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動画記事 1:10
縄文時代の暮らしが体験できる長野県諏訪郡の井戸尻遺跡!集落遺跡で発掘された竪穴式住居を空から見て当時の暮らしを想像してみよう!
歴史- 224 回再生
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長野県諏訪郡「井戸尻遺跡」竪穴式住居の動画紹介 こちらは「Solar Kanki」が制作した「井戸尻遺跡 竪穴式住居」は、長野県諏訪郡富士見町にある井戸尻遺跡の竪穴式住居をドローンにより上空からの撮影された動画です。 国の史跡を美しい映像でご覧になることができます。 自然の緑と茅葺屋根の色のコントラストも美しく、歴史好きや自然の映像が好きな人には必見の動画になっています。 こちらの記事では、竪穴式住居がある井戸尻遺跡の魅力を紹介します。 竪穴式住居がある井戸尻遺跡とは 写真:井戸尻遺跡 竪穴式住居がある長野県諏訪郡富士見町の井戸尻遺跡は、江戸時代の集落遺跡で歴史好きには必見のスポット。 1966年に国の史跡(井戸尻史跡公園)に指定されています。 史跡指定を受けた際の石碑も公園内にあります。 井戸尻遺跡の周辺には八ヶ岳の湧き水を求めて作られた多くの遺跡があります。 今までは縄文時代は狩猟採集をしていると言われていました。 それが、長野県諏訪市出身の考古学者により、縄文時代の狩猟採集に異議を唱えたのです。 井戸尻遺跡を始め、中央高地の縄文遺跡の研究から、縄文時代も田畑を耕して生活していたのではないかと新しい説を唱えています。 竪穴式住居とは 画像引用 :YouTube screenshot 竪穴式住居とは、地面に円形や方形の穴を掘り、複数の柱を立て、骨組みを造り、土や葦などで屋根や外壁を造った建物のことです。 風情のある外観は、見ているだけで心が和やかになります。 こちらの動画の0:06よりご覧になることができます。 ヨーロッパでは中石器時代から竪穴式住居の形態の建物が出現しています。 新石器時代になると世界各国でこのような住居で生活するようになり、普及していきます。 日本では旧石器時代後期から造られ始めたと言われています。 竪穴式住居がある井戸尻遺跡の見どころ 画像出典 :【公式ホームページ】富士見町 井戸尻遺跡のすぐ近くには、多数の重要文化財を展示している施設の井戸尻考古館・民俗資料館があります。 井戸尻や曽根などの出土土器や藤内遺跡出土品、坂上遺跡出土品、水煙渦巻文深鉢など約2,000点の文化財である出土遺物が展示されています。 井戸尻遺跡で発掘された住居跡地から竪穴式住居も移設され、細部まできちんと再現されています。 竪穴式住居も内部を見学することもでき、昔の生活に欠かせなかった囲炉裏を見ることができます。 また、縄文時代の住居、食物、衣類、土偶なども展示されています。 鑑賞していると、当時の生活を想像することができますよ。 古代グッズ作り手作り弓矢体験などのイベントも過去には開催されていました。 遺跡周辺は自然が豊富で、田んぼ、蓮、スイレン、アヤメなどを見ることができ、日本らしい風景を見たい人にもおすすめの場所です。 井戸尻遺跡内にある竪穴式住居も美しい緑の中にあり、インスタ映えスポットです。 こちらの動画の0:06よりご覧になることができます。 竪穴式住居がある井戸尻遺跡の記事のまとめ 写真:井戸尻遺跡の水車 「Solar Kanki」が制作した、「井戸尻遺跡 竪穴式住居」は、昔の住居である竪穴式住居を空撮している動画です。 井戸尻史跡公園の美しい映像に心奪われるはずです。 井戸尻史跡公園内には水車小屋や田んぼなど心癒される風景が広がっています。 気になる方はチェックしてみてください! ◆井戸尻遺跡・井戸尻考古館 施概要紹介◆ 【住所】長野県諏訪郡富士見町境7053 【交通アクセス】JR中央本線信濃境駅下車 徒歩15分。 【入館料金】一般大人300円、一般小人150円(2020年4月時点) 【営業時間】9:00~17:00 【休館日】月曜日・祝日の翌日・年末年始 【駐車場】有り。普通車40台 【電話番号】0266-64-2044 【公式ホームページ】井戸尻考古館ホームページ https://userweb.alles.or.jp/fujimi/idojiri.html 【トリップアドバイザー】井戸尻遺跡 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1120579-d12572092-Reviews-Idojiri_Archeological_Site-Fujimi_machi_Suwa_gun_Nagano_Prefecture_Koshinetsu_C.html -
動画記事 8:38
長野県諏訪郡「井戸尻考古館」制作の再現VTRで縄文時代の生活が丸わかり!遺跡から出土した石器、土器など。遺物から縄文人の生活を解き明かす!
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長野県諏訪郡「井戸尻考古館」制作「縄文人の生活再現動画紹介 美しい神社、趣のある風景、おいしいグルメなど、日本らしい特徴のあるものを目当てに、さまざまな観光客が日本に訪れています。 日本人からしても、京都や奈良の歴史ある建物や、寿司やそばといった美味しい食べ物はとても魅力ですよね。 ただ、今回はそういった王道の日本の楽しみ方ではなく、日本の時代区分のひとつである縄文時代に生きた縄文人の生活を学べる少しマニアックな穴場スポットをおすすめします。 この記事では、縄文人の生活を学べる井戸尻考古館や、縄文時代の生活を動画に沿って紹介します。 「日本の歴史」縄文人とは?当時の生活の特徴とは? 画像引用 :YouTube screenshot 縄文人は、日本列島の時代区分のひとつ、今から約1万6,000年前から約3,000年前の縄文時代に、北海道から沖縄の日本全土で生活をしていた人々です。 世界史では、中石器時代、及び新石器時代に相当する時代です。 縄文人は、生き延びるためにさまざまな工夫をして生活していた人々。 弥生時代、そして現代へと受け継がれてきた道具や物を発明し、暮らしを楽にしていたのです。 例えば、弓を作ったのも縄文時代で、遠くから狩りができるようになりました。 また、石器や土器を発明し、食べ物を調理したり、保管ができるようになりました。 竪穴住居をつくり、一ヶ所に定住しはじめ、村ができたのもこの時期。 このように、さまざまな知恵で生活をよりよくするために工夫していたのが、縄文人です。 縄文人の生活や文化を学べる井戸尻考古館とは 画像引用 :YouTube screenshot 動画の0:27よりご覧になれる長野県にある井戸尻考古館は、縄文人の生活や文化を学べる施設です。 土器を初め、縄文時代の生活を物語る資料がたくさん展示されています。 土器や石器は縄文時代の年代別ごとに展示されており、それぞれの用途なども書かれています。 さらに、縄文人が住んでいた住居や、食生活、服装などを再現したコーナーも見学できるので当時の暮らしを想像して楽しめます。 また、土器や石器の文様から解読した当時の宗教や神話などを学べる場所もあり、歴史好きには必見。 動画の0:38からご覧になれる井戸尻文化の遺跡で数多く見つかっている石鍬(いしくわ)。 およそ4,500年前に、この石の鍬で畑を耕す農耕民族となりました。 春には粟やきび、夏にはそばを蒔いていたようです。 こちらは動画の1:02からの当時の再現映像でご覧になることができます。 ここ井戸尻考古館では、夏の畑の雑草を取り除く除草具も多数展示されています。 画像引用 :YouTube screenshot 動画の2:10からご覧になれる秋の雑穀の収穫には、石包丁を使用していました。 脱穀した穀物は石臼で殻を取り除き、土器で粥に調理され、家族揃って竪穴式住居で食事をします。 縄文人は粥だけではなく、川魚や山菜、クルミ、団子なども口にしていました。 こちらも動画内の再現VTRでご覧になれます。 これらの調理道具などに使用されていた縄文土器の作り方は動画の4:59よりご覧になれます。 まずは、粘土をこねて砂を混ぜて生地を作り、生地を帯のようにして、隙間が出来ないように積み上げ模様を付けます。 半月から一か月から十分に乾燥させてから、たき火で焼きあげます。 では石器はどのように作られたのでしょうか? こちらは動画の6:23よりご覧になれます。 楕円形の扁平な石を大きな石に打ちつけて薄いかけらを割りとり、石の鍬で成型しています。 当時の鍬などの石器は、現代の鍬と変わらぬ形をしています。 他にも、井戸尻文化の遺跡は女性の首飾りなども、出土されています。 動画では弓で動物を射る様子もご覧になれます。 井戸尻考古館は、日本のルーツや縄文人の生活を学べる興味深いスポットです。 縄文人の当時の生活を再現した動画紹介まとめ 画像引用 :YouTube screenshot こちらの記事で紹介した「IDOJIRIKOUKOKAN」が制作した、縄文人の生活を再現した動画は日本の歴史を知りたい方にはおすすめの一本です。 鍬や斧といった道具の使い方や、穀物の扱い方などの再現VTRは、当時の日本の生活がわかりやすく紹介されています。 日本の縄文時代の有名な遺跡は、三内丸山遺跡(青森県)、亀ヶ岡遺跡(青森県)、大森貝塚遺跡(東京都)、加曾利貝塚(千葉県)、菜畑遺跡(佐賀県)などがあります。 こちらの動画をご覧になって、縄文時代に興味を持たれた方はこれらの遺跡にも足を運んでみてはいかがですか。 【公式ホームページ】井戸尻考古館ホームページ http://userweb.alles.or.jp/fujimi/idojiri.html -
動画記事 3:26
長野県飯田市の大平宿には古きよき日本の原風景が残る人気スポット!大平宿が作られた歴史や衰退した経緯、そして宿泊施設として保存される現在の姿を追う。
歴史- 275 回再生
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長野県飯田市「大平宿」観光動画紹介 まずはこちらの「ひろくん起稿」が制作した動画【江戸時代の町並みが残る長野県「大平宿」】をご覧ください。 まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようなこの動画。 こちらは長野県飯田市にある大平宿(おおだいらじゅく)と呼ばれる観光スポットです。 大平宿とは何?歴史は?この記事では人気観光スポットの大平宿のご紹介をいたします。 長野県の大平宿はなぜ作られた?その歴史とは 画像引用 :YouTube screenshot 長野県の大平宿は、中山道と三州街道(伊那街道)を結ぶ大平街道の中間地点にかつて存在していた宿場町です。 宝暦4年 (1754年)にお椀やお盆等の木工品を加工、製造する木地師の大蔵五平治と、穀商人山田屋新七が移り住んだことからこの地の歴史が始まります。 動画でご覧になれるように、この地域には現在でも江戸時代末期から明治時代にかけての古い建物が多く現存しています。 伊那谷と木曽谷の間には木曽山脈がそびえており、かつては権兵衛街道を経由して奈良井宿へ行く方法しかありませんでした。 大平街道は、江戸時代中期に伊那谷から中山道へ至る妻籠宿(つまごじゅく)を結ぶため、飯田藩の許可によって開墾が進められました。 長野県の大平宿が衰退した理由とは? 画像引用 :YouTube screenshot 長野県の大平街道が開通すると、元善光寺参りの参拝者が立ち寄る茶屋宿として栄えるようになりました。 明治期には大平第三番小学正道学校や大平郵便局なども設置され、明治末期には中央本線の開通によって物流の要所となりました。 しかし昭和期には清内路村の清内路峠を超える国道265号が開通し、さらに林業も衰退し大平宿の利用者は減少しました。 平成期には前沢荘などが大火災で焼失しました。 動画で紹介されている現在の長野県大平宿の様子とは? 画像出典 :大平宿をのこす会 | 江戸時代の古民家に泊まろう 動画の1:47にあるように、大平宿の住民は昭和45年に集団移住を決定しました。 集団移住集落である大平宿は、廃村となった後に「いろりの里」として観光客が自然体験を楽しめる地に生まれ変わりました。 現在ではNPO法人大平宿を残す会や南信州観光公社の管理により、大平宿の丸三荘は現在でも古民家宿泊施設として活用されています。 集団移住集落を宿泊施設として利用することにより、この貴重な財産を再生・保存をするという目的があります。 一般的な宿泊施設とは異なり、必要なものは自分で用意し、民家の薪や炭で囲炉裏や窯を使って自炊し、退去時には掃除も行います。 大平宿では釣りや自然体験のイベントも不定期で開催されています。 近隣には大平台温泉や観光客向けのホテルなどもあります。 動画では一部朽ち果ててはいますが、当時の日本の暮らしが想像できる様々な古民家が全編に渡り紹介されています。 長野県の大平宿の動画まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 大平宿周辺は夏は涼しく爽やかで、冬場は雪の風景が楽しめる人気の観光地。 昔ながらの民家が残るこの地では、自然溢れるインスタ映えする風情ある写真が撮れるかもしれません。 動画にあるような古きよき山里の雰囲気を楽しみたい方は、長野県の大平宿周辺へ出かけてみてはいかがでしょうか。 ◆大平宿 施設概要紹介◆ 【住所】〒395-0045 長野県飯田市上飯田7929 【交通アクセス】中央自動車道 飯田ICより車で60分。※バス電車などの公共交通機関はありません。 【宿泊料金】1人 2,300円 【駐車場】あり 【電話番号】南信州観光社 0265-28-1747 【公式ホームページ】南信州観光公社 https://www.mstb.jp/ 【トリップアドバイザー】大平宿 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1021319-d7037774-Reviews-Odairajuku-Iida_Nagano_Prefecture_Koshinetsu_Chubu.html