[画像1]【長八記念館】松崎出身で江戸時代に左官の名工として名をあげた、入江長八の作品がご覧いただけます。 入江長八は、23歳で江戸へ出て、狩野派の絵を学びながら、彫塑の技を修めて、これを左官の業に応用し、漆喰
[画像2]【長八記念館】松崎出身で江戸時代に左官の名工として名をあげた、入江長八の作品がご覧いただけます。 入江長八は、23歳で江戸へ出て、狩野派の絵を学びながら、彫塑の技を修めて、これを左官の業に応用し、漆喰
[画像3]【長八記念館】松崎出身で江戸時代に左官の名工として名をあげた、入江長八の作品がご覧いただけます。 入江長八は、23歳で江戸へ出て、狩野派の絵を学びながら、彫塑の技を修めて、これを左官の業に応用し、漆喰
[画像4]【長八記念館】松崎出身で江戸時代に左官の名工として名をあげた、入江長八の作品がご覧いただけます。 入江長八は、23歳で江戸へ出て、狩野派の絵を学びながら、彫塑の技を修めて、これを左官の業に応用し、漆喰
[画像5]【長八記念館】松崎出身で江戸時代に左官の名工として名をあげた、入江長八の作品がご覧いただけます。 入江長八は、23歳で江戸へ出て、狩野派の絵を学びながら、彫塑の技を修めて、これを左官の業に応用し、漆喰

【長八記念館】
松崎出身で江戸時代に左官の名工として名をあげた、入江長八の作品がご覧いただけます。 入江長八は、23歳で江戸へ出て、狩野派の絵を学びながら、彫塑の技を修めて、これを左官の業に応用し、漆喰とコテで絵を描く長八独自の芸術を完成させた人物です。

長八は、江戸で精力的に仕事をしていましたが、当時の江戸は火事が多く殆どが焼失し、残った作品も震災・戦火で失われてしまったため、現存する作品は、松崎町に残る作品を除くと、極めて少数です。

記念館は、浄土真宗西本願寺の末寺である浄感寺内にございます。 といいますのも、長八が浄感寺再建(弘化2年)にあたり、江戸から弟子2名を引きつれ、寺内に残した天井絵・彫刻・漆喰細工などが作品となっているからです。

また、平成23年(2011年)に『雲龍』と『飛天の像一対』が静岡県有形文化財に指定されました。

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