】法相宗大本山 興福寺 https://www.kohfukuji.com/ -
動画記事 4:48
迫力ある弓矢の演武から目が離せない!薩摩日置流腰矢組弓の弓術は戦国時代の戦場では 鉄砲に劣らぬ活躍をした歴史的武術!
祭り・イベント 歴史- 981 回再生
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薩摩日置流(へきりゅう)腰矢組弓の動画をご紹介 こちらの動画「Koshiya Kumiyumi, Battlefield Archery Demonstration (薩摩日置流腰矢組弓 演武)」は、世界弓道大会における和弓の演舞の様子を撮影した動画です。 日本の歴史における戦国時代の戦場では、武術の1つとしてたびたび弓術が用いられました。 動画には、迫力たっぷりな競技の様子が記録されているので、ぜひ伝統の日本文化を感じ取ってみてくださいね。 動画で紹介されている薩摩日置流腰矢組弓とは?起源・歴史を紹介 写真:日本の弓術 和弓の流派の1つである薩摩日置流は、日置弾正政次が室町時代に確立しました。 しかし、戦闘に鉄砲が使われるようになると、弓術は次第に軽視されるようになります。 この頃から薩摩日置流では、高弟に技術を伝承させながら、さらなる弓術の研究を重ねました。 隊形を作ってから一斉に弓を放つ腰矢や指矢、押詰や突撃といった戦法を考案しました。 薩摩日置流から派生した諸派について 日置流は弓道の元祖ともいえる存在で、戦国時代以降の日本に強い影響をもたらします。 戦国時代以降は日置流から派生した弓術諸派に分かれていき、現在に至ります。 主要な流派は大和日置系統(吉田流)の出雲派、山科派、左近右衛門派、大蔵は、印西派、大心派、寿徳派、雪荷派、道雪派などです。 また、伊賀日置系統の流派には竹林派、一貫流、本多流があります。 また、薩摩日置流印西派浦上系や、薩摩日置流印西派摂津系、日置當流や逸見流といった流派も活躍しています。 薩摩日置流腰矢弓組では、手の内の整え方や働かせ方を重視し、打ち起こしの動作をして弓を斜め前方に構え、引き取るという射法が基本です。 それぞれの流派には、射法や所作に特徴があります。 動画でご覧になれる薩摩日置流腰矢組弓の演武紹介 画像引用 :YouTube screenshot 動画では9人の甲冑をまとった演者が弓道場に入場するところから始まります。 多くの観客が見守っているのも、動画からお分かりになれます。 動画の0:37より、大きな掛け声と共に次々と弓を放っていきます。 動画の2:08から紹介されている演舞では、弓を放った後に、徐々に前へ距離を詰めていく様子がご覧になれます。 編隊を組んで弓を放つ演舞は、戦場での実戦に基づくものなのでしょうね。 薩摩日置流腰矢組弓演舞の動画まとめ 弓道は、戦国時代に発展した日本ならではの武術・武道の1つです。 動画には、迫力ある薩摩日置流腰矢組弓の演武の様子が、余すことなく紹介されています。 日本の武道に興味がある方は、歴史を感じさせる鎧をまとって、弓を放つ様子が収められたこの動画で、日本文化の魅力を存分に感じ取ってみてくださいね。 -
動画記事 6:27
金色のしゃちほこがシンボルの愛知県名古屋市「名古屋城」の秘密に迫る!戦国時代の歴史が大きく動いた地に建てられた日本初の国宝が生まれ変わる!
芸術・建築物 歴史 観光・旅行- 183 回再生
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愛知の観光スポット、名古屋城の魅力 こちらは「2010Network」が公開した、名古屋城天守閣の観光PR動画「名古屋城天守閣PRビデオ」です。 名古屋城は戦国時代、尾張国愛知郡に作られた巨城。 日本には数多くの城がありますが、絢爛豪華な名古屋城は特に観光客から人気を集めます。 絶景の天守閣をはじめとした多くの国宝を有する名所、名古屋城。 2018年度にはなんと、入場者数約220万人を超えました。 戦国時代からの歴史をもつ名古屋城 写真:愛知県・名古屋城 名古屋城は、織田信長誕生地といわれる那古野城跡の周辺に、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が築城しました。 この時代には豊臣秀吉の軍勢との緊張が高まっており、家康は軍事の要所として名古屋城を建てたのです。 名古屋城は尾張徳川家の家祖徳川義直以降、江戸時代には代々尾張藩主の居城として使われました。 明治時代以降は皇室関係者が利用する名古屋離宮となり、昭和期には城郭建築として日本初の国宝に指定されました。 その後、人気の観光スポットとして現在まで一般公開が続けられています。 名古屋城でチェックしておくべきポイントは? 写真:愛知県・名古屋城 名古屋城は「金鯱城」とも呼ばれ、天守閣に飾られた金色のしゃちほこは名古屋のシンボルとなっています。 天守閣以外にも、豪華な本丸御殿や書院は必見です。 名古屋城の見事な石垣は、三河湾周辺などさまざまなエリアの石垣普請によって作られました。 石垣工事には加藤清正が活躍し、名古屋城の石垣で最大といわれる巨石は清正石と呼ばれます。 天守閣の建築は小堀遠州、中井正清が担当しました。 こちらは動画の1:10より詳しくご覧になれます。 猿面望嶽茶席や又隠茶席、売店などを利用するなら、古田織部を顕彰するため建てられた織部堂の見学もおすすめです。 名古屋城天守閣は改修工事中! 写真:愛知県・名古屋城 2018年5月からは「戦災木造復元プロジェクト」として、名古屋城の天守閣解体改修工事が行われています。 木造大天守閣の復元は2022年12月まで予定されています。 大天守閣が完成して再建工事が終了するのが待ち遠しいですね。 歴史ある名古屋城紹介まとめ 写真:愛知県・名古屋城 動画でも紹介されているように、名古屋城は戦国時代に建てられた歴史的価値の高い建造物です。 城内は広いですがエレベーターがあり、歴史に関する資料も数多く展示されているので気軽に観光を楽しめますよ。 ◆名古屋城 施設概要紹介◆ 【住所】〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1-1 【交通アクセス】地下鉄名城線市役所駅より徒歩5分、名古屋城正門前バス停より徒歩1分 【入場料】一般500円、中学生以下無料 【駐車場】あり 【公式ホームページ】名古屋城公式ウェブサイト https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/ 【トリップアドバイザー】名古屋城 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g14127381-d320128-Reviews-Nagoya_Castle-Naka_Nagoya_Aichi_Prefecture_Tokai_Chubu.html -
動画記事 3:22
あの有名武将・徳川家康が天下統一の拠点とした愛知県岡崎市「岡崎城」!神君出生の地として神格化された街で日本の歴史を知る!
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神君出生の地である岡崎城を紹介 今回ご紹介する動画は「バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド」」が公開した愛知県岡崎市にある岡崎公園内の岡崎城を紹介する動画『【刀剣ワールド】「岡崎城」刀剣・甲冑に会える城|刀剣・甲冑展示の城郭 YouTube動画』です。 岡崎城は、徳川家康誕生の城として知られ、桶狭間の戦いの後に三河(現在の愛知県)に戻った徳川家康が天下統一の拠点にしたことで有名です。 この岡崎城は「神君出生の地」として神格化され、岡崎城主となった大名はその誇りをもって務めていたそうです。 動画の1:33からご覧になれるように岡崎城址内には、岡崎城ゆかりの刀剣や甲冑などの様々な資料を展示しています。 中でも室町時代を代表する「銘 兼元」の山のように連続する3本杉の刃文は動画の1:51から見ることができます。 また、動画の2:09からご覧になれる岡崎公園内の「三河武士のやかた家康館」では、徳川家の祖先である松平氏の始まりから、徳川家康が天下統一するまでの歴史などを丁寧に解説しています。 全身金箔の金陀美具足も展示されています。 動画で紹介されている岡崎城とは 写真:岡崎城 岡崎城とは、三河国岡崎藩(現在の愛知県岡崎市康生町)にあった日本の城です。 別名「龍城」と呼ばれ、戦国時代から安土桃山時代に松平家が所有していました。 岡崎城の歴史は龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代末裔西郷稠頼とその子西郷頼嗣が北側の防御のために築城したものとされています。 当時は「龍燈山城」と呼ばれました。 その後、1542年(天文11年)に岡崎城内で誕生しました。 そのため、「徳川家康公生誕の地」と呼ばれています。 江戸時代には「岡竒城」と記されました。 明治維新後は、岡崎城の城郭の大部分が取り壊されましたが、1959年には天守閣が3層5階建てに復興され、2006年には日本100名城に選定されました。 岡崎城への交通アクセスは名鉄東岡崎駅や岡崎公園駅から徒歩もしくは、路線バスで岡崎公園前バス停などから訪れることができます。 岡崎城と大樹寺を結ぶビスタライン 写真:徳川家康像と大樹寺 岡崎城の周辺にある大樹寺はかつて桶狭間の戦いに破れた徳川家康公が逃げ帰り自害を試みたときに思いとどまらせた住職がいたとされる場所です。 この大樹寺と岡崎城を結ぶ約3キロメートルの直線はビスタラインと呼ばれ、歴史スポット、歴史眺望として370年もの間、景観を守られてきました。 現代においてはこのビスタラインをレーザー光線で描く「光ビスタライン」というイベントも開催されています。 岡崎城周辺施設も賑やか 写真:桜越しの春の岡崎城 岡崎城のある岡崎公園は日本さくら名所100選にも選ばれた桜の名所です。 岡崎公園の名物には八丁味噌を使った田楽料理をたべられる「八千代本店」があります。 この八千代本店は創業120年を超える老舗の和食店です。 八千代本店の伝統技術で焼き上げる「木の芽田楽」がここでしか味わえない秀逸な一品として有名です。 また、城下町でも八丁村と呼ばれた地域がありまるや八丁味噌やカクキュー八丁味噌といった伝統のお店も並ぶので、グルメやランチをお楽しみください。 その他周辺には六所神社や滝山東照宮、伊勢八幡宮などの寺社があるので、岡崎城の御城印とともに御朱印集めをしている人にもおすすめです。 神聖な場所とされてきた岡崎城を見てみよう! 写真:岡崎城 徳川家康公ゆかりの土地として有名な岡崎城とその歴史ある展示物などを動画を通じてご覧になることができます。 戦国時代の人気武将・徳川家康に縁のある岡崎城は一度は訪れたい歴史スポットです。 気になった方は是非、愛知県岡崎市に足を運んでみてください! ◆岡崎城 施設概要紹介◆ 【住所】〒444-0052 愛知県岡崎市康生町561-1 【交通アクセス】名鉄「東岡崎駅」より徒歩15分 【入館料金】大人200円 【営業時間】9:00~17:00 【休館日】年末(12月29日~12月31日) 【駐車場】有料駐車場あり 【電話番号】0564-22-2122 【公式ホームページ】岡崎城トップページ|岡崎城(天守閣)|特集|岡崎公園|岡崎おでかけナビ - 岡崎市観光協会公式サイト https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/feature/okazakijo/top 【トリップアドバイザー】岡崎城 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g788304-d1309910-Reviews-Okazaki_Castle-Okazaki_Aichi_Prefecture_Tokai_Chubu.html -
動画記事 1:50
静岡県三島市の「三嶋大祭り」はお盆を盛り上げる勇壮な祭事!山車や花火、武者行列など日本の文化や歴史が堪能できる美麗動画を見逃すな!
祭り・イベント 歴史- 240 回再生
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静岡県三島市の「三嶋大祭り」の紹介動画をチェックしよう! 今回ご紹介する「しゃぎり!歴史ロマン!【公式】三嶋大祭りMISHIMA FESTIVAL JAPAN」は、静岡県三島市で開催される歴史あるお祭りの動画です。 静岡県三島市の夏の風物詩である三嶋大祭りは、8月15日~17日という日程で開催される、三嶋大社の例祭です。 動画は日本の伝統文化である山車祭りの雰囲気を、たっぷり味わえる作りになっているので、ぜひ心ゆくまでご覧ください。 三嶋大祭りの初日「山車としゃぎりの日」 画像引用 :YouTube screenshot 静岡県の三嶋大祭りの初日8月15日は山車(だし)と無形文化財に指定されている三島囃子(しゃぎり)の日。 当日は午前に若宮神社例祭が、午後には菅奉納祭が執り行われます。 その後、しゃぎりと呼ばれる鉦や太鼓、笛の賑やかなお囃子の音色が響く中で、豪華に飾りつけられた山車の競り合いや山車の引き回しが行われます。 動画の0:22から紹介されているような、日本伝統の迫力ある山車祭りは、インスタ映えもバッチリですよ。 動画の0:31からご覧になれるように、陽が暮れ、ライトアップされた山車や提灯が街を埋める光景も幻想的ですね。 三嶋大祭りの2日目「伝統芸能の日」 2日目の8月16日は伝統芸能の日。 この日は、静岡ゆかりの武将である源頼朝公旗揚げ出陣式・行列が行われます。 源頼朝公の旗揚げ行列の主役である、源頼朝公は毎年テレビタレントや有名人が務めるため注目されています。 過去には勝俣州和さん、半田健人さん、風間トオルさん、柳沢慎吾さん、神保悟志さん、永井大さん、筧利夫さん、前川泰之さん、木下ほうかさん、滝藤賢一さんがこの大役を務めています。 鎧や甲冑をまとった参加者の、勇ましい姿は動画の0:50よりご覧になれます。 他に、人長舞・浦安舞の奉納や子供しゃぎり大会があり、夜には動画の1:01から紹介されているような手筒花火神事が披露され、幻想的なひとときを堪能できます。 三嶋大祭りの最終日「踊りの日」 画像引用 :YouTube screenshot 最終日の8月17日は踊りの日です。 この日には流鏑馬(やぶさめ)神事が行われ多くの観光客で賑わいます。 こちらは動画の1:16よりご覧になれます。 他に農兵節パレードや、みしまサンバパレード、民謡流しもあり、とても盛り上がりますよ。 夜には後鎮祭が執り行われ、3日間のイベントが無事終了します。 静岡県三島市の「三嶋大祭り」紹介動画まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 動画の締めとなる1:38過ぎからは多くの人が櫓(やぐら)に上がり、三島ばやし(しゃぎり)を披露する光景もご覧になれます。 三嶋大祭りでは、配られるうちわに、抽選番号が記載されており、当選すると商品券やギフト券が貰える催しがあり、こちらも人気があります。 動画には三嶋大祭りの各種行事日程や、内容について詳しく紹介されているので、ぜひチェックしてみてください。 静岡県三島市の三嶋大祭りは、お盆時期の静岡を盛り上げてくれる勇壮な祭りです。 日本のお祭りを堪能できる縁日の屋台・夜店・露店も出るので、ぜひ日本らしい浴衣を着てお祭りに出かけたいですね。 お祭り当日は、三嶋大社駐車場や市営中央駐車場が利用できますが、近隣スポットでは交通規制があるので余裕を持って出かけるのがおすすめです。 【公式ホームページ】三嶋大祭り https://www.mishima-cci.com/maturi/ 【トリップアドバイザー】三嶋大社 https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g780865-d1313050-r606940142-Mishima_Taisha_Shrine-Mishima_Shizuoka_Prefecture_Tokai_Chubu.html -
動画記事 4:03
戦国時代にタイムスリップ!?しものせき海峡まつりの源平まつりは参加者が鎧や着物に身を包み日本の歴史を忠実に再現したダイナミックな山口県下関市のお祭り!
祭り・イベント 歴史 伝統文化- 154 回再生
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しものせき海峡まつり「源平まつり」動画紹介 こちらの動画は「下関商工会議所青年部下関YEG」の制作した、しものせき海峡まつりの源平まつりの観光PR動画「【公式】しものせき海峡まつり 源平まつり」です。 約4分の動画は、2017年に行われた「源平まつり」神事の様子などの見どころが、荘厳な曲に合わせて紹介されています。 しものせき海峡まつり「源平まつり」とは?開催日程は? 山口県下関市は、平安時代末期に壇ノ浦の戦いが行なわれたという歴史的な地です。 そんな下関市で、毎年5月2~4日の日程で行なわれる「しものせき海峡まつり」は、日本古来の時代絵巻のような雅な雰囲気です。 しものせき海峡まつりのメインとなる3日の源平まつりでは、かつて源平合戦が行なわれたという関門海峡で源平武者行列や源平船合戦海上パレード、先帝祭や源平弓合戦などが開催され、多くの観光客で賑わいます。 こちらの動画はお祭りの参加者が着物や甲冑・鎧を身にまとい、街がまるで戦国時代にタイムスリップしたかのような迫力ある映像となっています。 下関の歴史、そして日本の歴史をこの動画で堪能してください。 源平まつりの見どころ「源平武者行列」 画像引用 :YouTube screenshot 源平まつりに先立って行なわれる先帝祭では、上臈道中外八文字披露や奉納行事があります。 その後に行なわれる源平まつり源平武者行列では、鎧や甲冑を身につけた戦国武者や、華やかな衣装をまとった官女、可愛らしい子供武者が市内を行進します。 衣装を身につけている様子は動画の0:09より、行進は1:26よりご覧になることができます。 この行列は、源平の合戦の戦場に向かう様子を表しています。 道中では威勢のよい勝鬨(かちどき)の声が上がり、観光客を楽しませてくれます。 源平まつりの見どころ「源平船合戦」 画像引用 :YouTube screenshot 動画の1:37からご覧になることのできる、しものせき海峡まつり源平まつりの源平船合戦は、下関の海に出て源氏と平家の合戦の模様を再現する勇壮なイベントです。 船には武蔵坊弁慶や静御前(しずかごぜん)、安徳帝(あんとくてい)などに扮した参加者が乗り込み、祭りを盛り上げます。 船上で繰り広げられるダイナミックな源平まつりは、インスタ映えもバッチリです。 メインステージでは源平合戦にちなんだイベントが行われ、日本古来の豪華な和装をまとった5人の太夫の舞でフィナーレを迎えます。 メインステージの模様は動画の3:00よりご覧になることができます。 源平船合戦に参加する人物は一般公募で選ばれるので、応募すれば日本文化を堪能できるチャンスを得られるかもしれません。 しものせき海峡まつり源平まつり紹介まとめ 動画にもあるように、しものせき海峡まつり源平まつりは日本の歴史を体感できる勇壮なお祭りです。 まずはこちらの動画で戦国当時の日本の様子を堪能してみてはいかがでしょうか。 しものせき海峡まつりの源平まつりは、赤間神宮や姉妹都市ひろばで開催されます。 しものせき海峡まつりの会場周辺には当日交通規制が敷かれるため、イベントのスケジュールや交通アクセス方法をチェックした上で観光に訪れるのがおすすめですよ。 【公式ホームページ】しものせき海峡まつり - 下関市公式観光サイト 楽しも! https://shimonoseki.travel/kaikyo_fes/ -
動画記事 6:09
歴史ある日本の芸術品「京都一筆龍」に感動!職人の匠の技によって一筆で描かれた迫力ある龍は見とれてしまう美しさ!
伝統文化 歴史- 398 回再生
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日本伝統の芸術「京都一筆龍」の動画について 「一筆龍 京都 桜凜堂」が制作する「京都一筆龍 【春夏秋冬】Hitohuderyu」では、日本伝統の芸術である京都一筆龍を職人が作っている映像をご覧になることができる動画です。 あっという間に美しい美術品が出来あがっていく日本の職人の技法にビックリするはず。 日本らしい雅な作品の京都一筆龍は、とても魅力のあるアートです! この記事では、日本伝統の芸術である京都一筆龍の魅力を解説しています。 職人の手仕事による美しい芸術品・美術品の制作工程を動画でお楽しみください。 日本伝統の芸術・京都一筆龍とは? 画像引用 :YouTube screenshot 日本伝統の芸術である京都一筆龍は、その名の通り龍の胴体の部分を一筆で描くことで、「人との縁をつなぐ」「ご縁が途切れない」「仕事やお金が途切れない」と言われ、人間関係や商売にご利益のある縁起物になっています。 歴史・起源は古く、江戸時代には、招福や家内安全、厄払いとしても重宝されていました。 昔の縁日では、一筆龍のヘビバージョンの「一筆蛇」というものがありました。 昔から日本で龍は、日本列島が龍の形であるといわれ、五穀豊穣の神として神社仏閣に祀られてきた神聖なもの。 京都にある桜凜堂の一筆龍は、「昇り龍」は大願成就祈願、「下向きの龍」は守護祈願として真心込めて描かれています。 動画の5:17でご覧になれる龍が手にしている「如意宝珠(にょいほうじゅ)」は、人々の願いを叶えて、幸福をもたらしてくれるといわれています。 日本全国にいる京都一筆龍の書き手を一筆龍絵師といいます。 現在は、こちらの動画で紹介されている手島啓輔氏の作品が人気で、とても高い評価を受けています。 こちらの動画では、0:05より手島啓輔氏が一筆龍を書いていく映像を見ることができますよ。 とても高い技術や、技法を見ることができるので必見。 また、手島啓輔氏のYoutubeへ投稿した動画がきっかけに、京都一筆龍の海外での注目も高まります。 2014年にはアメリカでパフォーマンスを行い、高い評価を受けています。 動画で見ることができる手島啓輔氏がアトリエで描く、一筆龍の技術や作り方、工程は必見です! 動画で紹介されている「京都一筆龍」の書き方・生産工程 画像引用 :YouTube screenshot 京都一筆龍は胴体だけが、動画の0:05や2:02、3:39、4:44からご覧になれるように、太筆を使用して一筆で大胆に描かれ、頭部や如意宝珠などの細部は4:38からのように細筆で詳細に書かれています。 龍はまず、頭部から描かれ太筆で一気に書き上げます。 現在に受け継がれた一筆龍は、非常にカラフルなのも特徴で動画では、0:05からは赤、2:02からは青、3:39からは金色、4:44からは白を基調とした龍が描かれています。 龍が書き終わると、動画の1:00からご覧になれるように、粉を振るなどの特殊な工法で背景を描いています。 カラフルな龍は黒い画材の上で、今にも動き出しそうな迫力のある作品となっています。 日本伝統の芸術「京都一筆龍」が購入できる場所 画像出典 :京都一筆龍公式サイト 一筆龍には、日本伝統の「京都一筆龍」の他に、日光市の「晄秋家一筆龍」、「日光一筆龍 高瀬」があります。 その他にも、「お守り一筆龍」や「中国一筆龍」などが人気。 購入方法は通販の場合、一筆龍のオフィシャルサイトや楽天、Amazonから注文しましょう。 フルオーダーの場合は、京都一筆龍のオフィシャルサイトに載っている電話番号から依頼できます。桜凜堂では京都一筆龍をその場で描きあげる実演販売もしています。 それぞれの種類やサイズによって値段が変わってきます。 日本伝統の芸術品を手に入れれば、部屋の雰囲気が和風にガラリと変わるはずです! また、縁起物なので、お祝いのプレゼントや贈呈品にも非常に喜ばれるかと思います。 日本伝統の芸術「京都一筆龍」の記事のまとめ 「一筆龍 京都 桜凜堂」が制作する「京都一筆龍 【春夏秋冬】Hitohuderyu」は、日本の伝統文化である京都一筆龍を描いている映像を見ることができます。 とても美しい作品が出来あがる風景に見入ってしまうはず!芸術が好きな人には必見の動画です。 日本伝統の芸術である京都一筆龍。 日本らしい芸術の魅力を堪能しましょう! 【公式ホームページ】京都一筆龍 | 一筆龍絵師 手島啓輔 https://www.onestrokedragon.com/ -
動画記事 4:04
日本の伝統文化である茶道に欠かせない茶道具「茶筌」ってどんなもの?500年の歴史を持つ伝統工芸品「高山茶筌(たかやまちゃせん)」の特徴や歴史を紹介
伝統工芸 歴史- 283 回再生
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「高山茶筌(たかやまちゃせん)」紹介動画について こちらは、日本の伝統工芸品を紹介する「伝統工芸青山スクエア」による、高山茶筌の紹介動画です。 写真:茶筌 日本独自の文化として知られる茶道では、抹茶を点てるために茶筌を使います。 高山茶筌は竹を材料とし、職人の手技によって1つ1つ作られる伝統工芸品。 そんな高山茶筌の魅力や生産工程について動画とともに詳しくご紹介いたします。 伝統文化「茶道」に使われる高山茶筌とは 画像引用 :YouTube screenshot 日本には、長い歴史を持つ伝統工芸品が数多く存在しています。 その種類は漆器や陶磁器、仏壇や織物、和紙や人形細工、竹工や木工などさまざま。そして、茶道に使われる茶道具も、文化的価値の高い伝統工芸品です。 日本伝統文化である喫茶の習慣は平安時代には既に始まっていたといいます。 鎌倉時代になると禅宗の僧である栄西によって日本に茶道が伝わります。 茶道に使われる茶筌(茶筅)の中でも高級な伝統工芸品である高山茶筌は、奈良県の生駒市高山町で作られています。 伝統工芸品「高山茶筌」の歴史や文化的価値 高山茶筌は、室町時代の中期頃から作られるようになりました。 茶筌を所望したのは、侘茶(わびちゃ)の祖とされる村田珠光。 高山領主の子息である高山民部丞入道宗砌(たかやまみんぶのじょうにゅうどうそうせつ)は、この依頼を受けてとっておきの茶筌を作りました。 茶筌は後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)に献上され、愛用されたのだそうです。 江戸時代以降、高山茶筌の作り方は、跡継ぎにのみ伝えられる「一子相伝」の秘伝の手技とされてきました。しかし、のちに16名の弟子にその匠の技が伝えられることになります。 そして現在でも、奈良県高山の職人による手仕事として受け継がれています。 美術品としても愛される「高山茶筌」の特徴や製法 画像引用 :YouTube screenshot 高山茶筌の原料となる竹には淡竹、黒竹、煤竹などの種類があります。 これらの竹の先を何本にも割って補足削り、くるりと巻くようにして固定する技法で作品を仕上げていきます。 丹念に作られた高山茶筌はまさに芸術品です。 「高山茶筌」の工房での制作過程は動画内の0:29過ぎより詳しく紹介されていますので是非こちらをご覧ください。 伝統工芸品「高山茶筌」紹介動画記事まとめ 日本の伝統文化の「茶道」は日本の”わびさび”の心が知れると現在では海外の方にも非常に人気となっていますが、工房で作られるその道具ひとつひとつも伝統工芸品として非常に奥深いものであることがおわかりになられましたでしょうか。 この記事と動画を見て「茶道」と一緒に「高山茶筌」に興味を持っていただければ嬉しいです。 動画を発信している伝統工芸青山スクエアでは、高山茶筌をはじめとしたさまざまな商品を販売しています。 「日本伝統文化に触れたい」「茶の文化を体験してみたい」という方はぜひ伝統工芸品である高山茶筌を購入してみてはいかがでしょうか。 【公式ホームページ】伝統工芸青山スクエア https://kougeihin.jp/ -
動画記事 3:56
日本に古くから伝わる仏教の修行「四国遍路」を体験できる!四国霊場八十八ヶ所の巡礼は日本の歴史や自然に触れることのできる日本遺産だった!
伝統文化 芸術・建築物 歴史- 137 回再生
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四国遍路紹介動画について こちらは、日本の四国遍路についてご紹介する動画「[美しき日本] 四国 四国遍路」です。 四国遍路というのは、徳島・香川・愛媛・高知の四国エリア四県に点在する四国八十八ヶ所霊場を巡る巡拝ツアーのこと。 この日本に古くから伝わる巡礼巡拝の魅力を探ってみましょう。 動画では「四国遍路」の美しい風景を紹介しています。 四国遍路の新緑と青い空をご覧いただき、四国遍路の雰囲気を味わってください。 四国遍路とは? 写真:弘法大師修行像 「お遍路さん」とも呼ばれる四国遍路は、かつて弘法大師空海が修行のために歩いたとされる寺院や霊跡を巡ること。 室町時代頃までは修行僧が巡拝していましたが、江戸時代以降になると庶民も物見遊山や健康祈願のために四国遍路をするようになりました。 四国遍路の道筋に暮らす人々が、お遍路さんをおもてなしするお接待と言う文化も約300年前より受け継がれています。 日本で古くから行なわれてきた四国遍路は、2015年には日本遺産にも選定されました。 四国遍路は、一歩一歩ひたむきに大自然に向き合いながら自らの力で歩きます。 四国遍路巡礼巡拝の方法 写真:四国巡礼者 四国遍路はどの寺院から始めても良いのですが、1番札所から回る「順打ち」をするのが一般的です。 各札所寺院では御本尊様とお大師様にお経を奉納し、そのしるしとして納経帳(御朱印帳)にお納経(御朱印)を授かります。 四国遍路には「同行二人(どうぎょうににん)」という考え方があります。 これは1人でお遍路をしていても常に弘法大師がそばにいて守られているという考え方です。 四国霊場八十八ヶ所巡礼を終えて結願を果たしたら、日本仏教の聖地である高野山奥之院へお礼参りに行く習わしがあります。 四国遍路を満喫するポイント 画像引用 :YouTube screenshot 四国遍路を歩きで巡った場合には、約50日程度の日数がかかります。 各スポットの名所を巡ったり、日本ならではのグルメを楽しんだり、風情ある日本風の宿に泊まったりしながら、自身のペースで巡礼巡拝を進めていきましょう。 動画内では随所でお遍路を行う方の姿や、大自然の四国遍路の風景が映し出されています。 あなたのお気に入りの風景もきっと見つかるはずです。 四国遍路はどんな服装で行なっても良いのですが、修行の身であることを示すために白装束と輪袈裟を身につける方が多いもの。気候が悪いときのために遍路傘をかぶり、金剛杖を手に持てば身も引き締まりますよ。 四国遍路紹介動画まとめ 寺院を巡りながら自然の中を歩く四国遍路は、かけがえのない体験となるはずです。 日本で古くから実践されてきた深い歴史をもつ四国遍路は、日本文化を体験してみたい方におすすめですよ。 動画でも紹介されているような美しい自然に囲まれ、そして人々の暖かさに触れれば、あなた自身の新しい発見が見つかるのではないでしょうか。