[画像1]【鳥居峠 -とりいとうげ-】♢概要木曽街道の奈良井宿の薮原宿を結ぶ約6kmの山道。江戸の旅人にとって、わらじ履きの足を泣かせる中山道屈指の難所として有名でした。現代では趣き豊かなトレッキングコースとし
[画像2]【鳥居峠 -とりいとうげ-】♢概要木曽街道の奈良井宿の薮原宿を結ぶ約6kmの山道。江戸の旅人にとって、わらじ履きの足を泣かせる中山道屈指の難所として有名でした。現代では趣き豊かなトレッキングコースとし
[画像3]【鳥居峠 -とりいとうげ-】♢概要木曽街道の奈良井宿の薮原宿を結ぶ約6kmの山道。江戸の旅人にとって、わらじ履きの足を泣かせる中山道屈指の難所として有名でした。現代では趣き豊かなトレッキングコースとし
[画像4]【鳥居峠 -とりいとうげ-】♢概要木曽街道の奈良井宿の薮原宿を結ぶ約6kmの山道。江戸の旅人にとって、わらじ履きの足を泣かせる中山道屈指の難所として有名でした。現代では趣き豊かなトレッキングコースとし
[画像5]【鳥居峠 -とりいとうげ-】♢概要木曽街道の奈良井宿の薮原宿を結ぶ約6kmの山道。江戸の旅人にとって、わらじ履きの足を泣かせる中山道屈指の難所として有名でした。現代では趣き豊かなトレッキングコースとし
[画像6]【鳥居峠 -とりいとうげ-】♢概要木曽街道の奈良井宿の薮原宿を結ぶ約6kmの山道。江戸の旅人にとって、わらじ履きの足を泣かせる中山道屈指の難所として有名でした。現代では趣き豊かなトレッキングコースとし
[画像7]【鳥居峠 -とりいとうげ-】♢概要木曽街道の奈良井宿の薮原宿を結ぶ約6kmの山道。江戸の旅人にとって、わらじ履きの足を泣かせる中山道屈指の難所として有名でした。現代では趣き豊かなトレッキングコースとし
[画像8]【鳥居峠 -とりいとうげ-】♢概要木曽街道の奈良井宿の薮原宿を結ぶ約6kmの山道。江戸の旅人にとって、わらじ履きの足を泣かせる中山道屈指の難所として有名でした。現代では趣き豊かなトレッキングコースとし

【鳥居峠 -とりいとうげ-】

♢概要
木曽街道の奈良井宿の薮原宿を結ぶ約6kmの山道。
江戸の旅人にとって、わらじ履きの足を泣かせる中山道屈指の難所として有名でした。
現代では趣き豊かなトレッキングコースとして大人気。国内外から多くの人がこの峠をウォーキングしています。
頂上から西に御岳山、東に木曽駒ケ岳を望むことができ、古道の途中には松尾芭蕉をはじめ俳人・歌人の句碑や石仏が数多く立っています。
戦国の世は木曽氏・武田氏の戦場となり、江戸末期には皇女和宮が降嫁の旅で通過した歴史の峠です。

鳥居峠紹介動画 リンク(YouTube)

♢桧笠と熊鈴の無料貸し出しを行っています!
このサービスは、特に中山道の藪原⇔奈良井間を歩く方のために、江戸の旅人スタイルを体験できるサービスです。
漢字で描かれた伝統的なオリジナル檜笠は、江戸の旅人の心情を感じさせてくれる、まさに旅のパートナーとなるでしょう!
体験だけでなく、写真映えする記録も欲しいという方にも!

【そもそも檜笠とは?】
檜笠は、木曽地方の伝統工芸品の一つです。「実用的なファッションアイテム」「江戸時代から続く日傘・日よけ」として、今もなお地元の方にも旅行者にも親しまれています。

【体験方法】
下記の観光案内所で体験できます。商品をご返却いただければ、預かり金は全額返金いたします。
⚠紛失・破損した場合、保証金は返金されません。(濡れていても問題ありません。)

●貸し出し場所 ①奈良井宿観光案内所 ②藪原宿にぎわい広場・笑ん館
③木祖村観光案内所

●住所 ①塩尻市奈良井497-3 ②木祖村薮原1019-1 ③木祖村薮原196番地

●TEL ①0264-34-3160 ②0264-36-3020 ③0264-36-2543

●営業時間 ①9:00-17:00 ②8:30-17:00 ③9:00-17:00

●休業日 ①年末年始 ②毎週火曜日 ③毎週月曜日

●返金可能なデポジット 2000円 / 1点あたり

●お支払方法 現金のみ

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2025年10月27日
【塩尻を代表する2大ローカルグルメ  山賊焼と信州そば】 ------------------------------------------------------------------------- 【山賊焼 -さんぞくやき-】 実は塩尻発祥! 豪快な見た目でSNSでも話題の山賊焼 鶏のもも肉1枚まるごと豪快に揚げた山賊焼は実は塩尻市内の飲食店山賊がルーツ。 初代店主夫妻が苦心の末、調理方法を完成させました。 当時の映画「七人の侍」のシーンで、にわとりをほうばる山賊の姿、近くに峠がある立地、更には何と! 夫妻ともに山賊のような風貌をしていたことから店名を「山賊」と名付け、料理を「山賊焼」としたと言われています。 -------------------------------------------------------------------------- 【そば】 そば好きなら知っていたい! 「そば切り」発祥の地、塩尻・本山宿 その昔「そば」と言えば団子状で、現在で言うところの「そばがき」に近い形のものでした。 私たちが「そば」と聞いて思い浮かべる細長く切った麺は「そば切り」と呼ばれ、団子状のものとは区別されていたようです。 その「そば切り」発祥の地は現在の塩尻市の本山宿。 中山道の宿場町として多くの旅人が訪れる場所でもあったこの本山宿で生まれたそば切りが、街道を通じて全国に広まっていったと言われています。 塩尻市はもともと、気温の日較差・年較差が大きく良質なそばの栽培に向く土地柄ということもあり、古くからそばが栽培されていたようですが、本山宿のそば切りについての最も古い文献は、宝永2年(1705)に森川許六が編んだ俳文選集「風俗文選」内、雲鈴の記述に見られます。 そこには「蕎麦切といつぱ、もと信濃國、本山宿より出て、あまねく國々にもてはやされける」と記されています。