[画像1]長野県東御市 県宝旧和(かのう)学校校舎この学校は、明治12年(1879)に建てられた。 県内では佐久の中込学校と松本の開智学校に次いで古く、上田・小県地方では最古の学校建築。この校舎は、和村民の熱意

長野県東御市 県宝旧和(かのう)学校校舎

この学校は、明治12年(1879)に建てられた。 県内では佐久の中込学校と松本の開智学校に次いで古く、上田・小県地方では最古の学校建築。

この校舎は、和村民の熱意あふれる教育愛によって建てられました。 心は日本人らしく、知識は西洋の文化をという「和魂洋才」型の人間を育てる ことを目的とした。

⭐︎この写真のポイント⭐︎
 屋根は瓦ぶき入母屋という寺や神社に多く見られる造りで、軒先の鬼瓦に も特色がある(竜虎孔子孟子)。

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19 日前
北国街道「海野宿」 海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成している。 道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里を想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれる。 海野宿の歴史 海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設された。 北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道。 佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。 寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈した。 明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わった。 海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けている。 ⭐︎この写真の見どころ⭐︎  江戸時代の旅籠屋造りの建築物は、2階部分が1階よりも張り出した造りとなっている。 雨の日、旅人が身支度の際に濡れないようにとの配慮だと言われる。