• 投稿者
  • 画像
  • シェア
  • 地域
  • タグ

みんなのSNS投稿

長野県 塩尻市観光協会
2024年6月27日
【塩尻が日本有数のワイン銘醸地って知ってましたか? 】 日本国内には400~500社のワイナリーがあり、その内約80社が長野県にあります。 塩尻市は長野県内で最もたくさんのワイナリーを抱えている地域で、15社のワイナリーがあります。 明治時代に創業した100年以上続くようなワイナリーもあれば、令和に創業した新しいワイナリーもあり、15社それぞれが違った個性を持つワインを造りだします。 また、この塩尻市には高校でもワインを造っており、学生のうちからワイン醸造を学べる環境があります。 なぜこんなにもワイン産業が盛んなのかというと、700Mの標高によって昼夜の寒暖差が大きく、日照時間が長いこと、さらに土壌は砂利と火山灰で、ブドウを栽培するには最高の環境が整っているためです。 この土地で作られた良質なぶどうから、質の高いワインが作り出されているわけです。 そんな塩尻で作られているワインの中で、とりわけ評価が高いのはメルロー。 1989年には、権威ある国際コンクールで大金賞を受賞したほどです。 年に1回開催される「塩尻ワイナリーフェスタ」には日本中から多くの来場者が訪れ、塩尻中のワインを飲み尽くします笑 ぜひ塩尻ワインをお試しください。
さらに表示
  • ワイン
  • 塩尻市
  • 長野県
  • 酒・お酒
  • グルメ
  • 名物・特産品・特産物・名産品
  • 日本
  • 観光
  • 旅行
  • インスタ映え
  • …他3件
福井県 若狭美浜観光協会
2024年6月27日
佐柿国吉城 1、“難攻不落”朝倉勢の侵攻を食い止めた堅城 2、発掘調査で姿を現した“石垣の城” 3、四季折々の“城跡の彩り”と、城跡から見える“若狭の絶景” 国吉城は、美浜町東部の「佐柿」にあった山城で、戦国時代は若狭国と敦賀国の国境を守る「境目の城」でした。 若狭国守護大名武田氏の重臣、粟屋越中守勝久が、弘治2年(1556)に古城を利用して築いたと伝わります。 国吉城の勇名を轟かせた「国吉籠城戦」は、永禄6年(1563)、越前朝倉氏の侵攻を撃退したのが始まりで、朝倉氏が滅亡する天正元年(1573)まで、ほぼ毎年襲来する朝倉勢を、粟屋勢が国吉城に立て籠もって迎え撃ち、一度も落城しませんでした。 この戦いの様子は、粟屋勢に参加した地侍、田辺半太夫安次の昔語りが、軍記『国吉籠城記』として世に広まりました。 因みに、城は当時「佐柿城」と呼ばれていましたが、『国吉籠城記』の広まりで「国吉城」が定着してしまいました。  元亀元年1570には、朝倉氏攻めに向かう織田信長率いる3万の軍勢を迎え入れました。 木下藤吉郎豊臣秀吉や徳川家康、そして今年の大河ドラマの主人公、明智光秀らと共に国吉城に入城した信長は、籠城戦を戦った勝久と地侍たちと謁見し、褒め称えたと『国吉籠城記』には記されます。 その後、天正11年1583には豊臣秀吉の家臣、木村常陸介が城主となり、城下町を開きました。 現在の佐柿集落の起源であり、江戸時代は丹後街道の宿場として繁栄しました。 町並みには当時の面影が色濃く残ります。  城は、江戸時代前半の寛永11年1635に京極氏に代わり酒井忠勝が小浜藩主となった折に廃城となり、代わって城跡の南に佐柿町奉行所が建てられました。 その跡地には、平成21年(2009)に若狭国吉城歴史資料館が開館しました。 昭和58年(1983)に町史跡に指定され、郷土の歴史遺産である国吉城址を保存し、活用を図るため、平成12年度(2000)から始まった発掘調査では、朝倉勢の猛攻を退けた戦国期山城がそのまま残ると考えられていましたが、調査の結果、大規模な礎石建物群や、一様に上半分を崩し、下半分を埋めた破城痕跡を示す石垣、 山上本丸北西虎口の巨大な礎石と鏡石、本丸南隅土壇上の建物跡天守かなどが発見され、国吉城のイメージを大きく覆しました。 これらの遺構は、豊臣大名の木村常陸介が、新領主の力を誇示するよう大改修をした結果とみられますが、資料にはありませんでした。 発掘調査によって始めて判明した「真実」なのです。 平成29年(2017)、公益財団法人日本城郭協会より“続日本100名城”に選定され、春には城下町佐柿に咲く桜と城跡を彩るシャガ、夏には葉が白く染まる半夏生の群生、秋には青蓮寺や徳賞寺の紅葉、冬は一面の銀世界と、四季折々の彩りを見せながら多くの見学者を出迎えます。 本丸までは遊歩道が整備されていますが、九十九折れの坂道は終わりが見えず、実際に“難攻不落”を体感する感覚になります。 しかし、ようやく辿り着いた本丸跡では、雄大な若狭の自然と美しい風景が皆様を出迎えてくれ、ここまでの苦労を忘れさせてくれるでしょう。 佐柿国吉城 福井県三方郡美浜町佐柿 お問合せ 若狭国吉城歴史資料館(電話0770-32-0050)
さらに表示
  • 福井県美浜町
  • 福井県
  • 城・城址・城跡
  • 歴史
  • ここに行きたい・行ってみたい
  • 絶景
イエローフィット
2024年6月27日
断崖に佇む波上宮 / 琉球八社 那覇市若狭にある琉球八社の一つ「波上宮」(なみのうえぐう)です。 以前に境内から拝殿を紹介しましたが、今回は裏の臨海道路から本殿を撮りました。 創建については琉球王国時代といわれているが明らかになっていない・・王国時代の那覇は浮島だったということで、ここ波上宮は離れ小島だったそうです。 それが今に至っています。 左奥には那覇で唯一のビーチ「波の上ビーチ」があり、夏の晴れてる日はこの様に海がエメラルドグリーンになり、青い空と崖の上に鎮座する朱色の本殿が絶景で映えます。 波上宮は沖縄戦で被災しましたが、昭和28年に本殿、昭和36年に拝殿が再建されました。 沖縄は梅雨も明けて夏に突入です。 この日はサップを楽しむ観光客が結構いて写真を撮りながら羨ましく思ってました ^^
さらに表示
  • フォトコンテスト
  • 歴史
  • 沖縄県
  • 那覇市
  • 神社
  • 海岸・ビーチ・海
  • 自然
  • 絶景
  • 観光
⻑野県 豊丘村観光協会(とよおか旅時間)
2024年6月26日
◆御手形諏訪神社・御手形石の由緒◆ 諏訪神社に祀られている大石の上に、大きな手の跡が付いているのが御手形石の起こりである。 大昔、八百万の神が集まる高天が原(たかまがはら)から、使者が出雲に来て大国主命(おおくにぬしのみこと)に帰順を勧めた。 大国主命は早速承知し降参したが、若い息子の建御名方命(たてみなかたのみこと)は承知せず談判決裂、ついに高天が原の武甕槌命(たけみかづち)との戦いになる。 建御名方命は敗れて逃げるが、武甕槌命はどこまでも追いかけ、とうとう佐原の地で追いついた。 建御名方命は降参し傍らの石に手形をつけて帰順の誓いをし、二神の間に和睦が成立した。 この地を「追いの窪」という。 武甕槌命が建御名方命を追って来たから出来た石だという。
さらに表示
  • 長野県
  • 豊丘村
  • 信州
  • とよおか旅時間
  • 豊丘村観光協会
  • 南信州・南信州地域
  • 観光
  • 旅行
  • 伝統文化
  • 歴史
  • …他2件

あなたへのおすすめ