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Maskman Tiger
2024年5月10日
初詣で行った伊勢神宮!! 外宮も内宮も緑豊かで太古からの自然味や神々しさを感じる、まさにパワースポットだし御縁を結びたい人と是非一緒に行ってみてはと思います(*^^*) 内宮へは外宮からのバスが必要だけど、外宮へは大阪難波から近鉄特急で乗換なしで伊勢市まで行けるので関西圏からもアクセスは良いかと思います。 内宮も巡ったら、目と鼻の先にあるおかげ横丁で伊勢名物の伊勢うどんや松阪牛の牛串をはじめ名物料理を味わってみることもオススメできます。
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Maskman Tiger
2024年5月9日
兵庫県のハイキングコース、旧福知山線廃線敷での1枚です! かつては炭鉱だったそうで、その輸送ルートとして鉄道が使われていた跡地が今では自然味たっぷりのハイキングコースとして知られています。 廃線敷とあって歴史や過去の面影を感じる一方で自然味たっぷりでアップダウンもあまりない歩きやすいハイキングコースなので、個人的には親子でハイキングを楽しみたい方々にオススメしたいです。
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2024年5月8日
長野県東御市 県宝旧和(かのう)学校校舎 この学校は、明治12年(1879)に建てられた。 県内では佐久の中込学校と松本の開智学校に次いで古く、上田・小県地方では最古の学校建築。 この校舎は、和村民の熱意あふれる教育愛によって建てられました。 心は日本人らしく、知識は西洋の文化をという「和魂洋才」型の人間を育てる ことを目的とした。 ⭐︎この写真のポイント⭐︎  屋根は瓦ぶき入母屋という寺や神社に多く見られる造りで、軒先の鬼瓦に も特色がある(竜虎孔子孟子)。
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2024年5月8日
北国街道「海野宿」 海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成している。 道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里を想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれる。 海野宿の歴史 海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設された。 北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道。 佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。 寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈した。 明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わった。 海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けている。 ⭐︎この写真の見どころ⭐︎  江戸時代の旅籠屋造りの建築物は、2階部分が1階よりも張り出した造りとなっている。 雨の日、旅人が身支度の際に濡れないようにとの配慮だと言われる。
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2024年5月8日
真田一族の著名な武将と言えば、1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」で「徳川家康」を追いつめる活躍をした「真田幸村(真田信繁)」(さなだゆきむら)や、徳川家康の大軍を2度も退けた「真田昌幸」(さなだまさゆき)が有名。 また「武田信玄」の謀将(ぼうしょう:計略に優れた大将)として、武田信玄も及ばないと言われた「真田幸隆」(さなだゆきたか)などが挙げられる。 宿場町が開設される以前、海野宿は「海野郷」(うんののごう)または「海野庄」と呼ばれ、真田一族のルーツとされる信州の名家・滋野(しげの)一族の分家である海野氏発祥の地として、平安から鎌倉、戦国時代までその本領だった。 ⭐︎この写真のポイント⭐︎ これが本陣の今の様子。 門を開けると立派な木が出迎えてくれる。 また、真田幸村の側近のひとりで、創作上の家臣団「真田十勇士」(さなだじゅうゆうし)にも名前が登場する「海野六郎」(うんのろくろう)も、この地の出身と伝えられています。 1583年(天正11年)には、真田昌幸が「上田城」(長野県上田市)築城の際、海野から神社や町を上田に移した。 その後、集落を縮小し、「雪国街道の宿駅」として設けられたのが海野宿なのだ。
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2024年5月8日
北国街道「海野宿」  海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成している。   道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里を想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれる。 海野宿の歴史 海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設された。 北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道。 佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。 寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈した。 明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わった。 海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けている。 ⭐︎この写真の見どころ⭐︎  伝統的な建造物の意匠  両側にせり出した部分に注目! 「本うだつ」といいこれは江戸時代のもの。 他に「袖うだつ」があり、それは明治時代のもの。 どちらも富裕な家でなければできるものではありませんでした。 このようなところから「うだつがあがらぬ」という言葉も生れています。
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さすらいの旅人1971
2024年5月7日
春の高山祭(山王祭)は旧高山城下町南半分の氏神様である日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催されます。 祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年から1692年)、屋台の起こりは1718年頃といわれ、巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、匠の技が生きています。 生で見るのは初めてで今までニュースや動画でしか見たことがなく、凄く新鮮で幻想的な世界観に触れることができました、私自身写真の技術はまだまだ未熟ですが、見た時の感動を伝えたいのが思いとしてあるのですが…
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