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静岡県 磐田市観光協会
1 日前
磐田市観光協会です。 皆さん初めまして!! 静岡県磐田市(いわたし)は、東京と大阪のほぼ中間に位置する静岡県の西部にある市です。 「スポーツの町」としても知られ、サッカーJリーグのジュビロ磐田や日本女子サッカーなでしこリーグの静岡SSUボニータ、ジャパンラグビーリーグワンの静岡ブルーレヴズのプロスポーツの本拠地でもあり、“スポーツのまちづくり”や、“スポーツによる健康づくり”の推進が行われています。 ◆静岡県磐田市とは? ◆ 人口は約16万人。 市内には東名高速道路、第2東名高速道路のそれぞれのインターチェンジがあり、東京からは車で約3時間、名古屋から約1時間15分のアクセスとなっています。 新幹線でのゲートウェイは浜松駅または掛川駅。 東海道線に乗り継ぎ、磐田市内の3つの駅(磐田駅,豊田町駅,御厨駅)へ10分~15分です。  古来より「遠江国(とおとうみのくに)」の中心地として遠江国分寺と遠江国府が置かれ発展してきました。 古墳時代の900基以上の古墳が現存するなど、歴史が語りつがれている”まち”です。 江戸時代には、東海道53次の「見付宿」として繁栄してきました。 近年では、地場産業である繊維産業に加え、金属、自動車、楽器などの工業都市として、また、農業産出額も県内屈指で温室メロンや茶、白ねぎ、海老芋、中国野菜、水産物のシラスなどが有名です。 都市部と農村部が均衡ある発展を遂げている地域です。 ◆静岡県磐田市の観光地の紹介◆ 【見付宿】 東海道五十三次のほぼ中央(28番目の宿場)にある宿場町で、今でも街道沿いにはいくつか横町に入る小路が遺されており、神社やお寺が多く点在し当時の面影や宿場風情を感じることができます。 その他、同エリアには現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎「旧見付学校」や磐田文庫(それぞれ国の史跡)、見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)」の舞台で、しっぺい太郎の霊験伝説が残る「見付天神矢奈比賣神社」、県・市の指定文化財の「旧赤松家記念館」などの見所が点在しております。 2022年に旧見付学校・磐田文庫は「近代教育に情熱をかけたしずおか人の結晶」として「見付宿」や「見付天神矢奈比賣神社」などとともに「しずおか遺産」に認定されました。 【竜洋海洋公園】 スポーツ施設を備えた海洋センターと、多目的広場などのある海辺の公園です。 広大な敷地にはテニスコート・野球場・遊具広場・ローラー滑り台・オートキャンプ場などがあり、お子様連れでも楽しめるスポットです。 オートキャンプ場には、地場産品を購入でき、レストランやBBQ施設、入浴施設も備える「しおさい竜洋」も隣接され好評を得ております。 海洋センターではSUPなどの体験メニューも提供されております。 【渚の交流館・福田漁港エリア】 「渚の交流館」は雄大な遠州灘を臨める福田漁港港湾内に立地。 海を見ながら生しらす丼や釜揚げしらす丼などが楽しめるフードコートとなっています。 その他、ビーチサッカーやビーチバレーが楽しめる「みんなの砂場」や、屋外イベントを開催できる「イベント広場」を備えております。 目の前には釣りが楽しめる釣りスポットがあり、すぐ東隣の豊浜海岸はサーフィンの全国大会が開催されるほど良好な波が立つサーフィンスポットです。 一方、福田漁港では有名な「しらす漁」とともに、遊漁船業も盛んで、釣り船による遠州灘でのオフショア・フィッシングの基地にもなっております。 漁港から1~2分のところには「しらす加工場」が軒を連ね、遠方よりしらすを買い求めるお客様がいらしています。 【獅子が鼻公園】 弘法大師の開山伝説のあるこの公園は遊歩道やアスレチックが整備され、春は桜やつつじ、初夏は新緑の中で森林浴、バードウォッチング、秋は紅葉と四季折々の自然を満喫でき、ハイキングやウォーキングには最適です。 展望台からは遠く遠州灘を望むことが出来、元旦の初日の出スポットとなっています。 【ヤマハスタジアム】 【ヤマハ発動機コミュニケーションプラザ】 サッカーのジュビロ磐田、ラグビーの静岡ブルーレヴズのホームスタジアムです。 JR御厨(みくりや)駅北口から徒歩約15分。 試合の日には国内外から多くのファンが訪れます。 また、すぐ隣のヤマハ発動機本社内には、企業ミュージアム「コミュニケーションプラザ」があり、ヤマハ発動機の製品や歴史に触れらる魅力ある産業観光の場です。 【遠江国分寺跡】 発掘調査が1951年から始まり、翌年に国の特別史跡に指定されました。 国分寺は金堂を中心に七重塔・講堂・中門・回廊などの伽藍が配置されていました。 さらに、七重塔跡をはじめ主要な伽藍も発見され、昭和27年に国の特別史跡に指定されています。 令和4年度整備事業では、遠江国分寺跡北側に位置する講堂と僧房の木装基壇を整備、令和5年度には寺院の中心建造物である金堂の木装基壇を整備しました。 金堂では建物の柱を支える礎石や、基壇正面に設置された石階段なども復元する計画です。 磐田が当地の中心であったことを物語る貴重な歴史遺産です。 ◆静岡県磐田市の特産品◆ 磐田市の特産品は、海老芋やいわた茶、アローマメロン、白ネギ、ころ柿など自然の恵みを直に感じられるものばかり。 地元で育てられた食材は、その新鮮さと味わいで知られています。 シラスや天然トラフグやウナギの白焼きなどの海鮮も人気で、特にシラスは、近海の速い潮流を泳いで身がしまった逸品です。 これらの特産品はお土産やふるさと納税の返礼品でも人気があります。 ◆静岡県磐田市のお祭り・イベント◆ 【府八幡宮祭典】 例年10月第1土曜・日曜に中泉地区で行われます。 各町内で趣向を凝らした飾り付けの山車が曳き回されます。 太鼓や笛の音、威勢のいい掛け声が鳴り響く情緒たっぷりのお祭りです。 【見付天神裸祭】 見付天神 矢奈比賣神社 (ヤナヒメジンジャ)の大祭で、現在では重要無形民俗文化財に指定されております。 毎年旧暦8月10日の直前の土、日曜日にかけて行われます。 祭の見所となるのは、裸の練りと神輿の渡御が行われる土曜日の夜21時から深夜、翌日の午前1時にかけての時間です。 裸の男たちは、梯団と呼ばれる4つの集団毎に旧東海道筋・見付の域内を練り歩き、順次矢奈比賣神社の拝殿に向かいます。 拝殿内では、新しい集団が加わる毎に熱気を増し、激しい練り(鬼踊り)が続けられます。 深夜になって、域内の全ての灯火が消され、漆黒の闇の中を神輿の渡御が疾走するクライマックスを迎えます。 ◆静岡県磐田市の情報を発信◆ 磐田市では長い時間の中で育まれた歴史や文化を感じることができます。 2022年には、磐田市の「寺谷用水」が世界かんがい施設遺産に登録され、磐田市の誇る歴史ストーリーがまた一つ増えました。 2023年には〜「スポーツのまち」として思い浮かぶ市町村ランキング〜で全国1位に返り咲き、「スポーツのまち」としてのブランドイメージも定着してきました。  それでも、まだまだ今回の投稿では書ききれない魅力やチカラが、磐田の歴史や文化、海や山の自然、産業や人々の生活スタイルの中に息づいております。 今後も、クールジャパンビデオでおすすめ情報を発信していきますのでよろしくお願いします!
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4 日前
北国街道「海野宿」 海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成している。 道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里を想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれる。 海野宿の歴史 海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設された。 北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道。 佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。 寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈した。 明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わった。 海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けている。 ⭐︎この写真の見どころ⭐︎  江戸時代の旅籠屋造りの建築物は、2階部分が1階よりも張り出した造りとなっている。 雨の日、旅人が身支度の際に濡れないようにとの配慮だと言われる。
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4 日前
真田一族の著名な武将と言えば、1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」で「徳川家康」を追いつめる活躍をした「真田幸村(真田信繁)」(さなだゆきむら)や、徳川家康の大軍を2度も退けた「真田昌幸」(さなだまさゆき)が有名。 また「武田信玄」の謀将(ぼうしょう:計略に優れた大将)として、武田信玄も及ばないと言われた「真田幸隆」(さなだゆきたか)などが挙げられる。 宿場町が開設される以前、海野宿は「海野郷」(うんののごう)または「海野庄」と呼ばれ、真田一族のルーツとされる信州の名家・滋野(しげの)一族の分家である海野氏発祥の地として、平安から鎌倉、戦国時代までその本領だった。 ⭐︎この写真のポイント⭐︎ これが本陣の今の様子。 門を開けると立派な木が出迎えてくれる。 また、真田幸村の側近のひとりで、創作上の家臣団「真田十勇士」(さなだじゅうゆうし)にも名前が登場する「海野六郎」(うんのろくろう)も、この地の出身と伝えられています。 1583年(天正11年)には、真田昌幸が「上田城」(長野県上田市)築城の際、海野から神社や町を上田に移した。 その後、集落を縮小し、「雪国街道の宿駅」として設けられたのが海野宿なのだ。
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4 日前
北国街道「海野宿」  海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成している。   道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里を想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれる。 海野宿の歴史 海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設された。 北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道。 佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。 寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈した。 明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わった。 海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けている。 ⭐︎この写真の見どころ⭐︎  伝統的な建造物の意匠  両側にせり出した部分に注目! 「本うだつ」といいこれは江戸時代のもの。 他に「袖うだつ」があり、それは明治時代のもの。 どちらも富裕な家でなければできるものではありませんでした。 このようなところから「うだつがあがらぬ」という言葉も生れています。
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