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動画記事 14:55
AI技術を使えば、100年以上前の日本を撮影したフィルムもカラーで蘇る!大正時代の日本人の生活や観光地の様子を収めた貴重な動画をチェック!
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こちらの動画は「Pearbook」が公開した「 【速度修正 + カラー補正】カラー化映像でよみがえる1919年の日本の生活」です。 この動画には、日本の古いモノクロフィルムをAIでカラー化する特殊技術が使われています。 動画で紹介されているのは1919年、大正時代の日本の様子です。 着物姿で生活する日本人の姿のほか、当時の市場の光景やアイヌの人たちとの交流といった貴重な映像も残されています。 また、松島や函館、日光など現在でも人気を集める日本の観光地の様子も収められています。 映像技術が発達していなかった100年以上前の日本の様子をカラーで見られるというのは、かなり画期的な試みといえるでしょう。 -
動画記事 8:30
実際に忍者が暮らしていた甲賀流忍術屋敷をご紹介。歴史ある屋敷内で忍者の仕掛けを体感しよう
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こちらの動画は「isouei」が公開した「【日本唯一本物】 甲賀流忍術屋敷(日本語)」です。 動画では滋賀県甲賀市にある「甲賀流忍術屋敷 」の様子が紹介されています。 甲賀流忍術屋敷は甲賀流忍者・甲賀五十三家の筆頭格甲賀望月氏本家の旧邸です。 江戸時代元禄元年に建てられた本物の忍者屋敷です。 室内には手裏剣や刀の展示もされており、動画でもご覧いただけます。 屋敷の随所にどんでん返しやからくり窓など、忍者屋敷ならではの特徴をみることができます。 是非動画でご確認ください! -
動画記事 15:03
日本の歴代の天皇全125代をご紹介します。2019年に「令和」の時代が始まり、日本は新たな時代の幕開けとなった。
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こちらの動画は「Yasaka Hastur」さんが公開した「歴代天皇125代.」です。 「歴代天皇125代.」の動画は、日本の歴代天皇を約15分で紹介する動画です。 初代神武天皇から、現在は上皇陛下となられた125代天皇(動画は2012年制作なので今上天皇として紹介)までを、肖像と実名、即位期間とともに紹介します。 令和になった現在は、126代今上天皇が即位されています。 動画を視聴すると、歴代天皇の長い歴史を静かに感じることができるでしょう。 14:00からは上皇陛下と皇族の方たちの写真も紹介されます。 -
動画記事 4:35
青森県青森市の特別史跡「三内丸山遺跡」は日本最大級の縄文時代の遺跡!見どころが詰まった動画で歴史ロマンを堪能しよう
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青森県青森市の特別史跡「三内丸山遺跡」動画紹介 こちらで紹介する「marugotoaomori」が制作した「【青森の魅力】特別史跡三内丸山遺跡 - 地下に真実 地上にロマン」は、青森県にある大規模な縄文時代の集落跡を撮影したものです。 集落跡に加えて、さまざまな出土品やイベントなど、歴史を学べる素晴らしい観光施設になっています。 この記事では、青森市にある特別史跡三内丸山遺跡の魅力を紹介します。 特別史跡三内丸山遺跡とは 写真:三内丸山遺跡 特別史跡三内丸山遺跡は、青森県青森市にある日本で最大級の縄文時代の遺跡です。 今から約5,900年前から約4,200年前の縄文時代の前期から中期の大規模な集落跡です。 縄文人が約1,000年の間定住していたと言われています。 復元大型竪穴建物や復元大型掘立柱建物などの復元建物を見ることもでき、当時の暮らしを想像できます。 こちらの建築物は動画の0:41よりご覧になることができます。 復元建物以外にも、さまざまな発掘品もご覧になれます。 土器や土偶にアクセサリーなど当時の暮らしに欠かせなかった遺物が展示されています。 レストランや売店もあるので、休憩しながらいろいろなものを鑑賞できます。 交通アクセスは、JR青森駅から車で約20分。 市営バスで約30~40分です。 入場料は、一般が410円、高校生・大学生は200円、中学生以下が無料となっています(※2020年4月時点)。 特別史跡三内丸山遺跡で必ず見ておきたい復元大型掘立柱建物 画像引用 :YouTube screenshot 動画の1:08からご覧になれる復元大型掘立柱建物は巨大な柱が特徴の約15mの高さがある建物。 直径2mの大きな穴に栗の木を埋めて建てられました。 柱と柱の間隔はきちんと測って造られておりその長さは4.2m、長さの単位は35cmとなっています。 使用用途は不明で謎に包まれていますが、物見やぐら、灯台、神殿として使われていたのではないかとボランティアガイドは語ります。 縄文時代当時の高さは復元建物の15mより高く、約20mほどあったと言われています。 特別史跡三内丸山遺跡には六本柱建物跡以外にもさまざまな遺構が存在します。 一般の住民が暮らしていたといわれている竪穴式住居跡や、高床式建物であった可能性が高い掘立柱建物跡(高床式倉庫跡)などを見ることができます。 共同作業場や集会場として使われていたと思われる復元大型竪穴建物の内部も見学することができ、動画では1:00よりご覧になれます。 村の長の墓と言われている環状配石墓も見どころのひとつです。 特別史跡三内丸山遺跡の見どころ 画像引用 :YouTube screenshot 2:11からご覧になれる縄文の丘三内丸山まほろばパーク内にある「さんまるミュージアム」や縄文時遊館、三内丸山遺跡センターでは、特別史跡三内丸山遺跡から出土した遺物が約1,700点展示されています。 釣り針や魚の骨、イヤリングなどの装飾品を見ることができます。 縄文の人たちはさまざまな道具を使って農耕や食料を調達し調理をし、アクセサリーで自分を美しく飾るなど高い文化を持っていたことが想像できます。 青森市にある特別史跡三内丸山遺跡では、ものづくりができる体験工房もあります。 板状土偶づくりや再生琥珀のペンダントづくり、組紐体験などさまざまな縄文時代を楽しめるメニューが充実しています。 特別史跡三内丸山遺跡の記事のまとめ 画像引用 :YouTube screenshot 「marugotoaomori」が制作する、「【青森の魅力】特別史跡三内丸山遺跡 - 地下に真実 地上にロマン」は、青森市にある特別史跡三内丸山遺跡を紹介している動画です。 見晴台や物見やぐらの役割をしていたと想像できる約15mもある復興建物など、見どころがたくさんありますよ。 さまざまな遺構や出土品などが見られるので歴史好きには必見のスポットです! ◆特別史跡三内丸山遺跡 施設概要紹介◆ 【住所】〒038-0031 青森県青森市大字三内丸山305 【交通アクセス】JR青森駅から車で約20分 【入館料金】一般が410円、高校生・大学生は200円、中学生以下が無料(※2020年4月時点) 【営業時間】9:00~17:00 【休館日】毎月第4月曜日 【駐車場】500台あり 【電話番号】017-766-8282 【公式ホームページ】特別史跡「三内丸山遺跡」 https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/ 【トリップアドバイザー】三内丸山遺跡 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298241-d324336-Reviews-Sannai_Maruyama_Site-Aomori_Aomori_Prefecture_Tohoku.html -
動画記事 6:42
幕末・江戸時代の伝説のサムライたちの姿が収めた貴重な映像!多くの外国人の心を引き付ける侍文化を堪能する!
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こちらの動画は「マジ話チャンネル」が公開した「【驚愕】発見された「日本最後の侍」の写真が凄すぎる!嘘のような本当の写真 江戸時代 幕末 伝説のサムライたちがヤバイ」です。 日本に写真の技術が持ち込まれたのは江戸時代末期のことです。 なんと日本には、明治維新の時期から明治期にかけて撮影された侍の写真が残されているのです。 動画で紹介されている写真を撮影したのは、フェリーチェ・ベアトや日下部金兵衛といった写真技術者たち。 彼らは、現在の日本には存在していないかつての侍の姿を、写真として残していました。 動画の3:33には人気志士の坂本龍馬を撮影した写真も紹介されています。 ぜひ動画を見て、日本の侍ならではのかっこいい衣装を堪能しましょう。 -
動画記事 5:09
江戸後期(幕末)から明治時代の日本を写真で!写真で見る19世紀の日本
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こちらの動画は「shibumihungary」が公開した「Photos from 19th century Japan」です。 この写真は、ハンガリーのShibumi dojoさんが収集した19世紀の日本の写真です。 日本で19世紀というと江戸時代後期から末期(幕末)から明治時代に当たります。 この時代に生きる人たちは、現代を生きる私たちから見ると、だいぶ遠い存在に感じられるかもしれません。 しかし、動画の写真を見ていると、19世紀を生きた人々の姿が生々しくリアルに感じられます。 髪型や服装など、現在とは大きく違う当時の日本人の姿。 粋でかっこいい!と国内外から注目を集めています。 -
動画記事 16:34
北は北海道、南は沖縄までその数160!古代から江戸時代とあらゆる時代の日本のお城を一挙に紹介
歴史- 48 回再生
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こちらの動画は「S. ENDO」が公開した「日本の城めぐり~日本100名城を含む160城」です。 日本にはかつて2万5千以上もの城があったといわれています。 その種類は山城から平城までさまざま。 動画では古代から近世に至るあらゆる時代のお城(またはお城跡)を紹介。 その数なんと160。 この中には日本百名城や現存天守、日本三大山城も含まれています。 北海道から沖縄まで、さまざまなお城を紹介する動画を見ると、一言でお城といってもその形態は実に多様。 しかし何と言っても一番城が多かった時代は戦国時代。 今の私たちがお城と聞いてイメージするのもこの時代のお城です。 -
動画記事 1:45
鉄砲伝来の地、鹿児島県種子島はどんな観光名所?種子島銃に関するスポットを巡る歴史観光を楽しんでみよう!
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鹿児島県種子島の「鉄砲期」に関する動画をご紹介! こちらの動画は、読売新聞オンラインが制作した【史書を訪ねて「鉄砲記」 鹿児島・種子島】です。 こちらの動画で紹介されている鹿児島県種子島は、日本に初めて鉄砲が伝来した地として知られます。 動画冒頭には美しい種子島門倉岬のドローン空撮映像が収録されています。 豊かな自然風景と鉄砲伝来の歴史をご堪能ください。 鹿児島の種子島に鉄砲が伝来したのはいつ? 写真:火縄銃を持った鎧武者 鹿児島県種子島は鉄砲伝来地として知られるスポット。 1543年(天文12年)に種子島に漂着したポルトガル人によって、鉄砲とともに製造技術や射撃法などが伝えられました。 動画の0:27からは、鹿児島県種子島にある鉄砲伝来の記念碑や鉄砲像が紹介されています。 種子島に伝わった鉄砲はマッチロック式と呼ばれる大筒の銃器で、種子島銃とも呼ばれます。 鉄砲伝来と同時期の1549年(天文18年)には、ヨーロッパ人宣教師によって日本にキリスト教も伝えられました。 鹿児島県種子島の鉄砲に関するスポットとは? 画像引用 :YouTube screenshot 動画の0:41で紹介されている種子島総合開発センター鉄砲館の近隣には、初めて鉄砲を発砲したという種子島時尭の銅像もありますよ。 種子島時尭は火縄銃の国産化を果たしたことでも知られます。 動画の1:17から映されている八板金兵衛清定は、鉄砲を複製し、また鉄砲の発砲に必要なネジを開発したと伝わる人物です。 これによって鉄砲の量産が可能となり、戦国時代には多くの武将が安価な値段で鉄砲を手に入れられるようになりました。 鹿児島県の種子島を訪れてみよう! 写真:鹿児島県・種子島の洞窟 種子島には動画に紹介されている鉄砲伝来に関するスポットのほかにも、種子島宇宙センター宇宙科学技術館や赤尾木城文化伝承館月窓亭をはじめとした多くの観光スポットがあります。 喜志鹿崎や浦田海水浴場、馬立の岩屋や千座の岩屋、アコウの木のアーチといった自然豊かなスポットもぜひ訪れてみましょう。 種子島では毎年鉄砲祭りが開催され、多くの観光客で賑わいますよ。 鹿児島県種子島の鉄砲伝来に関する動画まとめ 写真:鹿児島県・種子島 鹿児島県の種子島は、動画を見ても分かるようにとても自然豊かで魅力的なスポットです。 ぜひ種子島で鉄砲伝来に関する観光スポットをめぐって、その深い歴史を感じてみましょう。 鉄砲やキリスト教伝来についてさらに詳しく知りたい方は、長崎県五島列島に訪れるのもおすすめです。 【公式ホームページ】学びを遊ぶ、南の島「種子島」 | 種子島観光協会 http://tanekan.jp/ -
動画記事 3:26
長野県飯田市の大平宿には古きよき日本の原風景が残る人気スポット!大平宿が作られた歴史や衰退した経緯、そして宿泊施設として保存される現在の姿を追う。
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長野県飯田市「大平宿」観光動画紹介 まずはこちらの「ひろくん起稿」が制作した動画【江戸時代の町並みが残る長野県「大平宿」】をご覧ください。 まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようなこの動画。 こちらは長野県飯田市にある大平宿(おおだいらじゅく)と呼ばれる観光スポットです。 大平宿とは何?歴史は?この記事では人気観光スポットの大平宿のご紹介をいたします。 長野県の大平宿はなぜ作られた?その歴史とは 画像引用 :YouTube screenshot 長野県の大平宿は、中山道と三州街道(伊那街道)を結ぶ大平街道の中間地点にかつて存在していた宿場町です。 宝暦4年 (1754年)にお椀やお盆等の木工品を加工、製造する木地師の大蔵五平治と、穀商人山田屋新七が移り住んだことからこの地の歴史が始まります。 動画でご覧になれるように、この地域には現在でも江戸時代末期から明治時代にかけての古い建物が多く現存しています。 伊那谷と木曽谷の間には木曽山脈がそびえており、かつては権兵衛街道を経由して奈良井宿へ行く方法しかありませんでした。 大平街道は、江戸時代中期に伊那谷から中山道へ至る妻籠宿(つまごじゅく)を結ぶため、飯田藩の許可によって開墾が進められました。 長野県の大平宿が衰退した理由とは? 画像引用 :YouTube screenshot 長野県の大平街道が開通すると、元善光寺参りの参拝者が立ち寄る茶屋宿として栄えるようになりました。 明治期には大平第三番小学正道学校や大平郵便局なども設置され、明治末期には中央本線の開通によって物流の要所となりました。 しかし昭和期には清内路村の清内路峠を超える国道265号が開通し、さらに林業も衰退し大平宿の利用者は減少しました。 平成期には前沢荘などが大火災で焼失しました。 動画で紹介されている現在の長野県大平宿の様子とは? 画像出典 :大平宿をのこす会 | 江戸時代の古民家に泊まろう 動画の1:47にあるように、大平宿の住民は昭和45年に集団移住を決定しました。 集団移住集落である大平宿は、廃村となった後に「いろりの里」として観光客が自然体験を楽しめる地に生まれ変わりました。 現在ではNPO法人大平宿を残す会や南信州観光公社の管理により、大平宿の丸三荘は現在でも古民家宿泊施設として活用されています。 集団移住集落を宿泊施設として利用することにより、この貴重な財産を再生・保存をするという目的があります。 一般的な宿泊施設とは異なり、必要なものは自分で用意し、民家の薪や炭で囲炉裏や窯を使って自炊し、退去時には掃除も行います。 大平宿では釣りや自然体験のイベントも不定期で開催されています。 近隣には大平台温泉や観光客向けのホテルなどもあります。 動画では一部朽ち果ててはいますが、当時の日本の暮らしが想像できる様々な古民家が全編に渡り紹介されています。 長野県の大平宿の動画まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 大平宿周辺は夏は涼しく爽やかで、冬場は雪の風景が楽しめる人気の観光地。 昔ながらの民家が残るこの地では、自然溢れるインスタ映えする風情ある写真が撮れるかもしれません。 動画にあるような古きよき山里の雰囲気を楽しみたい方は、長野県の大平宿周辺へ出かけてみてはいかがでしょうか。 ◆大平宿 施設概要紹介◆ 【住所】〒395-0045 長野県飯田市上飯田7929 【交通アクセス】中央自動車道 飯田ICより車で60分。※バス電車などの公共交通機関はありません。 【宿泊料金】1人 2,300円 【駐車場】あり 【電話番号】南信州観光社 0265-28-1747 【公式ホームページ】南信州観光公社 https://www.mstb.jp/ 【トリップアドバイザー】大平宿 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1021319-d7037774-Reviews-Odairajuku-Iida_Nagano_Prefecture_Koshinetsu_Chubu.html -
動画記事 2:14
羽田空港内で忍者と侍がガチンコバトル!プロスタントマンが魅せるド迫力の殺陣の一部始終が息するのも忘れるくらい凄い!
歴史- 45 回再生
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こちらの動画は「Samurai Film Fighting」が公開した「Ninja experience in Tokyo International Airport Haneda. 羽田空港で忍者体験」です。 こちらの動画では、あの羽田空港で侍と忍者が圧倒的な迫力のある殺陣を繰り広げている様を見ることが出来ます。 これは羽田空港のPR動画となっており、羽田空港内でプロスタントマン達がそれぞれ忍者と侍に扮してアクションの撮影をされています。 本当に戦っているのではないかという迫力があり、まさに鬼気迫るといった言葉がふさわしい動画となっています。 この動画では、そんなプロスタントマンが繰り広げる忍者の殺陣を見ることが出来るので、気になる方は是非ご覧下さい。 -
動画記事 1:13:55
日本時計の最高傑作品「万年時計」の秘密を探る!制作者の田中久重は日本のエジソンと呼ばる発明家で東芝創設者の一人!
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こちらの動画は「Kaoru GreenEmerald」が公開した「田中久重の万年時計【Full & HD】」です。 こちらの動画は田中久重の「万年時計」を紹介する動画です。 江戸時代後期から明治時代にかけて生きた日本の技術者・発明家で、後には東芝の創設者の一人になります。 そのため、日本のエジソン、からくり儀右衛門などと呼ばれていました。 動画で紹介される「万年時計」は天球儀、和時計(時報も)、二十四節気、曜日、洋時計、十干十二支、月齢の7つの機能を備えており、ゼンマイ式です。 一度巻くと、そこから1年間は巻き直す必要なく作動し続けるという驚きの設計で、その部品のほとんどすべてを田中久重が簡単な道具で製作したといわれています。 -
動画記事 2:31
2016年に起きた熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城、現在はどうなっている?深い歴史をもつ美しい熊本城の城郭を再び見られるのはいつになるの?
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こちらの動画は「HEXaMediaヘキサメディア」が公開した「【ドローン空撮】損傷前の熊本城 2013年撮影」です。 熊本城は肥後国に築かれた城郭で、銀杏城とも呼ばれます。 加藤清正によって改築されたのち、幕末まで熊本藩細川家の居城として使われました。 明治期には西南戦争の舞台となり多くの遺構が焼失しましたが、櫓や城門などは現存しており、国の文化財に指定されています。 熊本城は2016年4月14日の熊本地震によって損壊してしまいました。 こちらの動画には、地震の被害を受ける前の熊本城の姿が収められています。 現在熊本城では震災復興の修繕が進められています。 修繕が済んだあとには、また美しい熊本城の姿を見ることができるはずです。 -
動画記事 4:28
現代まで脈々と受け継がれている!忍者が培ってきたノウハウの数々!
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こちらの動画は「JVTチャンネル」が公開した「忍者〜現代に役立つ技〜」です。 走り方や呼吸法など、忍者に関するノウハウを知ることができるのは魅力的。 忍者の技を受け継ぐ最後の1人とされる川上仁一氏や三重大学の教授に就いている山田裕司氏が忍者のことについて分かりやすく説明しています。 4:00の部分で忍者の呼吸法が一部の企業で取り入れられているなど、現代社会において忍者の培ってきたノウハウがどのように活かされているかが分かるのもポイント。 また、0:49の部分では伊賀流忍者博物館に展示されている忍者の道具が映し出されているので、忍者が好きな方は一度視聴することをおすすめします。 -
動画記事 2:33
戦国時代を生きる忍達が大活躍!こだわり抜いたグラフィックとサウンドの融合!
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こちらの動画は「SugarWave」が公開した「【Xbox360】天誅 千乱 OP」です。 1998年から続く天誅シリーズの一作、天誅 戦乱のOPが収録されています。 人によってはゲームを一度でもプレイした経験があるのではないでしょうか? 魅力的なキャラクターが次々と登場し、プレイする意欲を掻き立ててくれます。 使用されている楽曲が作品の雰囲気を盛り上げています。 2006年に登場したゲームですが、美麗なグラフィックは見る価値あり。 カッコよさと美しさを兼ね備えたOPです。 これを機に日本の武将や忍者が活躍するゲームに触れてみると良いかもしれません。 お気に入りのキャラクターが見つかる可能性も十分あります。 -
動画記事 30:42
熊本県を長年支えてきたダムの始まりから終わりまで!84億円かけて行われた荒瀬ダム撤去についての記録!
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こちらの動画は「熊本県企業局」が公開した「荒瀬ダムの撤去 30分版(一部専門家向け)」です。 熊本県に建設された荒瀬ダムが撤去されていく様子を収めています。 発電事業の開始から撤去までの歴史を紹介しているのがポイントです。 撤去工事のスケジュールや内容なども紹介しており、ダム撤去に関する専門的な知識を身に付けたい方にうってつけです。 もちろん、日本のダムに詳しくなくても十分楽しめる内容に仕上がっています。 普段の生活では中々見られない貴重な場面が見られるので、一度時間を作って視聴することをおすすめします。 -
動画記事 14:22
日本人も知らないことばかり!?韓国メディア「アジアンボス」が紹介する日本のNINJA
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こちらの動画は「Asian Boss」が公開した「Japan’s "Last Ninja" Explains The Naruto Run | EVERYDAY BOSSES #9」です。 アジアンボスは韓国に拠点をおくメディア企業で、アジアのリアルな生活を動画で紹介しています。 「社会と文化のギャップを埋めることを使命」としており、動画によって偏見やステレオタイプをなくすための活動をしています。 ストーリーテリングを通じて、好奇心を持ち続け批判的に考え、世界を一つに近づけるために行動を起こすことに挑戦しています。 アジアンボスのヒロコさんが紹介するのは、天満宮で忍者として活動をするカワカミさんです。 カワカミさんが手を使って表現する「印」は仏教の思想に根付いたものとされています。 -
動画記事 5:24
愛知県の名所を舞台に繰り広げられる迫力の忍者アクション!名古屋城を目指していた目的とは?
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こちらの動画は「【徳川家康と服部半蔵忍者隊チャンネル】」が公開した「A late ninja: The real life of professional ninja, Japan 遅刻忍者」です。 こちらの動画では、仲間からの呼び出しに遅刻した忍者服部半蔵が敵襲にあいながらも忍術や現代スポーツであるパルクールでかいくぐる様子がご覧いただけます。 動画後半では仲間たちも参戦し、華麗なアクションを繰り広げています。 忍者を演じているのは、愛知県の魅力をPRする目的で結成された「徳川家康と服部半蔵忍者隊」の皆さんです。 主に名古屋城で「おもてなし」と呼ばれる観光客と交流するイベントで活躍されています。 「徳川家康と服部半蔵忍者隊」の熱演を是非動画でご確認ください。 -
動画記事 3:21
愛知県を盛り上げる観光PR隊「武将のふるさと愛知」服部半蔵が教えるとっさに使える護身術で身を守ろう!
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こちらの動画は「徳川家康と服部半蔵忍者隊」が公開した「忍ニン★TUBE [服部半蔵忍者隊流~護身術~ 半蔵編]」です。 徳川家康と服部半蔵忍者隊とは、愛知の観光PR隊として「武将のふるさと愛知」をより一層盛り上げるため、名古屋城にて毎日修行をしているグループです。 その服部半蔵が紹介してくれる護身術は忍術の一つだそうです。 手首を掴まれたときの護身術は、「相手の手の甲に向かって腕を動かす」というものです。 この行為によって相手は掴むことが困難になりますので、動画の中で確認ください。 特に方から腕を動かすことがこの護身術のコツになります。 -
動画記事 1:48
華麗な技で観客を魅了!美しさと勇ましさを兼ね備えたくノ一忍者の息を呑む戦い!
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こちらの動画は「jon kabuki」さんが公開した「伊賀忍者集団阿修羅(2)くノ一忍者の技 「鎌&仕込み笛&吹き矢」」です。 くノ一忍者の華麗な技の数々が登場し、見応え十分な一本に仕上がっています。 視聴時間は1:48と短めですが、忙しい時でもカッコいい忍者の活躍が見られるのは魅力的です。 特にくノ一忍者が鎌を見事に使いこなす姿は一度見る価値あり。 カッコいい女性が好きな方におすすめしたいです。 また、くノ一忍者と対決する忍者の身のこなしも目を見張る部分があります。 くノ一忍者のカッコよさを引き立てています。 気になる方は伊賀忍者集団阿修羅の活躍を一度その目で確かめてみてはいかがでしょうか? -
動画記事 3:58
東京の街を忍者が華麗に舞う!不届き者をひっ捕らえる劇的瞬間!
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こちらの動画は「TokyoCatch」が公開した「Parkour Ninja Assassins」です。 3人の忍者が東京に現れた1人の泥棒を捕まえるため、躍動感溢れる動きを見せてくれます。 日本の文化と聞いて、忍者を頭に思い浮かべる方も多いのではないでしょうか? 忍者やアクション映画、時代劇が好きな方は一度視聴することをおすすめします。 視聴時間も3:58と短めなので、空いた時間などに楽しむことができます。 2:48のところでは、忍者が建物から建物を飛び移る瞬間が見られるなど見どころ満載です。 極めつけは3:00の部分。 忍者と泥棒の熱い戦いが楽しめます。 -
動画記事 2:54
これで君も立派な忍者になれる忍者体操!親と子供で一緒に踊ってコミュニケーションを図りながら楽しく運動しよう!
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こちらの動画は「徳川家康と服部半蔵忍者隊」が公開した「忍者体操ふりつけ動画 徳川家康と服部半蔵忍者隊」です。 こちらの動画では、子供に教えたくなるようなキャッチーな忍者体操動画を紹介しています。 忍者のコスプレをした男性達が一度聴いたら耳に残るようなフレーズの曲に合わせて子供から大人まで真似のしやすい体操をされています。 子供にとっても良い運動になると共に、親御さんも一緒にすることで、子供とのコミュニケーションが図れると共に、いい運動にもなります。 この動画では、そんな忍者体操を最初から最後まで教えてくれる内容となっているので、気になる方はぜひご覧下さい。 -
動画記事 3:56
戦後75年の今でも戦争の傷跡が多く残る東京都の「硫黄島」。太平洋戦争の激戦地は当時の悲惨な状況を現在に伝える。
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硫黄島の戦跡を紹介する動画について こちらの動画は「時事通信トレンドニュース」が制作した「硫黄島の戦跡を巡る=灼熱の地下壕、集団埋葬地」です。 第二次世界大戦は日本に数多くの傷跡を残しました。 しかし、戦後多くの史実が捻じ曲げられて伝えられることもあり、未だ太平洋戦争のそして旧日本軍の本当の姿を知らない方も多くいます。 硫黄島に残された痛ましい戦跡もその一つ…。 昭和の頃は日本唯一の本土決戦の地は沖縄だと教えられてきました。 しかし、沖縄よりも前に激しい陸戦が行われたのが太平洋に位置する小笠原諸島の周囲12kmしかない小さな硫黄島でした。 この硫黄島には戦前は多くの民間人が住んでいましたが、戦争によって硫黄島は稀に見る激戦地となり、本土引き上げが間に合わなかった民間人と栗林忠道中将を中心とする守備隊の多くは戦死したのです。 渡辺謙、嵐の二宮和也が出演した映画「硫黄島からの手紙」は硫黄島の激戦を伝える数少ない映画の一つです。 こちらの記事では現在の硫黄島を紹介している動画に沿って、硫黄島の歴史を紹介します。 硫黄島とは?硫黄島上陸計画は日本本土攻略の要石だった? 写真:硫黄島 硫黄島とは東京都小笠原村の一つ。 東京23区内からはおよそ1,200kmに位置する小さな火山列島で今も噴火を繰り返しています。 動画の冒頭0:06からは硫黄島の北部にある米軍が制作した壁画をご覧になれます。 硫黄島に上陸した海兵隊員が擂鉢山に星条旗立てる有名な場面がモチーフとされていますが、この人達だけがヒーロー扱いされていたことに憤慨しこの壁画に米軍が銃弾を撃ち込んだそうです。 動画では戦跡として、動画の1:45からは被弾して抉れた(えぐれた)砲身を晒すアームストロング砲や不発弾、動画の3:33からは米軍が廃棄したシャーマン戦車の残骸など生々しい戦跡が映し出されています。 画像引用 :YouTube screenshot アメリカ軍による硫黄島上陸計画はデタッチメント作戦と呼ばれました。 開戦当初から日本軍と連合国軍の兵力は歴然とした差がありました。 これに対し、旧日本軍は動画の1:16からご覧になれるような地下壕に潜伏し、ゲリラ戦法で戦力差を補いつつ戦いました。 しかし、活火山である硫黄島の地熱は高く、地下壕は灼熱地獄の様相を呈していたと言われています。 動画でも0:40頃から病院として使われていた戦跡の一つ、海軍医務科壕の奥に入ると地下熱でカメラのレンズが一瞬で曇ることからも、いかに過酷な状態であったのかが伺えます。 また海底火山から出る有毒ガスが突撃壕に充満し、危険な状態での防衛戦術だったと伝えられています。 旧日本軍はアメリカ軍と硫黄島の自然環境の二重の苦難にさらされながら、3日でケリがつくといわれていた硫黄島の戦いを約1ヶ月も粘り抜いたのです。 これだけの時間を硫黄島に費やしたことは、アメリカ軍にとって硫黄島が日本本土攻略においての重要拠点であったかということを物語っています。 今に残る硫黄島の戦跡を巡る見学会 写真:硫黄島 現在は観光で一般人が硫黄島を訪れることはできませんが、年に1度だけ硫黄島3島の戦跡を巡る見学会が催行されています。 公開されているのは集団埋葬地、戦後米国のプロパガンダに使われ生き残りの米兵が銃弾を打ち込んだと言われている壁画、大阪山砲台、遺骨収容場などの戦跡です。 それ以外の時期は海上自衛隊が駐屯し、訓練と遺骨収集を行っているので立ち入り禁止区域になっています。 硫黄島の戦跡を紹介する動画のまとめ 画像引用 :YouTube screenshot 戦後日本はアメリカ軍の統治下におかれ、自治を回復するまで硫黄島は日本人が足を踏み入れることのできない戦跡になりました。 生き残った島民は故郷を追われ、全国に散り散りになり今も硫黄島には年に1回しか帰省することができません。 動画の2:14からご覧になれるようにアメリカが公開した公式文書には2,000名の遺骨が遺骨収容場所に埋葬したと記載されていますが、未だ60%以上の戦没者が硫黄島に眠っているのです。 戦争という悲劇を繰り返さないために、現在も残る傷跡から日本の歴史を学んでください。 【トリップアドバイザー】硫黄島 https://www.tripadvisor.jp/Tourism-g1137885-Iwo_Jima_Tokyo_Prefecture_Kanto-Vacations.html -
動画記事 13:17
親日国トルコとの友情は和歌山県から生まれた!エルトゥールル号海難事故から130年経った現在でも深い交流は続く!
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エルトゥールル号遭難事故とは 今回ご紹介する動画は「WakayamaPref」が公開した、日本から8,700km離れた親日国トルコとの絆を結んだエルトゥールル号を紹介した「日本トルコ 時を越える絆 ~エルトゥールル号が繋ぐ友好の物語~」です。 東ヨーロッパと西アジアにまたがるトルコは親日国として有名ですが、その歴史は今から130年前の日本の本州最南端である和歌山県串本町にある大島で起きた、エルトゥールル号の遭難事故から始まりました。 トルコ軍艦が1890年9月にトルコへの帰国の途中で台風により船甲羅という岩礁に衝突し、樫野崎沖に沈没しました。 地元住民がこのとき海難事故にあったトルコ人船員を救出作業したことからトルコとの友好が始まったのです。 エルトゥールル号を救った串本町 画像引用 :YouTube screenshot トルコのエルトゥールル号救出活動にあたった人たちの住む集落は和歌山県串本町の樫野地区の方々です。 当時、通報を受けた住民らは、救助と介抱をおこないました。 こちらは動画の1:26より詳しく紹介されていています。 決して豊かではなかった時代に、台風で漁に出られず蓄えも少ない中、衣類や食料をトルコ人たちに提供しました。 当時おにぎりを提供したとされる入れ物の「もろぶた」も残されています。 こちらは動画の2:43からご覧なれるエルトゥールル号の救出にあたった住民の息子さんへのインタビュー内で紹介されています。 イランイラク戦争と親日の歴史 1985年に起きたイラク戦争のさなかにイラン・テヘラン在留邦人救出がおこなわれました。 イランの首都テヘランに取り残された日本人215人をトルコ政府が派遣したトルコ航空機によって救難活動されたというものです。 この事件も親日のトルコとの絆によって起きたエルトゥールル号救出恩返しと言えます。 今も続くエルトゥールル号遭難事故への慰霊祭 写真:トルコ記念館 動画の5:33からご覧になれるように、エルトゥールル号遭難事故の翌年から住民らによる慰霊祭が行われ、以来途切れることなく交流が受け継がれ、現在も5年ごとにトルコとの合同慰霊祭を行っています。 式典に向けて和歌山県串本町では街を上げて準備をしました。 また、6:49からご覧になれるように2015年にトルコ記念館がリニューアルオープンし、新たに遺品発掘調査で発見された遺品展開催がされました。 当時のエルトゥールル号は木造であったため、船内にあった遺品はすべて海に沈みました。 これらの遺品調査が2008年から続けられています。 多くの調査を繰り返し、これまでトルコと日本あわせて7箇所で遺品の展覧会を行っています。 動画の9:04からご覧になれる2015年の発掘調査では当時船が遭難した樫野崎沖で作業をおこない、51回の潜水で311点もの遺品を見つけることができました。 エルトゥールルリサーチセンターでこれらの遺品が調査され、地元の子どもたちも保存作業を協力しています。 画像引用 :YouTube screenshot 島唯一の大島小学校では総合の時間で親日国トルコと日本の交流について学びます。 トルコのあいさつをする様子が動画の7:34からご覧になるができます。 また、親日家であるトルコ人が串本町の役場で働く様子は7:50よりご覧になれます。 8:16から紹介されているのは親日友好の証として串本町が開発したのが「エルトゥールル」という名前のバラです。 トルコの親日の歴史を知れるエルトゥールル号紹介まとめ 写真:トルコ軍艦遭難慰霊碑 動画でご覧になれるように和歌山県串本町トルコ文化協会では、民族舞踊や言葉の勉強、親日であるトルコ人との交流などの活動をおこなっています。 日本とトルコの友好125周年を記念して映画「海難1890」も公開されました。 小説や本も多数出版されています。 四季折々の風景や世界遺産である高野山と熊野がある和歌山で新日交流を築いたエルトゥールル号の奇跡と日土国交の歴史を学んでみてください! -
動画記事 4:09
京都市左京区・銀閣寺はなぜ“銀”?金閣寺との比較で見えてくる世界遺産の魅力
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銀閣寺・慈照寺 動画紹介 京都市左京区にある銀閣寺(正式名:慈照寺/じしょうじ)。 今回ご紹介する動画「銀閣寺・慈照寺 Ginkakuji Temple」では、その魅力がたっぷりと映像で紹介されています。 冒頭(00:00)から映し出される竹垣と石垣、そしてゆるやかな小道。鳥の声が静かに響く中、散策を楽しむ訪問者の姿が印象的です。 見どころの一つである銀沙灘(ぎんしゃだん)や、苔に覆われた庭園、そして流れる水音に癒される滝の様子なども(01:12)以降で美しく撮影されています。動画を見終わるころには、まるで自分が現地を歩いたかのような気持ちにさせてくれるでしょう。 京都市左京区の世界遺産「銀閣寺」とは 銀閣寺は、室町幕府8代将軍・足利義政(あしかが よしまさ)によって建立された禅寺で、正式には「東山慈照寺」といいます。 金閣寺(鹿苑寺)と並び称されるこの寺は、義政が隠居後の住まいとして造営した「東山殿」が前身。その後、義政の死後に禅寺として改められました。 写真:京都市の世界文化遺産「銀閣寺の観音殿」 建物の中心は「観音殿(かんのんでん)」。こちらがいわゆる「銀閣(ぎんかく)」です。名前に「銀」と付きますが、実は一切銀箔は使われておらず、その渋さと控えめな美しさこそが東山文化の象徴といわれています。 1994年には、ユネスコの世界文化遺産として「古都京都の文化財」の一つに登録されました。あわせて、境内の中心建築である観音殿(銀閣)は、室町時代の楼閣建築としての価値が認められ、昭和26年(1951年)に国宝に指定されています。 庭園美の粋!銀閣寺の見どころとは 写真:京都市・銀閣寺の銀沙灘 銀沙灘と向月台の造形美 銀閣寺の象徴といえば、白砂で描かれた枯山水「銀沙灘」。月の光を反射するように整えられたとされ、夜の美しさを想像させる幻想的な光景です。隣にある「向月台(こうげつだい)」は、満月を観賞するための台と伝えられています。 写真:京都市の世界遺産「銀閣寺」の観音殿と向月台 これらは「インスタ映え」するフォトスポットとしても人気。真っ白な砂の模様が光の加減で表情を変える様子は、何度見ても飽きません。 苔庭と池のある庭園の静寂 境内を歩きはじめてまず目に入るのが、しっとりと広がる苔庭(こけにわ)です。苔は日陰と湿気を好む植物ですが、ここ銀閣寺では一面に緑の絨毯のように広がっており、まさに手入れの行き届いた静寂の世界。 写真:京都市の銀閣寺の苔 季節によって緑の色合いが微妙に変化するのも魅力で、春のやわらかな新緑、夏の濃い深緑、秋に落ち葉と混ざり合う褐色、冬には霜が降りて少し銀色がかった姿に変わります。これらはどれも風情があり、訪れる季節によって異なる表情を楽しめます。 こうした庭園を歩いていると、視覚だけでなく、空気感そのものが変化しているような錯覚を覚えます。日常の喧騒から離れ、心を整える時間が流れていきます。 細部に宿る伝統美 銀閣寺の魅力は、決して大きな建造物や有名な名称だけにとどまりません。むしろ、訪れる人々を惹きつけてやまないのは、小さな細部に宿る伝統の美しさです。 たとえば、庭の奥には水が岩を静かに滑り落ちる滝があり、動画の(01:12)では、その様子がしっとりと映されています。この滝は特に大きな音を立てるわけではありませんが、周囲の苔むした岩や木々と調和し、見る者に「自然との一体感」を感じさせてくれます。 写真:京都市・銀閣寺の洗月泉 道すがらには、小さな石橋が架けられていたり、繊細に組まれた竹垣(たけがき)が庭の区画を優しく仕切っていたりと、視線を落とせば落とすほど「気づき」が増えていきます。さらに、赤い実をつけた低木や季節の草花もあり、緑の中にさりげないアクセントを加えています。 これらは一見すると脇役に思えるかもしれませんが、日本庭園においては非常に重要な役割を担っています。主張しすぎない、けれど目を惹く——このバランスこそが“わび・さび”の真髄ともいえるでしょう。 また、散策路には石灯籠や苔むした階段などもあり、歩を進めるごとに新たな視点や発見があります。まるで一冊の絵巻物を自分の足でめくっていくような感覚です。 訪れる前に知りたい!銀閣寺のアクセス・拝観情報 銀閣寺へは、京阪電車「出町柳駅」から市バス「銀閣寺前」行きに乗車、約10分ほどで到着します。バス停からは徒歩約5分。 哲学の道沿いを歩くルートもおすすめで、四季折々の風景とともにゆったりとした時間が流れます。 拝観料 大人 500円、小中学生 300円 拝観時間 年中無休8:30~17:00(3月〜11月)9:00~16:30(12月〜2月) 所要時間は約40分〜1時間が目安。朝の時間帯は比較的空いており、静かに見学できます。 周辺観光スポット 哲学の道 写真:京都市・桜咲く春の哲学の道 銀閣寺から南へと続く「哲学の道」は、疏水(そすい)沿いに桜並木が続く静かな散策路です。春は満開の桜が咲き誇り、秋は落ち葉の絨毯が道を彩ります。文豪・西田幾多郎が歩いた道としても知られ、四季折々の風情が楽しめます。 永観堂・南禅寺方面 写真:永観堂禅林寺・紅葉ライトアップ 徒歩15〜20分圏内には、紅葉の名所として名高い「永観堂」や、水路閣がシンボルの「南禅寺」があります。どちらも歴史ある禅寺で、庭園や建築美も見ごたえがあり、銀閣寺と合わせて訪れるのに最適です。 京料理のランチスポット 銀閣寺周辺には、湯豆腐や生麩田楽、京野菜を使った伝統的な料理を楽しめる老舗の食事処が点在しています。落ち着いた和の空間で味わうランチは、観光の合間にぴったり。散策後のひと休みにもおすすめです。 訪問者の声と体験談から見る銀閣寺の魅力 口コミでわかる感動ポイント 「思ったより静かで心が洗われた」「どこを見ても美しく、写真を撮る手が止まらなかった」といった口コミが多数寄せられています。 海外観光客からも「Zenの精神を体験できる場所」「京都の中でも最も落ち着いた寺」といった高評価が多く見られます。 写真好きにおすすめのスポット 銀沙灘、観音殿、池のリフレクションなど、撮影映えする構図が豊富。秋の紅葉、春の新緑、冬の雪化粧といった季節ごとの風景も魅力です。 撮影のコツとしては、朝の光が斜めに差し込む時間帯が最も美しく、人気が高い時間です。 まとめ|日本文化の本質を感じる静寂の世界 銀閣寺は、ただの観光地ではありません。日本人の「わび・さび」の感性が息づく場所であり、訪れるたびに新しい気づきと癒しを与えてくれる、そんな特別な空間です。 騒がしい日常を忘れて、ゆったりと心を整える旅先として、銀閣寺はぜひ一度足を運んでほしいスポットです。京都旅行を計画中の方は、ぜひルートに加えてみてください。 アクセス・公式情報 住所:京都府京都市左京区銀閣寺町2 電話番号:075-771-5725 公式サイト: https://www.shokoku-ji.jp/ginkakuji/