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動画記事 3:56
富山県中新川郡立山に伝わる「布橋灌頂会」は歴史風情溢れる伝統儀式。白装束に身を包み荘厳華麗な姿は日本古来の伝統を重んじる。
伝統文化- 223 回再生
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富山県中新川郡立山の伝統儀式・布橋灌頂会(ぬのばしかんちょうえ)動画紹介 こちらは「富山県立山町公式チャンネル」が公開した富山県立山町に古くから伝わる儀式「布橋灌頂会(ぬのばしかんちょうえ)」を紹介する動画「日本ユネスコ未来遺産 布橋灌頂会(富山県立山町)Nunobashi Kanjoe Purification Ceremony (Long version) Tateyama Town, Japan」です。 布橋灌頂会(ぬのばしかんちょうえ)は、富山県立山市にある芦峅寺(あしくらじ)に古くから伝わる伝統儀式です。 こちらの記事では、日本ユネスコ未来遺産に登録された日本伝統の儀式の「布橋灌頂会(ぬのばしかんちょうえ)」について詳しくご紹介いたします。 富山県立山町に伝わる布橋灌頂会とは?歴史は 画像引用 :YouTube screenshot 富山県の名所として知られる立山は日本三大霊山の1つに数えられ、古くから霊的な山として信仰を集めてきました。 富山県の立山はもともと女人禁制で、江戸時代には女性が登ることは許されていませんでした。 そんな女性たちが、立山の姥堂川にかかる布橋という架け橋を渡って極楽往生を願ったことが、布橋灌頂会の始まりとされています。 富山県立山町に伝わる布橋灌頂会の儀式はどう執り行われる? 画像引用 :YouTube screenshot 布橋灌頂会では、白装束姿の女性たちが薄暗い閻魔堂に入り、極楽往生のために読経などの儀式を行ないます。 こちらは動画の2:41からご覧になることができます。 布橋灌頂会の儀式は江戸時代より盛んに行われていましたが、明治期の廃仏毀釈で一旦廃止され、平成に入ってから復興されました。 布橋灌頂会は現在では3年に1回のみ開催される、めったに見ることのできない貴重な儀式です。 歴史的かつ貴重な儀式であることが評価され、2012年に布橋灌頂会は日本ユネスコ未来遺産に登録されました。 富山県立山エリア周辺の観光スポットは? 写真:富山県・立山博物館遥望館 布橋灌頂会が行なわれている地にある立山博物館遥望館は、立山の歴史や布橋灌頂会の詳しい儀式内容を学べる映像ホールです。 富山県立山観光へ行くときには、ぜひ周辺エリアの情報イベントをチェックするのがおすすめです。 立山博物館の敷地内には、地獄をイメージしたという人気テーマパーク「まんだら遊園」もあるので立ち寄ってみてくださいね。 富山県立山町に伝わる伝統儀式・布橋灌頂会紹介まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 動画でもごご覧になれるように、富山県の立山エリアに伝わる布橋灌頂会は、日本の伝統文化を今に伝える貴重な儀式です。 富山県立山エリアに立ち寄ったときには、布橋灌頂会に関する資料が豊富な立山博物館で、その幽玄の世界を体験してみてくださいね。 -
動画記事 3:13
「揚浜式製塩」は石川県珠洲市の能登に500年続く塩づくり方法。国の重要無形民俗文化財に指定される手間暇のかかる製法が美味しい塩を作る!
伝統文化- 254 回再生
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石川県珠洲市に残る「揚浜式製塩」の紹介動画について こちらは、「nippon.com」が公開した石川県に受け継がれる塩の製塩方法「揚浜式製塩」の作業を紹介する約3分の動画「【4K動画】能登に国内で唯一残る「揚浜式製塩」:石川・珠洲 | nippon.com」です。 こちらの記事と動画は、国の重要無形民俗文化財にも指定されている「揚浜式製塩」の伝統技術とはどんなものなのか、どのように作られているのかを詳しくご紹介しています。 手作業で丁寧につくられる天然塩は、ミネラルなどの栄養価が高く、うま味がたっぷり。 シンプルに塩でいただくお料理に使うと味の違いが歴然で、「揚浜式製塩」の塩は国内の料理人から高い評価を受けているほか、石川県のお土産として観光客にも人気です。 石川県「揚浜式製塩」とは 写真:塩 「揚浜式製塩」は、造成した塩田に海水を汲み上げて塩を作る古来の技術です。 この塩づくりには熟練の技術が必要になります。 能登塩田の歴史は16世紀末に始まったとされ、当時、農民救済と財源確保のために加賀藩主が奨励したと言われています。 農民は塩を作りそれを納めることで、米を貸し付けてもらえました。 2008年に国の重要無形民俗文化財に指定され、2018年には当時皇太子だった天皇陛下が製塩の作業を視察されました。 現在は、石川県珠洲市の1カ所だけで伝承されています。 石川県「揚浜式製塩」の製塩方法 画像引用 :YouTube screenshot 「揚浜式製塩」は、目の前の海から海水を汲み上げて運ぶ「海水運び」から始まります。 こちらは動画の0:17よりごらんになれます。 動画の0:36からご覧になれるように汲んだ海水は引桶(しこけ)にためて、塩田に均一にまく「潮撒き」がおこなわれます。 すぐに乾くように細攫え(こまざらえ)という道具で塩田に筋を入れて、太陽の光の熱と風によって水分を蒸発させます。 柄振(いぶり)という道具で砂を集める「カン砂集め」のあと、組み立てられた垂舟(たれふね)に、しっぱつ(または、こみ)で砂が入れられます。 垂舟に海水が入れられて砂に付着した塩分とともに濃い鹹水(かんすい)が集められます。 動画の1:38からは、このあとの釜屋作業が紹介されます。 かん水を約6時間かけて荒焚きして煮詰めて冷ましてから、胴桶(どうけ)でろ過。 そして16時間程度の本焚きがおこなわれて、結晶化した塩があらわれます。 い出場(いでば)または塩床(しおどこ)と言われる場所で4日間寝かして、塩と苦汁(にがり)に分けられたあと、塩から不純物を取り除き梱包して完成です。 約600リットルの海水からできる塩は、たった120キログラムです。 石川県「揚浜式製塩」の紹介まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 石川県の「揚浜式製塩」の塩は、50グラム400円で販売されています。 塩サイダーやハーブじおのほか、ソフトクリームなどのスイーツも知られています。 また、石川県珠洲の道の駅では塩づくり体験が旅行者に人気です。 こちらの動画では、「揚浜式製法」はどんな製法なのかわかりやすくご紹介しています。 昔ながらの製塩技術に興味がある方はぜひご覧ください。 【公式ホームページ】揚げ浜式製塩の塩づくり|奥能登塩田村 https://enden.jp/making_salt/ -
動画記事 3:30
石川県金沢市の加賀百万石「金沢おどり」は豪華絢爛の舞台のほか、お茶席やお座敷も!3つのお茶屋街から「おもてなしの心」を極めた金沢芸妓が総結集。
伝統文化- 310 回再生
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石川県金沢市の加賀百万石の伝統芸能「金沢おどり」動画紹介 こちらの動画は「nippon.com」が公開した「芸妓衆が舞う金沢おどり:加賀百万石の城下町 金沢 | nippon.com」です。 加賀百万石と呼ばれ、江戸時代から加賀前田家の手によって城下町として栄えた石川県金沢市。 その一方で伝統文化や伝統芸能も発展しました。 動画で紹介されている「金沢おどり」もそのひとつ。 動画をご覧になれば金沢おどりの美しい演目や、金沢芸妓の歴史に触れることができます。 「金沢おどり」を盛り上げる金沢芸妓とはなにか?特徴や歴史、マナーもご紹介! 写真:石川県金沢・東茶屋街 金沢おどりとは、三茶屋街の金沢芸妓たちが総出演し、演目を披露する9月の祭典です。 金沢おどりは例年、石川県立音楽堂で4日間開催されます。 石川県の金沢芸妓の起源は、三茶屋街が誕生した藩政時代、文政の頃とされています。 加賀藩は文化発展を後押しし、どんな職業の者も能楽に親しめるようになりました。 動画の0:44からご覧になれる「空から謡(ウタイ)が降ってくる」という言葉は、大工は屋根の上から、庭師は木の上から謡を口ずさむくらい、金沢では能楽が盛んだという意味です。 金沢芸妓は発展当時から芸を磨き続け「おもてなしの心」を現代に継承し、石川県金沢の文化に根付いていきました。 その証拠に、金沢芸妓の活躍の場である三茶屋街は、日本の情緒や花街文化を色濃く残しています。 ひがし茶屋街、にし茶屋街、主計(カズエ)茶屋街で構成されている三茶屋街は、大正時代の大ベストセラー『地上』の作家・島田清次郎が、幼少期暮らしていたことでも有名。 平成13年には、ひがし茶屋街、平成20年には主計茶屋街が国の重要伝統的建築物群保存地区に指定されました。 金沢芸妓は小説や建築文化にも影響を与えているのです。 石川県金沢に来たのならお座敷体験をしたいところですが、マナーもあるので注意が必要です。 お茶屋さんの座敷は金沢芸妓の真剣勝負の場です。 お酌がほどよく進み会話も楽しんだところで、飲食と会話を慎み、雅な時間を堪能します。 「金沢おどり」の見どころは3つ!グランドフィナーレの「金沢風雅」、お座敷体験プランやお茶席も! 画像引用 :YouTube screenshot お茶屋さんは「一見さんお断り」のしきたりもあり、観光客がお座敷遊びをするにはハードルが高い事実もあります。 しかし、金沢おどりではお座敷体験プラン「加賀の宴」のチケットを販売しているので、気軽にお座敷気分を味わうことができます。 さらに金沢おどりの期間中は、お茶席も設けられます。 金沢芸妓の魅力を、もっと身近に感じることができるでしょう。 そして、金沢おどりの醍醐味である演目には様々な種類があります。 小鼓と舞による「一調一舞」、動画の1:59からご覧になれる歌や舞が無く三味線や太鼓などで演奏される「素囃子」、締太鼓と大太鼓による「お座敷太鼓」などの多彩な芸があります。 なかでも、動画の2:31からご覧になれる三茶屋街の金沢芸妓が結集する総おどり曲「金沢風雅」は必見です! 作詞は直木賞作家の村松ともみさん、作曲は大和楽家元である大和久松さん、振り付けは日本舞踊西川家元(現総師)の西川右近さんが担当しており、金沢おどりは豪華絢爛のグランドフィナーレを迎えます。 金沢おどりまとめ 金沢芸妓の文化は日々の精進の賜物。 画像引用 :YouTube screenshot 動画でもご覧になれる金沢おどりで披露する演目は、日本内外で高く評価されています。 それはひとえに金沢芸妓の精進のなせる業。 「おもてなしの心」を持って日本の伝統を体現し、金沢おどりのステージで優雅に舞う姿を、この動画で堪能してください。 【公式ホームページ】金沢おどり http://www.kanazawaodori.jp/ -
動画記事 10:47
350年の歴史を持つ石川県能登町の「あばれ祭り」は必見!神輿を叩きつけ、川に沈める!他では見られない過激なお祭り!
祭り・イベント 伝統文化- 294 回再生
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石川県能登に伝わる日本の伝統「あばれ祭り」とは? こちらの動画は「和倉温泉 多田屋 WAKURAONSEN TADAYA」が公開した石川県能登町宇出津に伝わる、「あばれ祭り」を紹介した「あばれ祭 - のとつづり」です。 あばれ祭りは350年以上の歴史がある日本の伝統行事で、無形民族文化財にも指定されています。 このお祭りは、キリコ祭りの先陣を切って行われる勇壮な祭りで、2日間に亘っておこなわれます。 1日目は約40基のキリコ山車が大松明(おおたいまつ)の火の粉を浴びながら無病息災を祈願し、御囃子や掛け声、太鼓に合わせて街を練り歩きます。 2日目には宮神輿が登場し、いやさか広場にキリコと神輿が集結しクライマックスを迎えます。 あばれ祭りという名前は宮神輿を水中や炎の中に投げ込んだり、地面に叩きつけるなどの過激なしきたりから由来しています。 祭りの期間は花火やライブ、屋台なども出て、能登の街はあばれ祭り一色になります。 石川県能登地方に伝わるキリコお祭りとイベント情報 あばれ祭りはキリコ祭りのオープニングを飾る祭りです。 キリコとは巨大な灯篭を模した山車のことで、キリコ吉祥文字と言われる地区ごとの願いや祈りを込めた文字を記し、御囃子や太鼓で祭囃子を鳴らしながら能登の街を練り歩きます。 キリコ祭りは石川県能登地方の住民にとって最も重要な夏祭りと言われていて、毎年祭りの時期には帰省し祭りに参加するしきたりなのだそうです。 特に宮神輿は一年を通じて石川県能登地方の祭りに参加し、貢献した担ぎ手だけが持つことを許されている特別な神輿です。 あばれ神輿の歴史と日本神話のつながり 江戸時代にかけて石川県周辺の能登地方は日本海に面した海上交通の要所でした。 加賀百万石と称された金沢を有し人の往来が絶えない豊かな地域でしたが、降水量が多くたびたび疫病の流行に悩まされていました。 そこで本格的に疫病が流行る前にキリコに魔を封じ、炎で清めたのがキリコ祭りの始まりと言われています。 昔から八坂神社では無病息災の祈祷が行われてきたのですが、肝心の宮神輿にまで悪鬼が取り付いてしまったので、神輿を乱舞させ地面に叩きつけ病魔ごと葬ったというのが神輿の扱いに関する由来です。 八坂神社の御祭祀、素戔嗚命(スサノオのミコト)は神仏習合により牛頭天王と同一格となり、京都八坂神社の祇園社信仰と結びつき、全国に広がりました。 素戔嗚命はヤマタノオロチを退治したことでも有名な日本神話を代表する神様で仏教では薬師如来が同格です。 このため、無病息災、悪鬼退散などのご利益があると言われています。 石川県能登に伝わる日本の伝統「あばれ祭り」のまとめ 石川県能登に伝わる日本の伝統奇祭「あばれ祭り」は1997年に「能登のキリコ祭り」として国から「無形民俗文化財」に指定され、その後2015年に文化庁から日本遺産の最初の18件の1つに選ばれました。 動画では2016年に行われた迫力ある祭りの模様を紹介しています。 来年はあなたも浴衣や、はっぴで石川県能登の「あばれ祭り」に足を運んでみませんか? 日程やイベント情報、当日の駐車場情報は「能登町観光ガイド」でご確認ください。