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長野県 東御市 信州とうみ観光協会
2024年5月14日
調和の町並みが続く海野宿の一棟貸しの宿 上州屋 江戸時代には宿場町として活気に溢れ、明治・大正時代に養蚕が盛んな街へと移り変わっていった海野宿。 今もなお、当時の貴重な建物が軒を連ね、一歩足を踏み入れれば、約400年近く続く海野宿の永い歴史を超えて絶えず流れる「とき」を感じる景観が広がっています。 「ときを、ほどく」自身の時間を一本の糸になぞらえ、固く撚られた糸をほどくことができる、唯一の空間が上州屋です。 上州屋のご夕食 上州屋は小諸市「酔心」のプロデュースによる創作和食をご提供しています。 信州産の食材を使った小鉢、メインに信州プレミアム牛のすき焼き。 まだまだ寒いこの季節に温まるお鍋です。 お料理はご予算、ご希望によりアレンジもご相談いただけます。 上州屋の空間で満たされるお料理、地元ワインもご一緒に「ときをほどく」をご体感ください。 #海野宿 #古い町並み #長野旅 #一棟貸し
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長野県 東御市 信州とうみ観光協会
2024年5月14日
新年度の長ーい1週間が終わろうとしていますね。 ここでちょっぴり3月の振り返り。 [中高生によるスタディーツアー@東御市を実施] 3/23(土)〜26(火)上田・東御スタディーツアーとして、東京学芸大学附属国際中等教育学校ボランティア部ソーシャルアクションチームの皆さんが東御市を訪れました! 上田とは継続した関係性のなか、今回は東御にもフィールドを広げ、中高生14名が初めての東御を体験(東御は3/25の1day)。 実際に地域を訪れ、地域の人と触れ合い、中高生なりの視点で地域の課題を一緒に考えるスタディーツアーに取り組みました。 東御のテーマは、「東御に人が集まるには?」。 (大きいっ! )なぜなら今回初めての東御ということもあり、あえて観光という視点にとらわれず、多角的に東御の魅力を捉えてもらうことをお願いしました。 【今回ご協力いただいた地域の皆さん】 ⚪︎cave hatano 波田野さん ⚪︎SASAKI FARM 佐々木さん ⚪︎児玉家住宅&カフェ 児玉寧さん一家 ⚪︎海野宿上州屋 浅川さん ※SASAKI FARMさんは研修のため特別に受け入れていただきました。 観光牧場ではないのでご注意ください。 東御という土地そのものに惚れ込み、こだわりや想いの実現に向けて挑戦する大人たちの熱量に触れながら、具体的かつ広がりのある質問を熱心に投げかけてくれた中高生たち。 1日という限られた時間だけど、東御のことを深く知ろうとしてくれている姿がとても印象的でした。 最後には、海野宿ふれあいセンターでみんなが感じた「東御の魅力」を短時間でアウトプット。 模造紙を広げた瞬間から、一気にペンが動く動く! 中高生たちの熱量にも感動。 この先のまとめられた報告もますます楽しみになりました。 東御も上田のように、継続性を持った繋がりが構築できればと思わずにはいられません。 東京学芸大学附属国際中等教育学校ボランティア部の 皆さん、また東御で会いましょうね/ ・ ・ [感謝] ご協力くださった地域の皆さま、改めてありがとうございました! タグ付けが一部うまくいかず、ご了承ください?(地域おこし協力隊 T.N) #東御市 #長野県 #スタディーツアー #観光協会 #商工観光課 #中高生 #地域課題 #地域と繋がる #挑戦する大人たち #ワイナリー #cavehatano #羊牧場 #ササキファーム #sasakifarm #児玉家住宅 #児玉家住宅カフェ #海野宿 #一棟貸し宿 #海野宿上州屋
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2024年5月8日
北国街道「海野宿」 海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成している。 道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里を想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれる。 海野宿の歴史 海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設された。 北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道。 佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。 寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈した。 明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わった。 海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けている。 ⭐︎この写真の見どころ⭐︎  江戸時代の旅籠屋造りの建築物は、2階部分が1階よりも張り出した造りとなっている。 雨の日、旅人が身支度の際に濡れないようにとの配慮だと言われる。
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2024年5月8日
真田一族の著名な武将と言えば、1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」で「徳川家康」を追いつめる活躍をした「真田幸村(真田信繁)」(さなだゆきむら)や、徳川家康の大軍を2度も退けた「真田昌幸」(さなだまさゆき)が有名。 また「武田信玄」の謀将(ぼうしょう:計略に優れた大将)として、武田信玄も及ばないと言われた「真田幸隆」(さなだゆきたか)などが挙げられる。 宿場町が開設される以前、海野宿は「海野郷」(うんののごう)または「海野庄」と呼ばれ、真田一族のルーツとされる信州の名家・滋野(しげの)一族の分家である海野氏発祥の地として、平安から鎌倉、戦国時代までその本領だった。 ⭐︎この写真のポイント⭐︎ これが本陣の今の様子。 門を開けると立派な木が出迎えてくれる。 また、真田幸村の側近のひとりで、創作上の家臣団「真田十勇士」(さなだじゅうゆうし)にも名前が登場する「海野六郎」(うんのろくろう)も、この地の出身と伝えられています。 1583年(天正11年)には、真田昌幸が「上田城」(長野県上田市)築城の際、海野から神社や町を上田に移した。 その後、集落を縮小し、「雪国街道の宿駅」として設けられたのが海野宿なのだ。
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2024年5月8日
北国街道「海野宿」  海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成している。   道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里を想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれる。 海野宿の歴史 海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設された。 北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道。 佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。 寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈した。 明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わった。 海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けている。 ⭐︎この写真の見どころ⭐︎  伝統的な建造物の意匠  両側にせり出した部分に注目! 「本うだつ」といいこれは江戸時代のもの。 他に「袖うだつ」があり、それは明治時代のもの。 どちらも富裕な家でなければできるものではありませんでした。 このようなところから「うだつがあがらぬ」という言葉も生れています。
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2024年5月7日
江戸時代の旅籠造りの建物と明治時代以降の養蚕が盛んな頃に建てられた養蚕造りの建物が調和した伝統的な街並みが魅力です。 道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里を想わせる静かな佇まいを感じさせてくれます。 ⭐︎この写真のポイント⭐︎ 2階の出格子は「海野格子」と呼ばれていて江戸時代のもの。 屋根の上に、小さな屋根がある。 これは「気抜き」と呼ばれ、明治時代の蚕室造りの象徴です。 旅籠として使われなくなった後、客室を蚕室として使う際、保温のため焚いた火の煙を出すために造られたものである。 宿場から養蚕業へ、という変遷を物語る特徴となっている。 「海野宿」の詳細: 海野宿は1625年に北国街道の宿駅として開設されました。 北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道で、佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。 明治時代に入ってからは、養蚕が盛んになりました。 その頃の建物の特徴が、現在も残っています。 伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、昭和62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。
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2024年5月7日
江戸時代の旅籠造りの建物と明治時代以降の養蚕が盛んな頃に建てられた養蚕造りの建物が調和した伝統的な街並みが魅力です。 道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里を想わせる静かな佇まいを感じさせてくれます。 詳細: 海野宿は1625年に北国街道の宿駅として開設されました。 北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道で、佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。 明治時代に入ってからは、養蚕が盛んになりました。 その頃の建物の特徴が、現在も残っています。 伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、昭和62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。
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