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日本
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女性
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35 歳
はじめまして、ライターのShihoです。生粋の関西人で大阪をこよなく愛しています。
私は大学時代、国際系の学部に所属していました。留学生に日本について伝える授業があり、日本の伝統行事や文化などを知れば知るほどその奥深さに魅了されました。それと同時に日本人なのに知らないことが多すぎる、もっと知りたい!と思った記憶もあります。
日本を知りたいという思いから、旅行も大好きになりました。寺社仏閣や美術館、博物館をめぐることも休日の楽しみの一つ。これからも日本のさまざまな場所を訪れ、その土地のすばらしさを感じていきたいです。
日本の魅力を多くの人に分かりやすく伝えられたと思います。よろしくお願いします。
私は大学時代、国際系の学部に所属していました。留学生に日本について伝える授業があり、日本の伝統行事や文化などを知れば知るほどその奥深さに魅了されました。それと同時に日本人なのに知らないことが多すぎる、もっと知りたい!と思った記憶もあります。
日本を知りたいという思いから、旅行も大好きになりました。寺社仏閣や美術館、博物館をめぐることも休日の楽しみの一つ。これからも日本のさまざまな場所を訪れ、その土地のすばらしさを感じていきたいです。
日本の魅力を多くの人に分かりやすく伝えられたと思います。よろしくお願いします。
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動画記事 3:07
広島のパワースポット「宮島の大聖院」見どころを紹介! 一願大師に願い事を!
観光・旅行 芸術・建築物- 170 回再生
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宮島「大聖院」の見どころ動画紹介 写真:日本三景宮島弥山の大聖院 今回は『【宮島弥山 大本山 大聖院】公式YouTubeチャンネル』さん制作の『大聖院境内風景4K撮影動画』という動画を紹介します。 大聖院(だいしょういん)は、広島県廿日市市の由緒ある寺院。動画では、大聖堂の境内の見どころがご覧いただけます。画面越しでも伝わる荘厳さ、たくさんの仏像やお地蔵さんの姿にパワーを感じずにはいられません。 宮島弥山にあり、宮島を一望できる大聖院。四季のうつろいが感じられ、秋には美しく色づいた紅葉も見られます。まずは、大聖院の見どころを動画でお楽しみください。 宮島弥山にある「大聖院」とは? 1200年超の歴史やご利益をご紹介 写真:宮島・大聖院の七福神が安置される八角万福堂 大聖院とは、弘法大師空海が開祖である真言宗の御室派の大本山。唐から戻った空海が弥山で修行したのちの806年に開創され、宮島では最も歴史が深い寺院とされています。 大聖院には、弘法大師はもちろん弥山の守護神である三鬼大権現が鎮座。豊臣秀吉が祈念した波切不動明王や七福神、十一面観音菩薩なども祀られています。 兵庫県の門戸厄神東光寺、埼玉県の龍泉寺と並び「日本三大厄除け開運大師」と称され、厄除け・開運のご利益があるといわれています。厳島神社と並び、宮島随一のパワースポットであり、多くの人々が訪れる観光スポットでもあります。 四国八十八ケ所霊場のお遍路参りと同じ功徳が得られる「遍照窟」 写真:宮島・大聖院 『遍照窟』 遍照窟(へんじょうくつ)は、大聖院の大師堂の地下にある洞窟。四国八十八ケ所霊場の本尊が安置されており、その前には各霊場の砂が埋め込まれています。埋められた砂の上を歩くと、四国八十八か所をお遍路したのと同じ効果が得られるのだそう。 灯籠のやわらかな光で照らされた洞窟のなか、読経の声が響き、神秘的な空気が流れます。たくさんの仏像が並ぶ様子は圧巻です。 【動画】2:14~ 遍照窟 「勅願堂」は波切不動明王を祀るお堂 画像引用 :YouTube screenshot 勅願堂(ちょくがんどう)は、大聖院の本堂にあたります。もともとは、平安時代に鳥羽上皇が願いを捧げる儀式を行うためにつくった勅願道場とされています。 勅願堂には、波切不動明王の像が安置されています。豊臣秀吉は朝鮮出兵の際に必勝や海上安全を不動明王に祈念しました。海上の安全を願ったことから波切不動明王と呼ばれるようになったのです。 波切不動明王を中心に、四方に千体不動や三十六童子の像も安置されています。厳かな雰囲気の光景に息を飲むことでしょう。 【動画】1:54~ 勅願堂 大師堂の一願大師に一つだけ大切な願い事を 写真:宮島の大聖院・弘法大師が祀られている大師堂 弘法大師が祀られている大師堂(だいしどう)は、大聖院本坊の中で最も古い建物。周囲には西国三十三観音や稚児大師、一願大師像が安置されています。 中でも一願大師は、大聖院がパワースポットと言われる所以の一つ。名の通り願い事を一つだけ叶えてくれるのです。大師堂の裏には人々の願い事が書かれたたくさんのだるま絵馬が納められています。 境内への入り口である仁王門からは離れた場所にあるため、気付きにくいとの声も。遠方から旅行で参拝する際などは、事前に地図をチェックしておきましょう。 観音堂では精神修行である戒壇めぐりを 写真:宮島の大聖院・摩尼車の石段と御成門 観音堂(かんのんどう)は、参道の階段を上り、御成門をくぐった右手にあります。宮島厳島神社の本地仏であった十一面観世音菩薩像が安置されています。これは行基菩薩が手彫りしたものだと伝えられています。 観音堂の地下には、戒壇めぐりという修行を行う真っ暗な空間が広がっています。暗闇の中で自分自身と向き合い、今までの罪を精神修養で取り除きます。暗所の道を進むことで極楽往生が約束されると言われているのです。 「五百羅漢庭園」は表情豊かなお地蔵さんが集う場所 写真:宮島の大聖院・五百羅漢庭園 五百羅漢庭園(ごひゃくらかんていえん)は、大聖院の御成門へ向かう石段横にあります。たくさん並んだお地蔵さんは、それぞれ喜怒哀楽さまざまな表情を見せています。これらは五百羅漢像と呼ばれ、お釈迦様の教えを再確認するための仏教結集に500もの人が集まった様子がモデルとなっています。 お地蔵さんが多く並ぶさまは、神秘のパワーを感じるとともに、その多彩な表情につい見入ってしまいます。参拝者の手作りの帽子も、あたたかみが感じられ、古くからの仏さまと人とのつながりを感じさせてくれます。 大聖院の季節の見どころや行事を紹介! 紅葉ライトアップと火渡り式は必見! 写真:宮島の大聖院・ライトアップされた大聖院の摩尼殿と紅葉 自然に囲まれた大聖院は、季節の移ろいを感じることができます。春には桜、秋には紅葉の名所として、人々の目を楽しませてくれます。 紅葉シーズンには、ライトアップされた紅葉が暗闇に浮かび上がり、幻想的な世界に。このライトアップを企画したのは31歳の副住職。若い世代にも足を運んでもらえるようにと、写真映えも意識したライトアップを考案しました。 副住職の試行錯誤のもと、歴史ある寺院と現代のSNS文化との融合が実現。御堂とのコラボレーションも美しく、感動的な体験ができるでしょう。 また、年中行事のなかでも、見応えあるのが大聖院の火渡り式。春季と秋季の年2回執り行われます。もともとは真言密教の秘法儀式に由来。弘法大師が修行して以来1200年間燃え続ける「消えずの霊火」から移された火を焚き、炉壇に点火します。 白煙をあげ火柱となった上に道をつくり、願望成就を唱えながらはだしで歩きます。希望すれば参拝者も参加できるようになっており、火渡り式当日は人々が長蛇の列をつくるほど。叶えたい願い事がある方は挑戦してみてはいかがでしょうか。 大聖院のその他の見どころは? 御朱印や拝観料・所要時間についても解説 写真:宮島の大聖院・摩尼殿 大聖院の拝観料は無料。祈祷や供養、その他体験には有料なので公式サイトをご確認くださいね。 大聖院では、波切不動明王の御朱印がいただけます。また、色鮮やかな切り絵御朱印もあり、季節ごとの限定の絵柄が人気。訪れた際にはぜひ手に入れたいですね。その他大聖院のある弥山でしか手に入らない御朱印もあるので、チェックしてから訪れることをおすすめします。 ここまで大聖院のパワーを感じられるスポットを紹介してきましたが、他にも見どころが盛りだくさん。ぜひチェックしていただきたい2つの見どころをご紹介します。 ●仁王門 境内への入り口である仁王門には、繊細な彫刻が施されています。左右に阿形と吽形の仁王像が祀られており、参拝客を出迎えます。神社のように鈴付きの網が下げられており、それぞれの仁王像にお祈りできるようになっています。 ●摩尼殿(まにでん) 全国で唯一鬼の神が祀られるのが摩尼殿です。三鬼大権現が鎮座しており、それぞれ仏様の化身と考えられています。「摩尼」とは意のままに宝を出す不思議な珠という意味があり、経典の功徳に例えられます。 仁王門を過ぎたところにある階段には、「摩尼車」が並んでいます。摩尼車とは、金属製の筒に般若心経が刻字されたもので、1回まわすとお経一巻を読むのと同じ功徳があるとのこと。手で経筒に触れ心の中で般若新経を唱えながら左側に回転させるように動かします。 他にも、宮島七福神を祀る八角万福堂、阿弥陀如来立像を安置する阿弥陀堂…と、挙げるときりがないほど見どころ満載の大聖院。所要時間は、ポイントを絞って回ると30分ほどです。それぞれのスポットをじっくり見るには1時間ほどみておくとよいでしょう。 パワースポットへ力をもらいに! 宮島の大聖院への行き方 写真:厳島神社の大鳥居 大聖院へはJR山陽本線宮島口駅からフェリーで宮島に渡ります。宮島桟橋があり、そこから徒歩20~30分で到着します。大聖院は山にあるため階段が多いので、歩きやすい靴や服装がおすすめです。 厳島神社の隣に位置し、出口からは歩いて5分ほどの距離。宮島観光をするのであれば、厳島神社を訪れたあとに大聖院へ行くルートが回りやすいかもしれないですね。 宮島弥山大本山「大聖院」見どころまとめ 写真:宮島の大聖院・五百羅漢庭園 厳島神社と並び、宮島のパワースポットである大聖院は、見どころたくさんの観光名所でもあります。スピリチュアルなパワーを感じられる境内の様子は、もう動画でご覧いただきましたか? 秋の紅葉ライトアップや火渡り式の時期に合わせて、広島・宮島への旅行を計画してみてはいかがでしょうか。忘れられない素敵な体験となること間違いなしです。 【公式ホームページ】宮島弥山 大本山 大聖院(広島 厄除け開運祈願所) 【トリップアドバイザー】大本山 大聖院 -
動画記事 8:15
江戸時代の食事を料理本レシピに基づき再現した動画!江戸の食文化の謎に迫る!
グルメ 伝統文化 生活・ビジネス- 117 回再生
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江戸時代の食事(レシピ)動画紹介 画像引用 :YouTube screenshot 今回は『Genの炊事場 SUIJIBA』さん制作の『【2】江戸時代のご飯 原典(レシピ)通り作ってみた』という動画を紹介します。 この動画では、江戸時代に刊行された「料理物語」「豆腐百珍」「名飯部類」の3つの料理本のレシピをもとに再現された江戸時代のご飯を紹介します。 徳川家康が幕府を創建してから260年超の歴史がある江戸時代。当時の食文化を踏まえながら現在の料理にも通ずる献立が紹介されており、興味がそそられます。 まずは動画をチェックしてみてくださいね。 江戸時代の食事は1日2回? 将軍と庶民では違う? 回数や身分による違いを徹底解説! 写真:行灯 江戸時代の食事の回数は朝と夕方の1日2食が基本でした。中期以降は朝昼夕の1日3食になったと言われています。これは、照明器具である行灯(あんどん)の改良により、夜に活動できるようになったことが理由に挙げられます。 庶民の食事の献立は、一汁一菜が基本。おかずは野菜の煮物や漬物などが多く、魚は2週間に1回程度しか食べられませんでした。江戸の庶民が住んでいた長屋は狭小な集合住宅。炊事場も手狭なため米を炊くのは1日に1回など、効率よく調理するための工夫がされていたそうです。 農民は大部分を年貢として納めるため、米はほとんど食べられません。少量の米と雑穀類を混ぜて炊いた「かて飯」や雑穀でつくった「もち」を食べていたそうです。 武士の食事は、位によって変わります。下級武士は庶民と同等の食事内容ですが、上級武士は品数や食材の種類も多くなります。大名や将軍になると、おかずの品数はさらに増え、毎食魚が入ることも。身分に応じて酒を嗜んだりもしていたようです。 また、江戸の町には多くの人々が集まり、外食文化が発展したのも江戸時代の食事の特徴です。天ぷらやそばなどを売る屋台が出てきて徐々に庶民にも一般的なものとして広まっていきました。 江戸時代の人気料理のレシピを紹介した料理本3選 画像引用 :YouTube screenshot ここでは、動画にも登場した江戸時代の食事に関する本3冊を紹介します。 ●料理物語 1643年、江戸時代初期に刊行。具体的な調理法を掲載した料理本としては日本で最も古い本とされています。 「海の魚」「川魚」のようなカテゴリーごとに料理名や材料を示し、「汁の部」「なますの部」などと分けられ調理方法が示されます。この編集方法は以降の料理本にも影響を与えたと言われています。 ●豆腐百珍(とうふひゃくちん) 1782年、江戸時代中期に刊行。豆腐の調理法を100種類掲載した本です。日常料理の「尋常品」や「絶品」など6つの等級に分けて献立を紹介し、調理工程が細かく記されています。 翌年には続編がでたという記録もあり、豆腐が江戸時代の人々に人気のある食材であったと推測できます。 ●名飯部類 1802年江戸時代後期に刊行。米の調理法に特化した本で粥(かゆ)や鮓(すし)などの調理法が140種類以上紹介されています。 産地別の米の特徴などのコラムも掲載されており、江戸時代の食事の中でも、米料理への関心の高さが感じられます。 江戸時代の人々は魚・肉・野菜の何をよく食べる? 人気の食材と動画のレシピをご紹介 写真:ぬか 江戸時代の食事は、米と味噌汁、おかず一品の献立が基本。江戸中期以降は米の生産量が増え、精米技術も向上したため、玄米から白米中心の食生活に変化していきました。精米の過程でできた「ぬか」を使用した野菜の漬物が広まるなど食文化にも影響を与えました。 おかずは、庶民の食事では豆や野菜の煮物が中心。たんぱく源として納豆や豆腐もよく食べられていました。野菜は、大根や小松菜、ねぎなどが多く、現在にも「江戸東京野菜」として受け継がれています。 また、江戸時代の食事の味付けに欠かせない醤油も江戸時代中期に庶民まで広まったとされています。本の献立も醤油や味噌でシンプルに味付けするものが多いです。調理方法は動画で確認してみてくださいね。 ●ねぶか汁 ねぶか汁はねぎの入った味噌汁です。昆布とめざしでだしを取り、ねぎを入れます。火が通ったら味噌を溶きいれて完成です。 【動画】2:14~ ねぶか汁 ●おざさ豆腐 木綿豆腐を串にさして焼き、鍋にだし、醤油、みりんを入れ豆腐を煮ていきます。溶き卵で流し入れさらに煮込み、山椒をふりかけて完成です。 【動画】3:00~ おざさ豆腐 ●豆腐麺 豆腐を崩したものと小松菜を炒め、そこに茹でた素麵をまぜます。醤油で味付けして、完成です。 【動画】4:11~ 豆腐麺 江戸時代の食事では、庶民が月に数回食べる魚料理。庶民はいわしやまぐろなど安価で手に入りやすいものを食べていたようです。将軍や大名になると、縁起が良いと言われる鯛や鱚、ヒラメなどの高級魚を食べていました。肉食は禁止の風潮が長く続いていましたが、養生用として摂取することもあったようです。 江戸時代の食事まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 今回は、江戸時代の食事の再現動画をご紹介しました。江戸時代の食事の特徴、食事回数の変化や身分による違いを知ることで、江戸の食文化の変遷を感じることができます。食事を通して、江戸時代の人々の暮らしに思いを馳せてみてください。 そして、時代を越えて日本人の舌に合う江戸時代の食事の再現に挑戦してみるのも楽しいでしょう。ぜひこの動画を参考においしい再現料理を作ってくださいね。