[画像1]空知神社真夏の強い日差しの日でも、ここは木々に囲まれ木陰が多くあるからか、いつも少しひんやり涼ませてくれる。 昔から受け継がれてきた伝統と雰囲気がどこか心を落ち着かせてくれる場所が美唄の中心地にある“
[画像2]空知神社真夏の強い日差しの日でも、ここは木々に囲まれ木陰が多くあるからか、いつも少しひんやり涼ませてくれる。 昔から受け継がれてきた伝統と雰囲気がどこか心を落ち着かせてくれる場所が美唄の中心地にある“
[画像3]空知神社真夏の強い日差しの日でも、ここは木々に囲まれ木陰が多くあるからか、いつも少しひんやり涼ませてくれる。 昔から受け継がれてきた伝統と雰囲気がどこか心を落ち着かせてくれる場所が美唄の中心地にある“
[画像4]空知神社真夏の強い日差しの日でも、ここは木々に囲まれ木陰が多くあるからか、いつも少しひんやり涼ませてくれる。 昔から受け継がれてきた伝統と雰囲気がどこか心を落ち着かせてくれる場所が美唄の中心地にある“

空知神社

真夏の強い日差しの日でも、ここは木々に囲まれ木陰が多くあるからか、いつも少しひんやり涼ませてくれる。 昔から受け継がれてきた伝統と雰囲気がどこか心を落ち着かせてくれる場所が美唄の中心地にある“空知神社”。

屯田砲兵隊が明治24年に配置され、屯田騎兵隊、工兵の特科隊移住による開村と同時に神社が創祀されました。
その後、神社を造営され改称や移転などを経て現在に至っています。

真夏の強い日差しの日でも、ここは木々に囲まれ木陰が多くあるからか、いつも少しひんやり涼ませてくれる。 昔から受け継がれてきた伝統と雰囲気がどこか心を落ち着かせてくれる場所が美唄の中心地にある“空知神社”。

屯田砲兵隊が明治24年に配置され、屯田騎兵隊、工兵の特科隊移住による開村と同時に神社が創祀されました。
その後、神社を造営され改称や移転などを経て現在に至っています。

空知神社では、神事はもちろん様々な催事などが行われており、なかにはとてもユニークな取り組みもあります。 それが“腕輪守りづくり体験”です。
宮司から解説と作り方を学びながら、自分で考えデザインし、ひとつひとつ自らの手で作ることができます。
作り終えたら、お宮へ移り“神前祈祷”が行われ終了。 とても貴重な時間を過ごすことができます。
※腕輪守りづくり体験は要予約制となっております。

そしてもう一つご紹介したい取り組みがアジサイ。
地域の有志や団体が中心となり、空知神社横の遊歩道に植樹を行い、美唄の名所をもう一つ増やそうとされています。
全体に見ごろを迎えるのは数年後になるでしょうが、見ごろを迎えたときにはまた詳しくご紹介したいと思います。

ちょっと日常に疲れていたり、日本の伝統に触れたい方など美唄へ立ち寄ったら、是非空知神社へお越しください。

次のSNS投稿
2023年11月23日
美唄市郷土史料館 今の美唄を知るうえで欠かせないものが“歴史”であり、唯一のオリジナル(らしさ)です。 市内には、歴史を感じ、見て、体験できるものなどたくさんありますが、もう少し深く知ったうえで市内を訪れてみると、感じ方や見かた、納得する場面や疑問に思うこともきっと変わってくると思います。 “美唄市郷土史料館”を訪れると、美唄と呼ばれる前の時代から炭鉱・生活・文化を知ることができ、少しだけ現在から未来を感じてもらえる施設です。 このページでは、資料館の紹介というよりは、資料館に残されている歴史の一端をご紹介します。 ピパ・オ・イ(川真珠貝が・たくさん・いるところ)とアイヌ語地名で呼ばれた美唄は、地質学者のベンジャミン・スミス・ライマンによる「美貝煤田測量報文」以来には美貝と呼ばれ、屯田兵が配備される頃には沼貝村(アイヌ語地名の翻訳)そして、現在の美唄へと開拓が進んでいきました。 美貝と一般的に用いられていた頃に計画されたのが樺戸空知間新道(樺戸道路及び道道月形峰延線)の開通で、空知・樺戸両集治監を結ぶ重要な道路であり、上川仮道路(国号12号線)が竣工した翌日に着工されました。 両工事ともに集治監の囚人たちよって開削され、湿地帯の沼を直線で結ぶ工事や土・砂利などの手そり運搬などかなり困難な内容でしたが、着工から1年で完成させ、その後、移住が始まり沼貝村が設置された翌年に屯田兵が配備され、屯田兵屋建築に着手する大工や人夫なども増え、定住者も増加するうえで商業も繁盛していきました。 屯田兵の解隊後、移住農民も増え農業開拓も進むころ、アメリカ人地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンの調査地域を中心に試掘して美唄炭田の開発が進められ、鉱区権を転々としながらも坑夫やその家族などを含めて炭鉱集落も形成されていきます。 大正2年に飯田美唄炭鉱開鉱と、翌年に鉄道の開通で炭山市街地の我路町が誕生し、鉄道開業時には旅館・飲食店・湯屋・理髪店・などその他あらゆる種類の商店が並び、その前年の美唄市街地戸数に匹敵する戸数が美唄川上流域に建てられました。 その後、三菱美唄炭鉱が買収し1万人を超える従業員となります。 昭和に入り現南美唄町にあった日本石油光珠炭鉱を日本二大財閥の一つである三井(三井鉱山㈱)の買収により三井美唄炭鉱が誕生。 国内炭鉱別出炭量で、上位10炭鉱に三菱美唄と三井美唄が入り、一市町村単位で生産高十位以内の巨大炭鉱が二つ入っているのは全国でも美唄だけでした。 三井美唄炭鉱は昭和38年、三菱美唄炭鉱は昭和48年に閉山となりますが、最盛期の東部山麓一帯は不夜城の状態で、炭都(石炭の都)美唄と呼ばれたゆえんです。
前のSNS投稿
2023年11月23日
ラムサール条約登録湿地 宮島沼 4月中旬の午前4時、まだ日も上がらない冷えきった早朝に、望遠カメラを肩からさげて市内外問わず人々が集まってくる。 あたりは田畑がひろがり、奥に見える樺戸山脈は残雪で白く輝いている、そんな場所に宮島沼があります。 大空を埋め尽くす渡り鳥。 春と秋、宮島沼の朝は約6万羽の渡り鳥で覆われます。 美唄市宮島沼は、マガンの国内最北・最大の中継地となっており、シベリアへ向けて旅立つまえに沼周辺の落ち穂をついばみ、エネルギーを蓄えるのです。 世界的に貴重な環境であることから、平成14年11月18日に国内13番目のラムサール条約登録湿地となりました。 マガンは早朝になるとエサである落ちモミを求めて周辺の田んぼに向かって一斉に飛び立ちます。 このことを「ねぐら立ち」といい、マガンが水面からはがれるように飛び立つ様子は迫力満点。 私たちの頭上をマガンたちが覆いつくしてくれます。 ねぐら立ちしたマガンが、夕方になると田んぼからV字編隊を作って沼に戻ってくる「ねぐら入り」もまた一見の価値があります。 2017年に公開された映画「生きとし生けるもの」にもマガンのねぐら立ちが使用されています。 マガンの見頃は春と秋で、春のピークは4月下旬で秋のピークは9月下旬。 マガンのほかにもコハクチョウ、オナガガモ、オオハクチョウなどの水鳥を観察することができます。 観察小屋や目隠しの木造柵も設置されているので、ぜひ一度来てみてください。