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動画記事 3:33
岡山城は黒く美しい姿で多くの観光客を魅了する!岡山県岡山市にある歴史的価値の高い戦国当時の姿を残す展示品の数々はきっとあなたを虜にする!
芸術・建築物- 61 回再生
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岡山城を紹介している動画について 「バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド」」が公開した「【刀剣ワールド】「岡山城」刀剣・甲冑に会える城|刀剣・甲冑展示の城郭 YouTube動画」は、岡山県にある人気観光スポットの岡山城を紹介している動画です。 岡山城には人気の刀剣である「太刀 雲生」や、花房正成が所有していた甲冑など、歴史的に価値の高い品々も多く展示されています。 こちらの動画では、岡山城、そして城内に展示されている刀剣・甲冑を紹介しており、日本の歴史が好きな人には必見の動画です。 こちらの記事では、人気の観光スポット「岡山城」について動画と共に紹介します。 動画で紹介されている岡山城とは 写真:岡山城 梯郭式の平山城である岡山城は、城下町として発展を続けた岡山県岡山市北区(備前国御野郡岡山)にある国指定の史跡です。 豊臣家五大老のひとりであり、戦国時代の大名でもある「宇喜多秀家」が豊臣秀吉の指導で築城しました。 8年の歳月をかけて1597年に完成した歴史あるお城です。 三層六階の天守閣は昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和41年に再建し城主の間も復元されています。 岡山城の天守閣は、織田信長の安土城天守閣を模して築かれたといわれています。 天守台は不等辺五角形という独特な形をしており、見る角度によってその姿が変わります。 動画の0:26からご覧になれるように岡山城は旭川沿いの小高い山の上に建ち、市街地に流れる旭川は、城の東外堀を流れます。 岡山城の特徴は、カラスの羽のような黒く美しい姿で別名「烏城」や「金烏城」とも呼ばれています。 動画の1:31からご覧になれる本丸跡の石垣は、往時の姿を伝えている貴重なスポットです。 動画の1:52からは刀剣界で人気の高い「太刀 雲生」や、伝花房正成所用甲冑、紺糸緘二枚具足、宇喜多秀家・小早川秀秋・池田輝政の甲冑などをご覧になることができます。 他にも、重要文化財に指定されている「月見櫓」「西の丸西手櫓」、岡山城内最大の御殿である「表書院」など、岡山城には見どころがたくさんあります。 岡山城の観光情報 写真:岡山城の夜景 岡山城への交通アクセスは、路面電車の場合、岡山駅前から「東山行き」に乗車し、「城下」で下車徒歩10分、自動車は岡山ICから約20分。 入場料(入城料)は常設展期間が大人320円、小中学生130円、展示入替え期間は大人160円、小中学生65円です。 岡山城ではさまざまなイベントや特別展を開催しています。 毎年11月に開催される「秋の烏城桃源郷」では、岡山城天守閣と周辺がライトアップされ幻想的な風景を楽しめます。 春には桜を楽しむことができます。 公式サイトには城内の地図や年間スケジュールなど、さまざまな情報が掲載されています。 岡山城の周辺にはホテルもあるので遠方からの観光でも安心。 岡山県には「デミカツ丼」や「えびめし」などのご当地グルメも充実しているので、周辺ツアーやランチ・食事も楽しめますよ。 人気の観光スポット岡山城の紹介まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 「バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド」」が公開した「【刀剣ワールド】「岡山城」刀剣・甲冑に会える城|刀剣・甲冑展示の城郭 YouTube動画」は、岡山城の魅力を紹介しています。 岡山城は黒く美しい日本のお城。 ライトアップイベントも開催されており、美しい風景を楽しめます。 岡山城に訪れた際に御朱印や御城印、スタンプを押せばきっと岡山旅行の良い思い出となるでしょう。 【公式ホームページ】岡山城 - 川面に映える漆黒の城 https://okayama-kanko.net/ujo/index.html 【トリップアドバイザー】岡山城 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298134-d323963-Reviews-Okayama_Castle-Okayama_Okayama_Prefecture_Chugoku.html -
動画記事 6:24
大阪府松原市の歴史と今を知る。文化、歴史、自然、お祭り、グルメ・・・魅力がたっぷり詰まったこの街があなたを待っている!
地域PR 観光・旅行- 69 回再生
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大阪府「松原市」の情報を紹介 こちらの「松原市役所」が公開した動画「松原市観光PR動画 通常編」は、日本の近畿地方・大阪府のほぼ中央にある「松原市」の観光や文化、特産品の魅力を紹介するプロモーション動画です。 大阪府松原市の主要駅・近鉄南大阪線「河内松原駅」は、日本一高いビル「あべのハルカス」が建つ大阪環状線・大阪メトロ「天王寺駅」及び近鉄南大阪線「大阪阿部野橋駅」から電車で約10分の場所にあります。 大阪府松原市では平成28年に観光課が新設され、歴史や文化、特産品をアピールしています。 マスコットキャラクターは、松原にちなんだ市木「松」と市花「バラ」を頭にあしらった大阪弁の女の子「マッキー」です。 ゆるキャラ「マッキー」は動画の5:41からご覧になれます。 六社参拝で開運を願う、観光客にも人気の伝統文化「開運松原六社参り」とは 画像引用 :YouTube screenshot 動画の0:30からご覧になれる伝統文化「開運松原六社参り」は、毎年1月1日から1月15日までによりよい一年を過ごせるように祈願しながら六社の神社を参拝して「開運干支張り子」を授かる文化行事で観光客にも人気です。 巡る六社は、動画の0:47からご覧になれる学問の神・菅原道真が祀られる「屯倉神社(みやけじんじゃ)」、動画の1:24からご覧になれる古木が林立する神秘的な「阿麻美許曾神社(あまみこそじんじゃ)」、節分に無病息災を願う伝統文化「湯立神楽」で知られる動画の1:48からご覧になれる厄除宮「我堂八幡宮(がどうはちまんぐう)」、動画の2:25からご覧になれる本殿が大阪府指定有形文化財に指定されている「布忍神社(ぬのせじんじゃ)」、日本では珍しい歯の神様を祀っている動画の2:59からご覧になれる「紫籬神社(しばがきじんじゃ)」、動画の3:30からご覧になれる楠のご神木がある「阿保神社(あほじんじゃ)」です。 「布忍神社」で女性や観光客に人気なのが、文字だけの作品を制作する現代アーティスト・イチハラヒロコさんの「恋みくじ」で、はがきサイズの紙に印象的な一言が印刷されています。 インパクトのある文字と言葉がインスタ映えすると話題になり「恋みくじ」を目当てに訪れる人も多い人気の神社です。 大阪府松原市の史跡や文化財観光について 画像引用 :YouTube screenshot 動画の4:15からご覧になれる全長335メートルの「河内大塚山古墳」は日本で5番目に大きな前方後円墳で、新大阪百景にも選ばれています。 また、松原市には日本最古の官道・竹内街道や、長尾街道といった街道が伝わっています。 そのほか「来迎寺」「丹南天満宮」「大林寺」「西方寺」などの由緒ある寺社が多くあります。 日本・大阪府松原市紹介まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 松原市では「まつばらブランド認定事業」をおこなっており、松原市内の優れた技術や商品を認定してPRしています。 動画で紹介される「おいしいもの」は、昆布の佃煮、有明の一番摘みの海苔、松原市のブランド野菜をつかった和菓子、河内合鴨、難波ネギ、トマトなどです。 「おもしろいもの」として紹介されるのは、地元の人や観光客に人気の河内神社の秋祭りのだんじりや、スポーツパークまつばらのスケートボードです。 金網工業、真珠核、印材などが松原市の地場産業として有名です。 大阪欄間(らんま)を作るのは日本の伝統工芸士に認定されている高橋さん親子です。 動画で紹介された歴史深い日本古代の官道や文化財、寺社が点在する大阪府松原市を観光で訪れてみてはいかがでしょうか。 【公式ホームページ】大阪府松原市 市役所ホームページ https://www.city.matsubara.lg.jp/ 【トリップアドバイザー】松原 https://www.tripadvisor.jp/Tourism-g1023523-Matsubara_Osaka_Prefecture_Kinki-Vacations.html -
動画記事 3:35
大阪府にある大阪城はあの天下人・豊臣秀吉によって築城された!日本の重要美術品である当時の名刀や甲冑に触れて戦国時代の歴史を知る!
歴史- 325 回再生
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大阪城紹介動画について こちらの動画「【刀剣ワールド】「大阪城」刀剣・甲冑に会える城|刀剣・甲冑展示の城郭 YouTube動画」で紹介されているのは大阪府大阪市にそびえる大阪城です。 威風堂々とした佇まいは大阪のシンボルとしても有名ですね。 しかし、現在の大阪城にはどのような歴史があるのかご存知の方は案外少ないのではないでしょうか? 動画で紹介されている大阪城とは 写真:大阪城 大阪城は1583年(安土桃山時代)に天下人・豊臣秀吉によって築城されました。 大阪城天守閣には動画の0:39からご覧になれるように金色のしゃちほこを掲げ、金城や錦城とも言われた絢爛豪華な巨大な城で、秀吉の時代には強大な富と権力の象徴でしたが、秀吉亡き後、天下を狙う徳川家康と豊臣家が争う大阪の陣の舞台となり、豊臣側が負けて落城し、豊臣家も同時に滅亡します。 その後大阪城は徳川幕府に接収され、西日本支配の拠点となります。 大阪の陣で大阪城はかなり損壊し、徳川幕府によって再築されます。 現在残っている石垣や堀は徳川幕府によって再築されたものです。 大阪城に展示されている刀剣と甲冑について 画像引用 :YouTube screenshot それでは大阪城を巡る歴史を振り返ってみましょう。 時は戦国時代末期。 群雄割拠の時代も豊臣家と徳川家による争いに勝利したほうが天下統一を手中にするという情勢でした。 豊臣対徳川の争いでは幾つかの重要な合戦が有りますが、特に有名なのが天下分け目の関ヶ原と言われた「関ヶ原の戦い」でしょう。 この戦いで重要な役割を果たしたのが元は豊臣家の大名でありながら、秀吉の死後は徳川秀忠についた仙石秀久で、彼の甲冑が大阪城には所蔵されています。 現在大阪城を巡るこれらの歴史資料は天守閣内部にある博物館にて展示されています。 現在の大阪城は1931年に復興されたものですが明治維新や太平洋戦争の空襲で焼けてしまい、栄華を極めた大阪城は歴史の激動の中で幾度となく再築が繰り返されてきました。 今では大阪城跡は国の特別史跡に指定されており、再築された場内の博物館では動画の2:10からご覧になれる大阪を拠点とした刀工の名刀「大坂新刀」を収蔵しています。 また、動画の2:26からのご覧になれる刀銘「河内守国助」も所蔵され、こちらの作品は大阪府指定有形文化財に指定されています。 甲冑も戦国時代に作られたものを中心に数多く展示されていて、黒韋威胸紫紅白胴丸は重要美術品に指定されています。 大阪城に所蔵されている甲冑は動画の2:29よりご覧になれます。 大阪城紹介動画のまとめ 写真:大阪城のライトアップ 現在の大阪城は本丸、二の丸、重要文化財の櫓、外堀などが残っていて、内部を見ることができますが、現在も復元計画が進行しています。 また、周辺には桜の名所として知られ、バーベキューも楽しめる大阪城公園があり、イルミネーションやライトアップイベンドなどが開催され、多くの観光客で賑わいを見せています。 隣接する大阪城ホールではライブなどのイベントが開かれるなど、大阪城は名実ともに大阪のシンボルと言ってもよいでしょう。 大阪のグルメやランチと共に人気観光スポットの大阪城で日本の歴史に触れてください。 ◆大阪城 施設概要紹介◆ 【住所】〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城1-1 【交通アクセス】中央線・谷町線、谷町4丁目駅下車すぐ。 【入場料金】大人600円 【営業時間】9:00~17:00 【休館日】年末年始 【駐車場】有料駐車所あり 【公式ホームページ】大阪城天守閣 https://www.osakacastle.net/ 【トリップアドバイザー】大阪城 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g14127623-d320970-Reviews-Osaka_Castle-Chuo_Osaka_Osaka_Prefecture_Kinki.html -
動画記事 3:34
歴史ある古武道である二刀神影流鎖鎌術は日本武術に興味がある人必見!忍者?侍?達人による技の数々は一瞬たりとも目が離せない!
スポーツ 伝統文化 歴史- 425 回再生
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日本武術・古武道である「二刀神影流鎖鎌術」の動画について 「bushinjuku」が制作する、「Nito Shinkage Ryu Kusarigama Jutsu 二刀神影流鎖鎌術」は、日本武術である二刀神影流鎖鎌術を紹介している動画です。 心技体の精神が磨かれたことにより生み出されるすばらしい技に、きっと目を奪われるはずです。 この記事では、日本武術・古武道である二刀神影流鎖鎌術の歴史や起源などを紹介しています。 日本武術・古武道である二刀神影流鎖鎌術とは? 画像引用 :YouTube screenshot 日本古来の二刀神影流鎖鎌術は、鎖鎌という帯刀を認められなかった農民などが、自分の身を守るために生み出された武器を使った武術です。 現在では、鎖鎌術の型の演舞が開かれており、そこで鎖鎌の迫力や攻撃性の高さを知ることができます。 こちらの動画の0:13より見ることができます。 海外では、この動画が大変注目されています。 日本武術・古武道である二刀神影流鎖鎌術の特徴は、二丁の鎖を使い相手を倒すことです。 鎖の先につけられた分銅を相手に当て攻撃してきます。 こちらの動画の0:58より見ることができます。 また、分銅を操り相手の剣を巻いて、落としていく技もあります。 こちらの動画の1:46より見ることができます。 動画の3:10からは、分銅で数メートル離れた場所に置かれた鉢を砕いていく様子がご覧になれます。 現在の活動はこのような演舞や古武道大会以外に、剣道と異種試合を行うなど、普及活動を行っています。 日本武術・古武道である「二刀神影流鎖鎌術」の起源・歴史 画像引用 :YouTube screenshot 日本の古武道は自分の身を守る護身術として生まれ、その後、徒手によるものは柔術を中心に発展し、武器を使うものは剣術を中心に発展しました。 江戸末期には各藩内のみに秘伝された「御留流」などさまざまな流派があったと言われています。 その中で、日本武術である二刀神影流鎖鎌術は、宮本武蔵から二天一流を継いだ、新免弁助が開いた神免二刀神影流の流儀より派生したものです。 三代目の松村義孝に至り、「新免」の文字を削除しました。 現在は六代目の島村収が二刀神影流鎖鎌術の伝承や稽古などを務めています。 高知県高知市を中心に活動しているそうです。 日本武術・古武道である「二刀神影流鎖鎌術」の記事のまとめ 「bushinjuku」が制作する、「Nito Shinkage Ryu Kusarigama Jutsu 二刀神影流鎖鎌術」は、道着を着た達人が、日本武術の鎖鎌術を披露している動画です。 海外でも、昨今の忍者・侍の人気から剣道や柔道、空手などの日本伝統の競技・スポーツが人気となっています。 日本の武術を体験するために訪日観光に訪れる外国人の方も増えています。 この動画では厳しい修行や練習、稽古によって体得した技を見ることができ、その迫力にびっくりすると思いますよ。 日本武術・古武道に興味がある人には必見の動画です! 【公式ホームページ】二刀神影流鎖鎌術 - 日本古武道協会 http://www.nihonkobudokyoukai.org/martialarts/077/ -
動画記事 1:39
仏像をCTスキャンしたら天才仏師の運慶の作品だった!?大迫力の芸術品は歴史を覆す大発見!
歴史 芸術・建築物- 143 回再生
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奈良興福寺南円堂の四天王像のCTスキャン調査に関する動画をご紹介! こちらの『奈良・興福寺の国宝「四天王像」、作者は運慶? X線CTスキャン調査で技法解明』は「朝日新聞社」が公開した、奈良興福寺南円堂の四天王像に関する動画です。 2017年に東京国立博物館(東博)は、特別展「運慶」に合わせて、奈良県にある興福寺の仏像をCTスキャンしました。 これにより、日本彫刻史上最高傑作といわれる無著世親菩薩立像の作者が天才仏師運慶である可能性が浮上したのです。 現在、日本国内には運慶作の仏像がほかに31体あるとされますが、今後の調査で運慶作と考えられる仏像が増える可能性もあります。 動画で紹介されている四天王像のCTスキャン調査とはどんなもの? 画像引用 :YouTube screenshot 動画によると、奈良県興福寺南円堂の四天王像と興福寺北円堂の無著・世親両菩薩立像をCTスキャン調査したところ、いずれも芯のある木材を組み合わせていたことが分かりました。 これにより興福寺四天王像は運慶作ではないかと言われています。 無著・世親像の技法との共通性は双方の作者が運慶であるということを裏付ける重要な要素となりそうです。 動画では、2mを超える大きさの仏像を丁寧に梱包し、0:49よりX線CTスキャンを行います。 動画の0:10より、東京国立博物館の浅見龍介企画課長はインタビューで「この四天王像は今までX線透過撮影がされたことが無く像内の様子や構造が把握されていなかった」と語ります。 動画で紹介されている四天王像とはどういったもの? 画像引用 :YouTube screenshot 四天王像とは仏教で四方を守護している四神のことで、東方の持国天像、南方の増長天像、西方の広目天像、北方の多聞天像で構成されます。 興福寺の四天王像は運慶の父である康慶の作と考えられていましたが、今回の調査や作風の研究から、運慶の工房で作られた可能性が高まりました。 動画で紹介されている興福寺には国宝や国重要文化財が数多くある 写真:奈良県・興福寺 奈良県にある興福寺は東金堂と西金堂、北円堂や南円堂といった歴史的な建造物で構成されています。 興福寺の木造四天王立像は、動画で紹介されている南円堂の四天王像と入れ替わる形で旧金堂から南円堂へ移されました。 興福寺にはほかに阿修羅像、木造薬王菩薩・薬上菩薩立像、銅造薬師如来坐像、両脇侍像、木造文殊菩薩立像、木造維摩居士坐像、木造十二神将立像、銅造仏頭といった、平安時代や鎌倉時代に製作された寺宝が数多くあります。 興福寺四天王像の調査に関する動画まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 今回は、仏像に関する歴史的価値の高い発見を動画でご紹介しました。 この東京国立博物館の調査は、歴史の謎を紐解く重要な発見になるかもしれません。 奈良県は平城京の時代から栄え、現在でも東大寺や春日大社、薬師寺や当麻寺など色々な見どころがあります。 仏像や歴史に興味がある方は、ぜひ足を運んでみましょう。 【公式ホームページ】法相宗大本山 興福寺 https://www.kohfukuji.com/ -
動画記事 3:49
400年の歴史を誇る徳島県の「阿波おどり」の魅力とは?迫力ある男踊り 上品で華麗な女踊り 国内外の人を惹きつける日本を代表する夏祭り
祭り・イベント 伝統文化 観光・旅行 体験・遊ぶ- 64 回再生
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外国人女性が浴衣で楽しむ「阿波おどり」動画紹介 こちらは『youmemeyou tokushima』さん制作の『ロシア女性が夢見た「浴衣姿で阿波踊り【日本語字幕設定は下に】Russian woman dreamed about "Awa Odori in Yukata" in Jaoan」』という阿波おどり(あわおどり)を紹介した動画です。 アニメを見て日本を知り、日本のお祭りに浴衣を着て参加したいという夢を叶えるロシア人女性の姿を撮影しています。川沿いに立ち並ぶ様々な屋台、連なる提灯、迫力ある阿波おどりなど、インスタ映えするスポットも盛りだくさん。日本のお祭りの中でも、老若男女飛ばず、そして外国の方も一緒に楽しめる「阿波おどり」。臨場感あふれる動画をぜひご覧ください。 400年の歴史をもつ「阿波おどり」とは 写真:阿波踊り 阿波おどりの起源は、鎌倉時代の念仏踊り、戦国末期の風流踊り、徳島城築城の際の祝賀行事など、様々な説があります。いずれにしても阿波おどりは市民の間で定着し、度々の禁止令を乗り越え受け継がれてきました。阿波おどりは、日本の伝統芸能として知られています。 日本三大盆踊りのひとつである阿波おどりの人出は約130万人、連と呼ばれる団体の踊り子は約10万人といわれています。男踊り・女踊りといった踊り方に特徴があり、演舞場などの観覧スポットでは昼~夜にかけて様々な阿波おどりを見ることができます。 また、阿波おどり会館では、受付に英語や中国語に対応できるスタッフを配置するなど、近年外国人観光客に対する対応にも力を入れています。 阿波おどり期間中、徳島市の中心部は躍動感溢れる踊りと熱気と興奮に包まれるとともに、たくさんの屋台や提灯がお祭り気分を盛り上げてくれます。 【動画】2:34~ 数多くの屋台や提灯が並ぶ風景 華やかな衣装と特徴的な踊りが魅力~阿波おどりの楽しみ方 写真:阿波おどりのイメージ画像 「ヤットサー」や「エライヤッチャ」といったお馴染みの掛け声で、老若男女誰もが楽しむことができる阿波おどりですが、男女の衣装や踊り方にも特徴があります。 男性は法被や着流し(浴衣)を尻からげにした衣装で、「男踊り」と呼ばれるダイナミックなパフォーマンスで盛り上げます。 【動画】0:30~ 男踊り 女性は網笠を目深に被り、浴衣をからげて裾除けを見せる衣装が特徴的で、「女踊り」は上品でしなやかな手の振りと差し足を華麗にテンポ良く繰り返します。動画では女性が法被を着て「男踊り」をする映像を見ることができます。 【動画】0:17~ 法被を着て男踊りをする女性達 また、子ども達の可愛らしいパフォーマンスが楽しめる「ちびっ子踊り」も人気。連ごとに個性を活かしたお囃子、踊りを盛り上げる三味線や太鼓、笛といった楽器を組み合わせた鳴り物の伴奏も見どころのひとつ。2拍子の軽快なテンポで、踊り手と観客との一体感を楽しめる舞台を作り出しています。 【動画】0:54~ 観客も踊りに参加する様子 東京高円寺でも阿波おどりが行われるのはなぜ? 「東京高円寺阿波おどり」は、徳島市の阿波おどりに次ぐ規模で、この地域の夏の風物詩として知られています。開催時期は毎年8月下旬、その歴史は昭和32年(1957年)に町おこしとしてスタート。商店街のイベントがきっかけで、周辺の町や自治会などに拡大、現在では1万人が踊る「東京の阿波おどり」として、多くの人が訪れるようになりました。首都圏の連だけでなく、本場徳島からの踊り手も参加して盛り上げています。 外国人も楽しめる阿波おどりまとめ COOLJAPANVIDEOS 阿波おどりは、観光客や外国人の方も一緒に楽しめる日本の夏を代表するイベント。動画ではロシアから来た浴衣姿の女性を通して、阿波おどりという日本文化の素晴らしさが伝わります。見るにとどまらず参加できる阿波おどり、あなたもこの夏に一体感を味わいに訪れてみませんか。 ◆2023年阿波おどり◆ 開催日:8月12日(土)~15日(火)※11日(金・祝)に前夜祭 【公式ホームページ】2023阿波おどり開催決定|未来へつなぐ|徳島市 https://www.awaodorimirai.com/ -
動画記事 4:44
吉野杉の香りを楽しむ菊正宗の「樽酒」の歴史と作り方!江戸時代より愛されてきた香りの秘密を動画で紹介!
グルメ- 20 回再生
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吉野杉の香りを楽しむ菊正宗の「樽酒」の歴史と作り方 この動画は、菊正宗の樽酒の歴史や、樽作りの工程を説明をしている動画です。 日本酒が大きく広まった江戸時代、酒は樽に入れ、樽廻船と呼ばれる船で江戸へと運ばれていました。 上方から運ばれ「下り酒」として人気を博した灘の酒は、樽の中で自然と「杉の香り」がついた酒となっていったのです。 動画では、樽作りの工程を詳しく説明しています。 日本を代表する杉野産地、奈良県の吉野杉で作った樽に生酛造りの辛口の日本酒を注いで作った菊正宗の樽酒。 一度この香りを味わってみてください。 【公式ホームページ】菊正宗 https://www.kikumasamune.co.jp/ -
動画記事 6:09
歴史ある日本の芸術品「京都一筆龍」に感動!職人の匠の技によって一筆で描かれた迫力ある龍は見とれてしまう美しさ!
伝統文化 歴史- 397 回再生
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日本伝統の芸術「京都一筆龍」の動画について 「一筆龍 京都 桜凜堂」が制作する「京都一筆龍 【春夏秋冬】Hitohuderyu」では、日本伝統の芸術である京都一筆龍を職人が作っている映像をご覧になることができる動画です。 あっという間に美しい美術品が出来あがっていく日本の職人の技法にビックリするはず。 日本らしい雅な作品の京都一筆龍は、とても魅力のあるアートです! この記事では、日本伝統の芸術である京都一筆龍の魅力を解説しています。 職人の手仕事による美しい芸術品・美術品の制作工程を動画でお楽しみください。 日本伝統の芸術・京都一筆龍とは? 画像引用 :YouTube screenshot 日本伝統の芸術である京都一筆龍は、その名の通り龍の胴体の部分を一筆で描くことで、「人との縁をつなぐ」「ご縁が途切れない」「仕事やお金が途切れない」と言われ、人間関係や商売にご利益のある縁起物になっています。 歴史・起源は古く、江戸時代には、招福や家内安全、厄払いとしても重宝されていました。 昔の縁日では、一筆龍のヘビバージョンの「一筆蛇」というものがありました。 昔から日本で龍は、日本列島が龍の形であるといわれ、五穀豊穣の神として神社仏閣に祀られてきた神聖なもの。 京都にある桜凜堂の一筆龍は、「昇り龍」は大願成就祈願、「下向きの龍」は守護祈願として真心込めて描かれています。 動画の5:17でご覧になれる龍が手にしている「如意宝珠(にょいほうじゅ)」は、人々の願いを叶えて、幸福をもたらしてくれるといわれています。 日本全国にいる京都一筆龍の書き手を一筆龍絵師といいます。 現在は、こちらの動画で紹介されている手島啓輔氏の作品が人気で、とても高い評価を受けています。 こちらの動画では、0:05より手島啓輔氏が一筆龍を書いていく映像を見ることができますよ。 とても高い技術や、技法を見ることができるので必見。 また、手島啓輔氏のYoutubeへ投稿した動画がきっかけに、京都一筆龍の海外での注目も高まります。 2014年にはアメリカでパフォーマンスを行い、高い評価を受けています。 動画で見ることができる手島啓輔氏がアトリエで描く、一筆龍の技術や作り方、工程は必見です! 動画で紹介されている「京都一筆龍」の書き方・生産工程 画像引用 :YouTube screenshot 京都一筆龍は胴体だけが、動画の0:05や2:02、3:39、4:44からご覧になれるように、太筆を使用して一筆で大胆に描かれ、頭部や如意宝珠などの細部は4:38からのように細筆で詳細に書かれています。 龍はまず、頭部から描かれ太筆で一気に書き上げます。 現在に受け継がれた一筆龍は、非常にカラフルなのも特徴で動画では、0:05からは赤、2:02からは青、3:39からは金色、4:44からは白を基調とした龍が描かれています。 龍が書き終わると、動画の1:00からご覧になれるように、粉を振るなどの特殊な工法で背景を描いています。 カラフルな龍は黒い画材の上で、今にも動き出しそうな迫力のある作品となっています。 日本伝統の芸術「京都一筆龍」が購入できる場所 画像出典 :京都一筆龍公式サイト 一筆龍には、日本伝統の「京都一筆龍」の他に、日光市の「晄秋家一筆龍」、「日光一筆龍 高瀬」があります。 その他にも、「お守り一筆龍」や「中国一筆龍」などが人気。 購入方法は通販の場合、一筆龍のオフィシャルサイトや楽天、Amazonから注文しましょう。 フルオーダーの場合は、京都一筆龍のオフィシャルサイトに載っている電話番号から依頼できます。桜凜堂では京都一筆龍をその場で描きあげる実演販売もしています。 それぞれの種類やサイズによって値段が変わってきます。 日本伝統の芸術品を手に入れれば、部屋の雰囲気が和風にガラリと変わるはずです! また、縁起物なので、お祝いのプレゼントや贈呈品にも非常に喜ばれるかと思います。 日本伝統の芸術「京都一筆龍」の記事のまとめ 「一筆龍 京都 桜凜堂」が制作する「京都一筆龍 【春夏秋冬】Hitohuderyu」は、日本の伝統文化である京都一筆龍を描いている映像を見ることができます。 とても美しい作品が出来あがる風景に見入ってしまうはず!芸術が好きな人には必見の動画です。 日本伝統の芸術である京都一筆龍。 日本らしい芸術の魅力を堪能しましょう! 【公式ホームページ】京都一筆龍 | 一筆龍絵師 手島啓輔 https://www.onestrokedragon.com/ -
動画記事 1:00
東京の歴史をポップな動画で紐解く!東京の生活スタイルは日々進化し、東京独特の文化は世界を魅了する!
生活・ビジネス- 32 回再生
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東京の昔と今を比較する動画をご紹介! こちらの動画は「Tokyo Tokyo」が公開した「[Tokyo Tokyo Concept Video] Old meets New - Full version」です。 動画では東京の昔と現在の文化を比較するコミカルに紹介しています。 1分間の動画の中には、日本の歴史的文化や現在のポップカルチャー、サブカルチャーといったたくさんの要素が詰め込まれています。 日本文化に興味をもつ方は、ぜひ動画を見ながら、昔と現在の東京をじっくり比べてみましょう。 動画で紹介されている、江戸時代の歴史や文化の情報に注目! 写真:富嶽三十六景のイメージ 江戸時代に幕府が置かれた歴史をもつ東京では、日本独自の文化が次々に花開きました。 着物や伝統工芸、歌舞伎や能、華道や茶道といった伝統芸能などは長い歴史を超えて愛されます。 また、寿司をはじめとした日本食は、江戸時代の庶民に好まれる歴史的なグルメとして大いに発展しました。 江戸時代の美術といえばやはり浮世絵や日本画です。 独特のタッチで描かれる日本の絵画は、現在でも多くの歴史ファンや美術ファンに注目されています。 動画で紹介されている現在の東京の文化にはどんなものがある? 写真:コスプレ 長い歴史を経て、現在の東京では新しい日本文化が次々に生まれています。 特に注目すべきは、ポップカルチャーやサブカルチャーと呼ばれる、若者を中心として発展する日本文化。 テレビゲームや特撮映画、アイドルやコスプレのイベントなど、東京ならではの興味深い文化は、国内だけでなく国外からも熱い視線が注がれています。 動画では0:12より剣道と現代のテレビゲーム、0:24から招き猫とキティちゃん、怪獣と巨大ロボ、浮世絵と初音ミク、能ときゃりーぱみゅぱみゅ等、過去と現代文化が比較され紹介されています。 動画では、現在の東京で食べるべきおすすめグルメも紹介されています。 動画の0:10よりおにぎりと現在のキャラ弁、そばとつけ麺、そして人気の和食・日本食の寿司。 東京都内には絶品のラーメンをいただける名店がたくさんあるので、お気に入りのお店を探してみるのがおすすめです。 ほかにも、原宿などの観光地で食べられる、わたあめやタピオカドリンクといった人気グルメもチェックしておきたいですね。 東京の昔と現在を比較する動画のまとめ 写真:東京下町を上から 今回は、東京の歴史を紐解く興味深い動画をご紹介しました。 昔と現在の日本では生活スタイルや文化がガラリと変わり、一昔前では考えられなかったような独特の文化が生まれ続けています。 歴史とともに文化は進化していくもの。 今後も東京というスポットには次々に新しい文化が花開いていくことでしょう。 -
動画記事 16:00
長野県の中央に位置する長和町で信州を代表する高原を満喫!自然と歴史が調和する街で体験と感動を味わう!
地域PR 観光・旅行- 39 回再生
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日本の人気観光地長野県長和町とは こちらで紹介する動画は「長和町公式チャンネル」が公開した「長和町観光PRビデオ」です。 長野県長和町は美ヶ原・霧ケ峰高原と接し、高原からの絶景だけでなく山岳部から平野部へと流れる二つの川が織りなす景観が必見の観光名所です。 四季折々の大自然が織りなすさまざまな景色を堪能することができるのですが、特に本沢渓谷や不動滝は紅葉の名所として毎年数多くの観光客が訪れます。 江戸時代には中山道の宿場町として栄えた長和町は古き良き日本の景勝が残る美しい里です。 信州の大自然の息吹を感じる美しい動画をお楽しみください。 長野県長和町の観光エリアとイベント情報 ・長久保宿歴史資料館一福処濱屋 ・和田宿歴史の道資料館「かわちや」(国指定史跡) ・和田宿資料館「大黒屋」(国指定史跡) ・和田宿本陣(国指定史跡) ・黒曜の水 など長野県長和町にはおすすめのインスタ映えスポットがいっぱい! 大自然が織りなす絶景と心癒す景観は動画でもお楽しみいただけます。 こんな自然豊かな長和町には体験型イベントも目白押し! ・中央分水嶺トレイル ・そば打ち体験 ・立岩和紙の里での紙すき体験 ・大山獅子祭り など季節ごとにいろいろなイベントがあなたを待っています。 日本一長寿と言われる長野県のご当地グルメ情報 長野県は日本一長寿の県としても知られています。 そんな長野県長和町のご当地グルメといえばそばにおやき、そして牧場で取れた新鮮な乳製品を使った料理やスイーツ、川魚や山菜などの山の幸です。 史跡やハイキングコースを巡ったら美味しい長和町ご当地グルメを堪能してください。 国道には道の駅もあり施設内のレストランは連日多くの観光客で賑わっています。 日本のかくれた景観地長野県長和町周辺のホテル・宿泊情報 風光明媚な観光地、また夏でも涼しい気候なので避暑地としても人気の高い長和町周辺にはペンションや民宿がたくさんあります。 長野県は日本でも有数の温泉地でもあるので、旅行の疲れを温泉でゆっくりと癒してくださいね。 長和町のホテルや宿泊施設情報は長和町観光協会の公式ホームページで確認できます。 日本の四季折々の豊かな景色が楽しめる長野県長和町へのアクセス 感動と体験の町、長和町へのアクセスは次の通りです。 -電車利用の場合- ・北陸新幹線上田駅下車→路線バス約50分「長和町(長久保宿)」 ・中央本線茅野駅→路線バス約45分「長和町(長久保宿)」 -車を利用する場合- ・上越自動車道(中部横断自動車道)佐久南ICより約40分 日本の人気観光地!体験と感動の長野県長和町についてのまとめ 長野県長和町の星糞峠周辺は邪馬台国や黒曜石の採掘場、鷹山遺跡など悠久の時を感じる原始のロマンや土器を展示している史跡公園があり、江戸時代には旧中山道の宿場町として栄えた歴史のあるエリアです。 さらに日本アルプスの自然豊かな景観は日本の原風景としていつまでも心に焼きつくことでしょう。 そんな魅力溢れる長和町の四季折々の風景と歴史文化の足跡を辿る旅を紹介する動画をお楽しみください。 -
動画記事 4:04
日本の伝統文化である茶道に欠かせない茶道具「茶筌」ってどんなもの?500年の歴史を持つ伝統工芸品「高山茶筌(たかやまちゃせん)」の特徴や歴史を紹介
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「高山茶筌(たかやまちゃせん)」紹介動画について こちらは、日本の伝統工芸品を紹介する「伝統工芸青山スクエア」による、高山茶筌の紹介動画です。 写真:茶筌 日本独自の文化として知られる茶道では、抹茶を点てるために茶筌を使います。 高山茶筌は竹を材料とし、職人の手技によって1つ1つ作られる伝統工芸品。 そんな高山茶筌の魅力や生産工程について動画とともに詳しくご紹介いたします。 伝統文化「茶道」に使われる高山茶筌とは 画像引用 :YouTube screenshot 日本には、長い歴史を持つ伝統工芸品が数多く存在しています。 その種類は漆器や陶磁器、仏壇や織物、和紙や人形細工、竹工や木工などさまざま。そして、茶道に使われる茶道具も、文化的価値の高い伝統工芸品です。 日本伝統文化である喫茶の習慣は平安時代には既に始まっていたといいます。 鎌倉時代になると禅宗の僧である栄西によって日本に茶道が伝わります。 茶道に使われる茶筌(茶筅)の中でも高級な伝統工芸品である高山茶筌は、奈良県の生駒市高山町で作られています。 伝統工芸品「高山茶筌」の歴史や文化的価値 高山茶筌は、室町時代の中期頃から作られるようになりました。 茶筌を所望したのは、侘茶(わびちゃ)の祖とされる村田珠光。 高山領主の子息である高山民部丞入道宗砌(たかやまみんぶのじょうにゅうどうそうせつ)は、この依頼を受けてとっておきの茶筌を作りました。 茶筌は後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)に献上され、愛用されたのだそうです。 江戸時代以降、高山茶筌の作り方は、跡継ぎにのみ伝えられる「一子相伝」の秘伝の手技とされてきました。しかし、のちに16名の弟子にその匠の技が伝えられることになります。 そして現在でも、奈良県高山の職人による手仕事として受け継がれています。 美術品としても愛される「高山茶筌」の特徴や製法 画像引用 :YouTube screenshot 高山茶筌の原料となる竹には淡竹、黒竹、煤竹などの種類があります。 これらの竹の先を何本にも割って補足削り、くるりと巻くようにして固定する技法で作品を仕上げていきます。 丹念に作られた高山茶筌はまさに芸術品です。 「高山茶筌」の工房での制作過程は動画内の0:29過ぎより詳しく紹介されていますので是非こちらをご覧ください。 伝統工芸品「高山茶筌」紹介動画記事まとめ 日本の伝統文化の「茶道」は日本の”わびさび”の心が知れると現在では海外の方にも非常に人気となっていますが、工房で作られるその道具ひとつひとつも伝統工芸品として非常に奥深いものであることがおわかりになられましたでしょうか。 この記事と動画を見て「茶道」と一緒に「高山茶筌」に興味を持っていただければ嬉しいです。 動画を発信している伝統工芸青山スクエアでは、高山茶筌をはじめとしたさまざまな商品を販売しています。 「日本伝統文化に触れたい」「茶の文化を体験してみたい」という方はぜひ伝統工芸品である高山茶筌を購入してみてはいかがでしょうか。 【公式ホームページ】伝統工芸青山スクエア https://kougeihin.jp/ -
動画記事 3:47
和歌山県にある和歌の浦は日本遺産にも選ばれた日本屈指の絶景スポット!日本の歴史で有名な偉人達も思わず詠ってしまう自然の景色に感動間違い無し!
地域PR 観光・旅行- 46 回再生
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和歌山県和歌山市にある和歌の浦の魅力を紹介 こちらで紹介する動画は「和歌山市公式チャンネル」が公開した「和歌山市日本遺産PR動画「絶景の宝庫 和歌の浦」」です。 和歌の浦(和歌浦)とは、和歌山県の北部にある和歌山市の南西部に位置する景勝地の総称で、和歌山市が和歌山県や海南市と共同で申請した絶景の宝庫として知られる国指定の名勝です。 平成29年度日本資産として文化庁に登録をされました。 正式名称はわかのうらですが、漢字的には『わかうら』と読めることから、地元住民は和歌の浦のことをわかうらと呼ぶことも。 こちらの記事では、そんな和歌の浦について動画に沿って紹介していきます。 和歌の浦の名称の由来 写真:和歌山県・和歌の浦の不老橋 和歌の浦は元々、若の浦と呼ばれ、聖武天皇が行幸の折に、お供をしていた山部赤人が『万葉集』巻六の919番歌に、「若浦爾 鹽滿來者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡 (若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る) 」と詠んでいます。 また、続日本記によれば、一帯は「弱浜(わかのはま)」と呼ばれていたが、聖武天皇が陽が差した景観の美しさから『明光浦(あかのうら)』と改めたとも記載されています。 和歌の浦の絶景観光スポット紹介 写真:和歌山県・玉津島神社 1、和歌の浦 動画の0:31からご覧になれる和歌の浦は、和歌川の河口に広がる干潟を中心に、南は熊野古道の藤白坂、西は金水道に面する雑賀崎の和歌浦湾を取り巻く景勝地のことを指します。 その景色の美しさに古くから多くの詩で詠われており、あの豊臣秀吉や紀州の歴代藩士にも愛され、数多くの文化芸術が育まれる場所となりました。 奈良時代には、潮の満ち引きによって刻一刻と情景に聖武天皇は心を打たれ、その景観を末永く守るよう命じたのも有名です。 和歌の浦の干潟を外界と隔てるように伸びる砂州は、有名な和歌に因んで『片男波』と呼ばれています。 2、玉津島神社 動画1:37でご覧になれるのが、和歌の干潟に向かって並ぶ玉津島にある玉津島神社。 ここは和歌の神様が祀られ、人々の信仰の対象となっています。 3、妹背山 動画の1:50からご覧になれる玉津島に連なる六つの岩山の先頭に当たる妹背山。 紀州藩初代藩士徳川頼信がその上に宝刀をたて、三断橋と観海閣を設けて、民衆に開放をしました。 写真:和歌山県・和歌浦天満宮 4、和歌浦天満宮 動画の2:12からご覧になれる入り江の最も奥にある天陳山に鎮座する和歌浦天満宮には、和歌浦一の鎮守であるに文芸の神様を祀っています。 5、紀州東照宮 天満宮の傍には、動画の2:26からご覧になれる徳川頼信の父である徳川家康を祀った紀州東照宮があります。 紀州東照宮では、毎年5月第2週日曜日に動画の2:46からご覧になれる和歌祭を開催しています。 およそ400年の歴史がある由緒正しい祭りとなっています。 6、鷹ノ巣・雑賀崎 荒々しさと美しさを備えた景色を見ることが出来ます。 潮の満ち引きによって刻一刻と変化し、一時として同じ景色は楽しめず、毎回新鮮な景色を楽しむことが出来ます。 和歌山県和歌山市の和歌の浦紹介まとめ 写真:和歌山県・和歌の浦の夕日 日本遺産にも選ばれた雄大で美しい自然の景色が魅力の和歌浦。 海外でも有名な観光スポットとして多くの日本人・外国人の方が訪れています。 ぜひ観光や旅行を計画される際には、ホテルや旅館を予約し。 1~3日程宿泊をして、ゆっくりと散策することをおすすめします。 辺りには温泉やカフェ等の体を休める施設もあれば、アクティビティを楽しめるスポットもあるので、是非あなたに合った楽しみ方を堪能してください。 【公式ホームページ】和歌山県和歌山市 市役所ホームページ http://www.city.wakayama.wakayama.jp/shisetsu/simadoguchi/1005300.html 【公式ホームページ】和歌山の浦観光協会 https://www.wakayamakanko.com/ -
動画記事 1:51
和歌山県高野山は建立1200年の歴史ある日本仏教の聖地!日本有数のパワースポットにはいくつも寺院や歴史的建造物がある見所がいっぱいの伝説の地だった。
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和歌山県高野山紹介動画について こちらの動画は「Hiraku KAWASHIMA」が制作した、世界遺産に登録されている真言密教の聖地高野山(こうやさん)を紹介した動画「聖地|和歌山県高野山 / Sacred place Koyasan, Wakayama」です。 和歌山県高野山は、今から約1200年前の平安時代の初め(西暦816年)に弘法大師空海によって開かれた日本仏教の聖地です。 この動画では高野山の見所ポイントを1分51秒間の映像に収めています。 一度は訪れてみたい高野山の観光スポットをまずは動画で堪能してください。 和歌山県高野山とは 写真:高野山檀上伽藍の蓮池 高野山とは、和歌山県北部の伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの地域のことです。 地名としての「高野山」は、今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山と呼ばれる8つの峰に囲まれた盆地状の平地の地域で、転軸山・楊柳山・摩尼山の三山を高野三山と呼ばれています。 この高野山は、弘法大師空海によって開かれた修禅の道場で日本仏教の聖地のひとつです。 現在は「壇上伽藍(だんじょうがらん)」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市となっています。 「奥之院」と並ぶ二大聖地のひとつの「壇上伽藍」は動画の0:27よりご覧になれます。 2004年に高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が和歌山県熊野本宮大社、奈良県吉野山、奈良県大峰山とともに、ユネスコの世界遺産に登録されました。 2016年には、高野参詣道として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に登録。 2015年には、開創1200年大法会が行われ、多くの参拝客が訪れました。 高野山では、年間を通して多くの行事がありますが、1200年もの間、毎日続けられている儀式が「生身供(しょうじんぐ)」です。これは御廟(霊の祀られている所)の空海に1日2回食事を届ける儀式です。 高野山は歴史溢れる観光スポットということで周辺には和菓子や、和食が楽しめるグルメスポットも多数あります。 また、高野山の敷地内には小学校・中学校・高等学校(高校)・大学などの教育施設もあります。 和歌山県高野山紹介動画の見所 写真:高野山金剛峯寺 この動画では高野山の敷地内にある見どころの施設・寺院を紹介しています。 全て高野山真言宗 総本山金剛峯寺の境内となっています。 金剛峯寺の拝観料は一般500円、小学生200円(※2019年11月現在)です。 ・大門(動画:0:03~) 重要文化財に指定されており、高さ約25mもある巨大な建築物です。 動画ではライトアップされていて、大変艶やかに映し出されています。 ・壇上伽藍(動画:0:27~) 一般の寺院でいう本堂のことで国の史跡・世界遺産に登録されています。 ・根本大塔(動画:0:31~) 真言密教の根本道場のシンボルとして建てられた、高さ48.5mの日本で最初の多宝塔です。 動画ではタイムラプス映像により、夜空の下で輝く根本大塔がご覧になれます。 ・一の橋(動画:0:42~) ここ一の橋から弘法大師御廟まで約2㎞の参道が通ります。 ・清浄心院(動画:0:46~) 高野山別格本山清浄心院は空海によって建立され、後に平宗盛によって再建された宿坊・寺院です。 ・金剛峯寺(動画:0:50~) 高野山真言宗の総本山で高野山全体の宗務が行われています。国内最大級の石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」や狩野派の襖絵など見どころが多数あります。 ・奥の院(動画:0:53~) 参道には、皇室、公家、大名などの約20万墓が並び、戦国大名の6割以上の墓所があります。 高野山の七不思議と呼ばれる弥勒石(みくろいし)は心願成就の石として伝わり、触れるとご利益があると言い伝えられています。 四国八十八ヶ所の霊場を巡るお遍路を終えたご報告とお礼に、ここへお参りする「高野山お礼参り」という習わしがあります。 空海は入定から1200年経った今でも修行をしているという、ミイラ伝説(生き仏)もあるそうです。 ・水向け地蔵(水向地蔵)(動画:1:04~) 玉川のほとりに立ち並ぶ地蔵尊で、御供所で求めた経木を水を手向けて奉納し先祖の供養をします。 ・蓮池(動画:1:08~) 仏様が祀られていると言われています。 ・御廟橋(ごびょうばし・みみょうばし)(動画:1:22~) 弘法大師御廟(こうぼうたいしびょうしょ)に一番近い橋でこれより先は聖域であり、写真撮影は禁止となっています。 動画では紹介されていませんが、他にも「奥之院参道」「金堂(こんどう)」「御影堂(みえどう)」「御社(みやしろ)」「嘗試地蔵(あべじぞう)」「戦国武将の供養塔」「徳川家霊台」「金剛三昧院(こんごうさんまいいん)」「高野山霊宝館」「苅萱堂」「一乗院」「企業慰霊碑」観賢が建立した「宝亀院」があります。 御朱印を貰えるスポットもありますよ。 和歌山県高野山紹介まとめ 写真:巡礼 こちらの聖地「高野山」の紹介記事はいかがでしたか。 動画では聖地「高野山」の魅力いっぱいの映像が紹介されています。 ここ聖地「高野山」は日本有数の強力な気を発するパワースポットとしても人気の観光スポットです。 動画からもパワーが貰えるかも!? 高野山では宿坊に泊まったり、御本尊の前で読経や礼拝のお勤めをする勤行体験、宗教行事や瞑想体験ができたり、写経、御詠歌、華道などの講座もあるので、高野山の伝統を身近に感じることができます。 ◆高野山概要情報◆ 【住所】金剛峯寺 〒648-0294 和歌山県伊都郡高野町大字高野山132 【交通アクセス】 ・電車:南海高野線 極楽橋駅下車、南海高野山ケーブルで高野山駅から徒歩。 ・車:大阪中心部より約2時間、最寄りの高速道路出口「阪和自動車道 和歌山IC、及び南阪奈道路 羽曳野IC」 【入館料金】金剛峯寺 一般:500円/小学生:200円(※2019年12月時点) 【拝観時間】金剛峯寺 8:30~17:00 【定休日】無休 【駐車場】近隣に駐車場は多数ありますが、週末は非常に混雑しますのでご注意ください。 【電話番号】金剛峯寺 0736-56-2011 【公式ホームページ】高野山を巡る | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺 http://www.koyasan.or.jp/meguru/ 【トリップアドバイザー】高野山 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1121341-d1028543-Reviews-Mt_Koya-Koya_cho_Ito_gun_Wakayama_Prefecture_Kinki.html -
動画記事 3:26
100年前の日本人の服装、カラー化高画質動画で見る大正時代のまばゆい笑顔
歴史 生活・ビジネス- 177 回再生
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100年前の日本【大正時代】人々の笑顔の動画紹介 画像引用 :YouTube screenshot 今回は、『笑顔のおっさんチャンネル A Smiley Daddy's Channel』さん制作の『100年前の日本人の笑顔【カラー化・高画質化】』という動画を紹介します。 動画で使用されているのは、約100年前の1914(大正3)~1918(大正7)年にかけて、製材機を日本に売りに来ていたアメリカ人、エルストナー・ヒルトン氏が撮影したものです。 この頃は、世界では第1次世界大戦が勃発しており戦火の中にありました。日本はその戦争景気に湧き、大正ロマンを謳歌している時代です。 そんな最中の日本人の笑顔の写真をカラー化・高画質化した動画をまずはご覧ください。 はじけるような笑顔を見せる大正時代の人々 画像引用 :YouTube screenshot 動画で登場するのは、第1次世界大戦と重なった時代を生きていた人々。今人気の「鬼滅の刃」の時代設定と同じ頃です。戦争の時代を生きる人々だからこそ、その笑顔はとても強くて印象深く感じますね。 動画には、様々な写真がカラー化されて映し出されます。次からは、その中でも印象的な写真を見ていきましょう。 普段着で作業や仕事をする大正時代の人々 画像引用 :YouTube screenshot わらじ作りや畑を耕す姿、米の収穫や籾の選別といった大正時代で働く男性や女性を映した写真の数々。野良着といわれる着物や、たすき掛けやもんぺをはくことで動きやすい服装に。 【動画】0:37~ わら三角帽子で畑を耕す男性 この時代に働く女性の多くは、手ぬぐいを頬被り(ほっかむり)にしていますね。 【動画】0:42~ 着物にほっかむりをした農家の女性 【動画】1:31~ たすき掛けをした着物で茶摘みのような姿の女性 【動画】2:43~ 籾の選別をする少女たち 夏には、半袖の着物を着ている姿が映しだされています。 【動画】2:25~ 夏の半袖の着物の女性、麦わら帽子と半ズボンの男性 花売りという写真には、2人の可愛い子供と花売りの男性が写っています。当時はこのように花を売り歩いていたこともわかりますね。 【動画】2:48~ 手押し車で売る花屋の男性と着物の子供たち 【動画】2:55~ カゴを持ち、着物にもんぺ姿の女性 行事やイベントでお出かけ着の女性や男性の服装 画像引用 :YouTube screenshot 新年の装いなどには、独身女性の正装とされる振袖姿、日本髪には髪飾りも。男性は羽織袴に山高帽やハンチングを被っています。 【動画】0:02~ 振袖姿の少女 【動画】0:07~ 新年の装い、振袖に日本髪の女性 【動画】0:48~ お茶会での女性の着物姿 何かを食べながら、楽しそうな若い女性たち。縦縞などの小紋の着物に、首元にはなぜか手ぬぐいをかけています。この頃の流行りなのでしょうか。 【動画】0:55~ 日本髪に髪飾り、首には手ぬぐいをかけたおシャレな女性たち 【動画】1:00~ 女性は髪飾り、男性は帽子が特徴のグループ写真 大正時代の子供の服装 画像引用 :YouTube screenshot いつの時代も子供の笑顔は素敵ですね。動画に登場する大正時代の子供たちの服装に注目してみましょう。 男の子は、絣の着物に草履をはいた姿が多く、着物を汚さないようにエプロン(前掛け)をしている子も。絣の着物や小紋でしょうか、着物と同柄の羽織りも着ている女の子も見られます。 【動画】0:15~ わらじ作りをする男性のそばに、絣の着物を着た女の子 【動画】0:21~ 男の子は着物にエプロン、女の子着物 【動画】1:13~ 仲良しの男の子たちの着物姿 【動画】1:26~ ツツジの前で着物姿の女の子 さまざまなシーンの服装、祭り・雨の日・夏・風呂 画像引用 :YouTube screenshot 雨の日の服装という写真は、当時の生活風景が分かる一枚。男性はこの時代でも蓑を使っていたことがわかります。 祭りで三味線を抱えて微笑む女性、片袖をぬいで少しくずして着物を着る姿が印象的です。解放感があるお祭りの雰囲気が伝わりますね。 【動画】1:19~ 三味線を持ち祭りに参加する女性 【動画】1:37~ 雨の日の服装、蓑を着る男性と傘をさす女性 【動画】2:13~ 夏の縁側で半袖の着物を着た女性 【動画】3:01~ 木桶風呂につかる女性 白黒の写真が美しい色彩でよみがえるカラー化技術 画像引用 :YouTube screenshot 動画内で紹介された写真は、白黒写真が使用されています。その白黒写真を、自然な発色の色彩写真に変換する技術によりカラー化されています。 このカラー化の技術は、早稲田大学理工学術院の石川博教授、飯塚里志研究院助教、シモセラ・エドガー研究院助教らの研究によって確立されました。この技術は、ディープラーニングと呼ばれるAI(人工知能)技術を応用したもので、対象の画像に自動着色を施すことでカラー化。白黒写真の他、様々な画像に自然な色付けが実現、彩色結果はユーザーのテストにおいて「約90%の色付け結果が自然である」という評価を受けているほどです。 これまでは、フィルムにカラー化を施したり、白黒写真に手作業で色をつけていたため、費用も決して安くはありませんでした。しかし現在は、この技術の開発により、インターネット上で無料配信されているアプリを利用し、白黒写真を撮影またはアップロードするだけでカラー化をすることが可能になっています。 100年前の日本人の服装と笑顔のまとめ 画像引用 :YouTube screenshot 100年前に撮影されたとは思えないほど美しい色彩が浮かび上がり、見る人の目を楽しませてくれます。カラー化技術は、古い写真を色鮮やかなものへと変換してくれる素晴らしい技術。古い家族写真や歴史的な写真も生き生きと蘇らせることができます。 100年前、大正時代を生きた日本人の笑顔がカラー化によって、まるで現代に生きる人々のかと錯覚するほど生き生きと写し出されています。カラーになると、服装の華やかさも増しますね。皆さんがお持ちの思い出の写真も、お手軽にカラー化することができるので、一度試してみてはいかがでしょうか。 -
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戦後75年の今でも戦争の傷跡が多く残る東京都の「硫黄島」。太平洋戦争の激戦地は当時の悲惨な状況を現在に伝える。
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硫黄島の戦跡を紹介する動画について こちらの動画は「時事通信トレンドニュース」が制作した「硫黄島の戦跡を巡る=灼熱の地下壕、集団埋葬地」です。 第二次世界大戦は日本に数多くの傷跡を残しました。 しかし、戦後多くの史実が捻じ曲げられて伝えられることもあり、未だ太平洋戦争のそして旧日本軍の本当の姿を知らない方も多くいます。 硫黄島に残された痛ましい戦跡もその一つ…。 昭和の頃は日本唯一の本土決戦の地は沖縄だと教えられてきました。 しかし、沖縄よりも前に激しい陸戦が行われたのが太平洋に位置する小笠原諸島の周囲12kmしかない小さな硫黄島でした。 この硫黄島には戦前は多くの民間人が住んでいましたが、戦争によって硫黄島は稀に見る激戦地となり、本土引き上げが間に合わなかった民間人と栗林忠道中将を中心とする守備隊の多くは戦死したのです。 渡辺謙、嵐の二宮和也が出演した映画「硫黄島からの手紙」は硫黄島の激戦を伝える数少ない映画の一つです。 こちらの記事では現在の硫黄島を紹介している動画に沿って、硫黄島の歴史を紹介します。 硫黄島とは?硫黄島上陸計画は日本本土攻略の要石だった? 写真:硫黄島 硫黄島とは東京都小笠原村の一つ。 東京23区内からはおよそ1,200kmに位置する小さな火山列島で今も噴火を繰り返しています。 動画の冒頭0:06からは硫黄島の北部にある米軍が制作した壁画をご覧になれます。 硫黄島に上陸した海兵隊員が擂鉢山に星条旗立てる有名な場面がモチーフとされていますが、この人達だけがヒーロー扱いされていたことに憤慨しこの壁画に米軍が銃弾を撃ち込んだそうです。 動画では戦跡として、動画の1:45からは被弾して抉れた(えぐれた)砲身を晒すアームストロング砲や不発弾、動画の3:33からは米軍が廃棄したシャーマン戦車の残骸など生々しい戦跡が映し出されています。 画像引用 :YouTube screenshot アメリカ軍による硫黄島上陸計画はデタッチメント作戦と呼ばれました。 開戦当初から日本軍と連合国軍の兵力は歴然とした差がありました。 これに対し、旧日本軍は動画の1:16からご覧になれるような地下壕に潜伏し、ゲリラ戦法で戦力差を補いつつ戦いました。 しかし、活火山である硫黄島の地熱は高く、地下壕は灼熱地獄の様相を呈していたと言われています。 動画でも0:40頃から病院として使われていた戦跡の一つ、海軍医務科壕の奥に入ると地下熱でカメラのレンズが一瞬で曇ることからも、いかに過酷な状態であったのかが伺えます。 また海底火山から出る有毒ガスが突撃壕に充満し、危険な状態での防衛戦術だったと伝えられています。 旧日本軍はアメリカ軍と硫黄島の自然環境の二重の苦難にさらされながら、3日でケリがつくといわれていた硫黄島の戦いを約1ヶ月も粘り抜いたのです。 これだけの時間を硫黄島に費やしたことは、アメリカ軍にとって硫黄島が日本本土攻略においての重要拠点であったかということを物語っています。 今に残る硫黄島の戦跡を巡る見学会 写真:硫黄島 現在は観光で一般人が硫黄島を訪れることはできませんが、年に1度だけ硫黄島3島の戦跡を巡る見学会が催行されています。 公開されているのは集団埋葬地、戦後米国のプロパガンダに使われ生き残りの米兵が銃弾を打ち込んだと言われている壁画、大阪山砲台、遺骨収容場などの戦跡です。 それ以外の時期は海上自衛隊が駐屯し、訓練と遺骨収集を行っているので立ち入り禁止区域になっています。 硫黄島の戦跡を紹介する動画のまとめ 画像引用 :YouTube screenshot 戦後日本はアメリカ軍の統治下におかれ、自治を回復するまで硫黄島は日本人が足を踏み入れることのできない戦跡になりました。 生き残った島民は故郷を追われ、全国に散り散りになり今も硫黄島には年に1回しか帰省することができません。 動画の2:14からご覧になれるようにアメリカが公開した公式文書には2,000名の遺骨が遺骨収容場所に埋葬したと記載されていますが、未だ60%以上の戦没者が硫黄島に眠っているのです。 戦争という悲劇を繰り返さないために、現在も残る傷跡から日本の歴史を学んでください。 【トリップアドバイザー】硫黄島 https://www.tripadvisor.jp/Tourism-g1137885-Iwo_Jima_Tokyo_Prefecture_Kanto-Vacations.html -
動画記事 8:38
再現VTRで縄文時代の生活が丸わかり!!遺跡から出土した石器、土器・・・現在に残された遺物から縄文人の生活を解き明かす!
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日本で生活していた縄文人の生活再現動画について 美しい神社、趣のある風景、おいしいグルメなど、日本らしい特徴のあるものを目当てに、さまざまな観光客が日本に訪れています。 日本人からしても、京都や奈良の歴史ある建物や、寿司やそばといった美味しい食べ物はとても魅力ですよね。 ただ、今回はそういった王道の日本の楽しみ方ではなく、日本の時代区分のひとつである縄文時代に生きた縄文人の生活を学べる少しマニアックな穴場スポットをおすすめします。 この記事では、縄文人の生活を学べる井戸尻考古館や、縄文時代の生活を動画に沿って紹介します。 「日本の歴史」縄文人とは?当時の生活の特徴とは? 画像引用 :YouTube screenshot 縄文人は、日本列島の時代区分のひとつ、今から約1万6,000年前から約3,000年前の縄文時代に、北海道から沖縄の日本全土で生活をしていた人々です。 世界史では、中石器時代、及び新石器時代に相当する時代です。 縄文人は、生き延びるためにさまざまな工夫をして生活していた人々。 弥生時代、そして現代へと受け継がれてきた道具や物を発明し、暮らしを楽にしていたのです。 例えば、弓を作ったのも縄文時代で、遠くから狩りができるようになりました。 また、石器や土器を発明し、食べ物を調理したり、保管ができるようになりました。 竪穴住居をつくり、一ヶ所に定住しはじめ、村ができたのもこの時期。 このように、さまざまな知恵で生活をよりよくするために工夫していたのが、縄文人です。 縄文人の生活や文化を学べる井戸尻考古館とは 画像引用 :YouTube screenshot 動画の0:27よりご覧になれる長野県にある井戸尻考古館は、縄文人の生活や文化を学べる施設です。 土器を初め、縄文時代の生活を物語る資料がたくさん展示されています。 土器や石器は縄文時代の年代別ごとに展示されており、それぞれの用途なども書かれています。 さらに、縄文人が住んでいた住居や、食生活、服装などを再現したコーナーも見学できるので当時の暮らしを想像して楽しめます。 また、土器や石器の文様から解読した当時の宗教や神話などを学べる場所もあり、歴史好きには必見。 動画の0:38からご覧になれる井戸尻文化の遺跡で数多く見つかっている石鍬(いしくわ)。 およそ4,500年前に、この石の鍬で畑を耕す農耕民族となりました。 春には粟やきび、夏にはそばを蒔いていたようです。 こちらは動画の1:02からの当時の再現映像でご覧になることができます。 ここ井戸尻考古館では、夏の畑の雑草を取り除く除草具も多数展示されています。 画像引用 :YouTube screenshot 動画の2:10からご覧になれる秋の雑穀の収穫には、石包丁を使用していました。 脱穀した穀物は石臼で殻を取り除き、土器で粥に調理され、家族揃って竪穴式住居で食事をします。 縄文人は粥だけではなく、川魚や山菜、クルミ、団子なども口にしていました。 こちらも動画内の再現VTRでご覧になれます。 これらの調理道具などに使用されていた縄文土器の作り方は動画の4:59よりご覧になれます。 まずは、粘土をこねて砂を混ぜて生地を作り、生地を帯のようにして、隙間が出来ないように積み上げ模様を付けます。 半月から一か月から十分に乾燥させてから、たき火で焼きあげます。 では石器はどのように作られたのでしょうか? こちらは動画の6:23よりご覧になれます。 楕円形の扁平な石を大きな石に打ちつけて薄いかけらを割りとり、石の鍬で成型しています。 当時の鍬などの石器は、現代の鍬と変わらぬ形をしています。 他にも、井戸尻文化の遺跡は女性の首飾りなども、出土されています。 動画では弓で動物を射る様子もご覧になれます。 井戸尻考古館は、日本のルーツや縄文人の生活を学べる興味深いスポットです。 縄文人の当時の生活を再現した動画紹介まとめ 画像引用 :YouTube screenshot こちらの記事で紹介した「IDOJIRIKOUKOKAN」が制作した、縄文人の生活を再現した動画は日本の歴史を知りたい方にはおすすめの一本です。 鍬や斧といった道具の使い方や、穀物の扱い方などの再現VTRは、当時の日本の生活がわかりやすく紹介されています。 日本の縄文時代の有名な遺跡は、三内丸山遺跡(青森県)、亀ヶ岡遺跡(青森県)、大森貝塚遺跡(東京都)、加曾利貝塚(千葉県)、菜畑遺跡(佐賀県)などがあります。 こちらの動画をご覧になって、縄文時代に興味を持たれた方はこれらの遺跡にも足を運んでみてはいかがですか。 【公式ホームページ】井戸尻考古館ホームページ http://userweb.alles.or.jp/fujimi/idojiri.html -
動画記事 4:06
今なお人気を集める幕末の志士、坂本龍馬の生涯に迫る!坂本龍馬の生い立ちや活動内容を知れる貴重な展示品を一挙紹介!
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坂本龍馬展の情報動画をご紹介! 今回ご紹介するのは「時事通信トレンドニュース」が公開した動画「暗殺の様子再現、坂本龍馬展=初公開の手紙など70点披露、人斬り以蔵の拳銃も」です。 こちらの動画では、ホテル雅叙園東京(東京都目黒区)で2017年に開催された「土佐から来たぜよ!坂本龍馬展」の様子が収められています。 このイベント「土佐から来たぜよ!坂本龍馬展」では、坂本龍馬の愛刀や手紙といった遺品がたっぷりと紹介されており、幕末ファン必見の内容となっています。 動画で紹介されている坂本龍馬とは? 画像引用 :YouTube screenshot 坂本龍馬は江戸幕府末期に活躍した土佐藩郷士。 本名を坂本直柔(なおなり)といい、誕生日は1836年1月3日。 脱藩後には志士として活動し、勝海舟と師弟関係を結び、亀山社中(のちの海援隊)を結成しました。 坂本龍馬のエピソードとしては、間一髪で難を逃れた寺田屋事件や、薩摩藩と長州藩の間を坂本龍馬が取り持った薩長同盟がよく知られます。 坂本龍馬の生涯は、「龍馬伝」をはじめ多くの大河ドラマで再現されています。 また、近年では幕末を題材にした歴史ドラマ「仁」も人気を集めました。 動画で紹介されている「土佐から来たぜよ!坂本龍馬展」とは? 画像引用 :YouTube screenshot 動画で紹介されている「土佐から来たぜよ!坂本龍馬展」は、2017年に高知県にある坂本龍馬記念館の改装工事期間中に、収蔵品を東京会場に移して展示しました。 東京都有形文化財「百段階段」に展示されたのは、坂本龍馬愛用の脇差しや、土佐藩・後藤象二郎に宛てた書簡「越行の記」など。 また、姉の乙女が締めた帯、人斬り以蔵の異名をもつ岡田以蔵の拳銃なども紹介されています。 ほかにも、動画には坂本龍馬写真のガラス湿版、龍馬書簡、姉・乙女宛「ねぶとの手紙」、下関海戦図、薩長同盟裏書き、年表などが公開され、注目を集めました。 これらの展示品の数々は動画の0:14よりご覧になることができます。 動画には坂本龍馬の暗殺の様子も再現されている! 動画の2:47からの「サラバ、龍馬」では、坂本龍馬の暗殺の経緯を知ることができます。 坂本龍馬が免許皆伝した北辰一刀流を現代に受け継ぐ「北辰一刀流・玄武館」が監修した、京都・近江屋における暗殺シーンは迫力満点。 坂本龍馬が中岡慎太郎や山田藤吉とともに京都見廻組に襲われる様子を、影絵映像や音で体感できます。 坂本龍馬の紹介動画まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 今回は、幕末志士・坂本龍馬について詳しくご紹介いたしました。 動画にあるような坂本龍馬の貴重な遺品は、現在は高知県坂本龍馬記念館でご覧になることができますよ。 日本の歴史の中でも、幕末時代は特にドラマティック。 現在も多くのファンを魅了する坂本龍馬について、ぜひもう一度動画をご覧になり詳しくチェックしてみてくださいね。 【公式ホームページ】高知県立坂本龍馬記念館 https://ryoma-kinenkan.jp/ 【トリップアドバイザー】高知県立坂本龍馬記念館 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298234-d1818581-Reviews-The_Sakamoto_Ryoma_Memorial_Museum-Kochi_Kochi_Prefecture_Shikoku.html -
動画記事 1:16
日本の宇宙開発は1955年に開発されたわずか20cmの小型のペンシルロケットから始まった!爆発的なスピードで進歩した日本の宇宙開発技術は世界を引っ張る!
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60年以上に及ぶJAXAの宇宙開発の歴史 こちらで紹介されている動画は「JAXA | 宇宙航空研究開発機構」が公開した「JAXA-日本の宇宙開発史ハイライト- | The History of Japanese Space Exploration」です。 多くの方がそれぞれの思いを馳せる星空…、人は太古から空を見上げ生活の知恵として生かしてきました。 日本でも古くから陰陽道は星の動きを読み、吉凶を占って政治の中枢で活躍していた時代があったのです。 まさに星と人とは切っても切れない縁があるのです。 欧米に比べ日本の宇宙開発は遅れていると勘違いされがちですが、実は日本はすでに60年以上の年月を宇宙開発に捧げ、今では世界でもトップレベルの実績を持っている国なのです。 日本の宇宙開発の中心を担うのがJAXAです。 今回はJAXAが紡いできた宇宙開発の歴史について動画で紹介いたします。 動画で紹介されているJAXAの宇宙開発の歴史とは 写真:月面着陸 JAXAは2003年に宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)の3つの機関が統合して種子島宇宙センターに誕生した日本の宇宙開発の中核組織です。 前身である3つの組織はいずれも民間の宇宙開発機関だったのですが、JAXAとして生まれ変わった後は日本政府の宇宙開発研究を支える中核的機関になりました。 最新の日本製宇宙探査機は世界でもトップクラスの技術を有しています。 ここで輝かしい成果を歴史に残したJAXAの功績のいくつかをご紹介します。 ・2007年 月周回衛星かぐやによる世界初のハイビジョン月面撮影成功(動画:0:47〜) ・2009年ISS日本実験棟きぼうの完成(動画:0:53〜) ・2010年惑星探索機「はやぶさ」が地球帰還。小惑星の地表サンプル回収成功(動画:0:58〜) ・2019年観測用ロケット「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへのタッチダウン成功(動画:1:00〜) JAXAが誕生してから今日までの17年という短期間で数多くの偉業を成し遂げてきたのです。 JAXA誕生以前の日本の宇宙開発の歴史の幕開け 画像引用 :YouTube screenshot 日本の宇宙開発は動画の冒頭でも紹介されているように、1955年ペンシルロケットと呼ばれる超小型ロケットの開発で幕を開けます。 戦後わずか10年で、すでに国内の復興と宇宙開発に着手していたのです。 そして、1970年には日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功。 1985年には「すいせい」でハレー彗星の観測、1992年毛利衛氏がスペースシャトルで日本人初の有人宇宙飛行に成功、1994年国産大型ロケットH-Ⅱの打ち上げ成功など、JAXAが誕生する以前からいくつもの偉大な歴史を残しているのです。 JAXAと日本の宇宙開発の歴史の紹介まとめ 写真:ロケット 実は日本の宇宙開発は1955年のペンシル発射実験の時点から世界では大きな注目を集めていたと言われています。 ペンシルロケットは非常に小型なためベビー型という愛称があり、S型、T型、R型という3つのタイプが開発されました。 この時のペンシルロケットはすでに音速に近い速度を出しており、軌道データなどがその後のカッパ型ロケットに活かされました。 当時、日本では達成不可能と言われていた高度100kmを超える観測ロケット開発を国産技術だけでやってのけたのです。 米ソという宇宙開発大国の影で目立たない存在でしたが、日本の技術力の確かさは他の国のロケット開発にも導入されてきた歴史があるのです。 特に「はやぶさ」に搭載されていた最新のエンジン技術や、遠隔操作技術はこれからの宇宙開発の歴史にとって、大きな財産になることでしょう。 【公式ホームページ】JAXA|宇宙航空研究開発機構 https://www.jaxa.jp/ -
動画記事 13:17
親日国トルコとの友情は和歌山県から生まれた!エルトゥールル号海難事故から130年経った現在でも深い交流は続く!
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エルトゥールル号遭難事故とは 今回ご紹介する動画は「WakayamaPref」が公開した、日本から8,700km離れた親日国トルコとの絆を結んだエルトゥールル号を紹介した「日本トルコ 時を越える絆 ~エルトゥールル号が繋ぐ友好の物語~」です。 東ヨーロッパと西アジアにまたがるトルコは親日国として有名ですが、その歴史は今から130年前の日本の本州最南端である和歌山県串本町にある大島で起きた、エルトゥールル号の遭難事故から始まりました。 トルコ軍艦が1890年9月にトルコへの帰国の途中で台風により船甲羅という岩礁に衝突し、樫野崎沖に沈没しました。 地元住民がこのとき海難事故にあったトルコ人船員を救出作業したことからトルコとの友好が始まったのです。 エルトゥールル号を救った串本町 画像引用 :YouTube screenshot トルコのエルトゥールル号救出活動にあたった人たちの住む集落は和歌山県串本町の樫野地区の方々です。 当時、通報を受けた住民らは、救助と介抱をおこないました。 こちらは動画の1:26より詳しく紹介されていています。 決して豊かではなかった時代に、台風で漁に出られず蓄えも少ない中、衣類や食料をトルコ人たちに提供しました。 当時おにぎりを提供したとされる入れ物の「もろぶた」も残されています。 こちらは動画の2:43からご覧なれるエルトゥールル号の救出にあたった住民の息子さんへのインタビュー内で紹介されています。 イランイラク戦争と親日の歴史 1985年に起きたイラク戦争のさなかにイラン・テヘラン在留邦人救出がおこなわれました。 イランの首都テヘランに取り残された日本人215人をトルコ政府が派遣したトルコ航空機によって救難活動されたというものです。 この事件も親日のトルコとの絆によって起きたエルトゥールル号救出恩返しと言えます。 今も続くエルトゥールル号遭難事故への慰霊祭 写真:トルコ記念館 動画の5:33からご覧になれるように、エルトゥールル号遭難事故の翌年から住民らによる慰霊祭が行われ、以来途切れることなく交流が受け継がれ、現在も5年ごとにトルコとの合同慰霊祭を行っています。 式典に向けて和歌山県串本町では街を上げて準備をしました。 また、6:49からご覧になれるように2015年にトルコ記念館がリニューアルオープンし、新たに遺品発掘調査で発見された遺品展開催がされました。 当時のエルトゥールル号は木造であったため、船内にあった遺品はすべて海に沈みました。 これらの遺品調査が2008年から続けられています。 多くの調査を繰り返し、これまでトルコと日本あわせて7箇所で遺品の展覧会を行っています。 動画の9:04からご覧になれる2015年の発掘調査では当時船が遭難した樫野崎沖で作業をおこない、51回の潜水で311点もの遺品を見つけることができました。 エルトゥールルリサーチセンターでこれらの遺品が調査され、地元の子どもたちも保存作業を協力しています。 画像引用 :YouTube screenshot 島唯一の大島小学校では総合の時間で親日国トルコと日本の交流について学びます。 トルコのあいさつをする様子が動画の7:34からご覧になるができます。 また、親日家であるトルコ人が串本町の役場で働く様子は7:50よりご覧になれます。 8:16から紹介されているのは親日友好の証として串本町が開発したのが「エルトゥールル」という名前のバラです。 トルコの親日の歴史を知れるエルトゥールル号紹介まとめ 写真:トルコ軍艦遭難慰霊碑 動画でご覧になれるように和歌山県串本町トルコ文化協会では、民族舞踊や言葉の勉強、親日であるトルコ人との交流などの活動をおこなっています。 日本とトルコの友好125周年を記念して映画「海難1890」も公開されました。 小説や本も多数出版されています。 四季折々の風景や世界遺産である高野山と熊野がある和歌山で新日交流を築いたエルトゥールル号の奇跡と日土国交の歴史を学んでみてください! -
動画記事 6:42
幕末・江戸時代の伝説のサムライたちの姿が収めた貴重な映像!多くの外国人の心を引き付ける侍文化を堪能する!
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こちらの動画は「マジ話チャンネル」が公開した「【驚愕】発見された「日本最後の侍」の写真が凄すぎる!嘘のような本当の写真 江戸時代 幕末 伝説のサムライたちがヤバイ」です。 日本に写真の技術が持ち込まれたのは江戸時代末期のことです。 なんと日本には、明治維新の時期から明治期にかけて撮影された侍の写真が残されているのです。 動画で紹介されている写真を撮影したのは、フェリーチェ・ベアトや日下部金兵衛といった写真技術者たち。 彼らは、現在の日本には存在していないかつての侍の姿を、写真として残していました。 動画の3:33には人気志士の坂本龍馬を撮影した写真も紹介されています。 ぜひ動画を見て、日本の侍ならではのかっこいい衣装を堪能しましょう。 -
動画記事 15:03
日本の歴代の天皇全125代をご紹介します。2019年に「令和」の時代が始まり、日本は新たな時代の幕開けとなった。
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こちらの動画は「Yasaka Hastur」さんが公開した「歴代天皇125代.」です。 「歴代天皇125代.」の動画は、日本の歴代天皇を約15分で紹介する動画です。 初代神武天皇から、現在は上皇陛下となられた125代天皇(動画は2012年制作なので今上天皇として紹介)までを、肖像と実名、即位期間とともに紹介します。 令和になった現在は、126代今上天皇が即位されています。 動画を視聴すると、歴代天皇の長い歴史を静かに感じることができるでしょう。 14:00からは上皇陛下と皇族の方たちの写真も紹介されます。 -
動画記事 2:36
日本最古級の前方後円墳「箸墓古墳」の謎に迫る!奈良県桜井市にある箸墓古墳は卑弥呼の墓なのか!?名前の由来は?最新技術で古代の謎を解き明かす!
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奈良県桜井市にある箸墓古墳の紹介動画について こちらの動画は「読売新聞オンライン動画」が制作した『史書を訪ねて 「日本書記」 奈良・箸墓古墳』です。 奈良県にある日本最古級の古墳「箸墓古墳(はしはかこふん)」を紹介しています。 箸墓古墳は全長200mを超える巨大古墳の撥型の前方後円墳で、ドローンを使用した空撮で、草木に覆われ森となった古墳周辺の全体像をご覧になることができます。 箸墓古墳は、弥生時代から古墳時代にあたる3世紀後半に造られたとされ、日本書紀に登場する「倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまととひももそひめのみことおおいちのはか)」として宮内庁が管理します。 そのため古墳内部に立ち入ることができません。 緑に覆われる箸墓古墳は、史跡名勝天然記念物に指定されているほか、周濠は「ため池百選」に選定されています。 この動画で謎の多い箸墓古墳の雰囲気をぜひ感じてみてください。 奈良にある最古級前方後円墳・箸墓古墳とは 画像引用 :YouTube screenshot 奈良県桜井市にある箸墓古墳は、日本書紀が描く「倭迹迹日百襲姫命」の墓といわれています。 夫が蛇であったことに驚いて、腰を付いた時に局部に箸が刺さって死んだという伝説がこの墓の名前の由来・理由となっています。 「倭迹迹日百襲姫命」は、魏志倭人伝などの文献に記されている邪馬台国の女王「卑弥呼」と相通じるものがあるといわれ、箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないかとする研究者もいて、大和王権の誕生と箸墓古墳の位置づけをめぐって論争にもなっています。 動画の0:54からご覧になれるように、奈良県桜井市の博物館「市立埋蔵文化センター」には、箸墓古墳周辺で発掘された板状の「芝山の石」が保管されています。 「芝山の石」は石室の築造につかわれたとみられており、箸墓古墳から西に約18キロ離れた大阪府柏原市の玄武岩とされています。 ほかにも多くの土器や木製品などの出土品も確認されています。 奈良・箸墓古墳のミューオン調査について 画像引用 :YouTube screenshot 過去に何度か宮内庁の許可を得て、考古・歴史研究者などによる箸墓古墳の立ち入り調査がおこなわれているものの箸墓古墳の謎は解明されていません。 2012年にはヘリコプターに搭載した3次元航空レーザー計測がおこなわれ詳しい遺影が判明しました。 また、2020年1月に箸墓古墳を研究する橿原考古学研究所が物質を透過する「ミューオン」と言われる素粒子を利用して、宮内庁の敷地外から内部構造を調査すると発表しました。 今後の調査結果の発表で、箸墓古墳の解明につながるかが注目されています。 長年の調査により箸墓古墳は盗賊の侵入による盗掘で掘り起こされた痕跡のない日本でも珍しい古墳であるともいわれています。 奈良県桜井市・箸墓古墳まとめ 写真:桜井線 こちらの記事では、箸墓古墳についてご紹介しました。 奈良県桜井市箸中の箸墓古墳を中心に纒向古墳群があり、箸墓古墳とセットで観光するのもおすすめです。 箸墓古墳への交通アクセスは、JR桜井線巻向駅から徒歩15分。 駐車場もあります。 本当に卑弥呼の墓なのか?壮大な古代のロマンに浸ってみてはいかがでしょうか。 【公式ホームページ】奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/ -
動画記事 4:03
100年以上前の東京ではどのような生活を過ごしていた?大正時代の東京の貴重な映像が発見された!?
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100年以上前の東京の姿を映した貴重な映像を紹介! 今回、紹介する動画は「Final A」さんが公開した「東京の昔の映像 (音声あり)」です。 みなさんは昔の東京の生活をご覧になってみたいと思ったことはありませんか? 学校の授業で教科書の写真を見たり、学んだことがあるけど、実際どのような生活をしていたのか映像で見た人は少ないと思います。 こちらで紹介する動画では1913~1915年頃(大正2~4年)の東京の様子が映し出されています。 とても貴重な映像をお楽しみください。 約100年前の東京ではどんな生活を送っていたのか? 画像引用 :YouTube screenshot こちらで紹介する映像では多くの人が着物に袴で街を歩いている様子が映し出されています。 動画では0:04からご覧になれます。 また2:59からは子供が毬で遊んでいる様子も。 当時の日本で毬は一般的な遊び道具であり多くの子供たちが日々遊んでいました。 服装も現代とは違い、和服が主流となっているのがわかるでしょう。 街にはまきや炭に「あんどん」があり、夜はそれらを使い街を照らしていました。 当時の東京の人口は約300万人。 日本全体でも5000万人程となっていて現在の日本の半分くらいの人口だと言えるでしょう。 動画の2:42からご覧になれる浅草寺の映像では昔から東京浅草は多くの人で賑わっていたことがわかりますね。 「昔の東京の映像」で映し出されている1913~1915年に起こった出来事とは? 画像引用 :YouTube screenshot 大正時代は15年間と短い時代区分ですが関東大震災があったことで有名です。 しかし、それ以外にも多くの出来事が起こりました。 特に有名な出来事としては第一次世界大戦が始まったのが1913年です。 1914年は日本初の百貨店、三越呉服店(現日本橋三越本店)が新装開店し、今ではおなじみのライオンの石像、エスカレーター・エレベーターも大きな話題となりました。 おもちゃ産業や商品開発などが盛んになり、近代化の始まりとなった頃です。 また、東京駅が開業したのも1914年。 多くの列車が東京を行き来し、駅構内は混雑していたことでしょう。 東京の歴史は? 画像引用 :YouTube screenshot 東京都の前にあった東京府誕生が1886年(明治元年)です。 そこから動画で紹介されている大正期に入り全国から人口流入が起こってきます。 明治時代に入り、農業中心から工業中心となり大正デモクラシーなど日本を始め、東京が大きく変わった時代です。 動画では人力車などで東京を移動する人も多く映されていますが、次第に自動車や電車といった交通手段へ変わっていきます。 当時は東京の水も綺麗で井戸も多くありました。 昔の東京を紹介した動画のまとめ 昔の東京の姿を見て、懐かしく思ったご年配の方の中もいらっしゃるのではないでしょうか。昔の映像は日本の歴史を知る中で興味深いものだと感じた人も多いでしょう。 もし、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒にこの動画を見たら何か面白い話が聞けたりするかもしれませんよ。 -
動画記事 6:00
鹿児島県の上甑島で7000万年前の巨大草食恐竜の化石を発見!!いったいどんな恐竜が日本にいたの!?化石の島として有名になった甑島の発掘風景、調査風景を紹介!
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鹿児島県の甑島で発見された恐竜の化石についての動画をご紹介! 今回ご紹介するのは「甑島の海辺で恐竜の化石発見! 日本財団 海と日本PROJECT in 鹿児島 2018 #09」という動画です。 国立科学博物館と鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市は、市内の甑島(こしきしま)で貴重な長さ70センチの大きな化石が発見されたことを発表しました。 動画の0:54にもあるように、鹿児島県下甑島の甑ミュージアム恐竜化石等準備室のスタッフの三宅優佳さんは、貴重な化石の発掘に驚きつつも、とても喜んでいます。 いったい何の化石が見つかったのでしょうか? 動画で紹介されている鹿児島県の甑島は深い歴史をもつ観光スポット! 画像引用 :YouTube screenshot 甑島は鹿児島県薩摩川内市の西側、東シナ海に浮かぶ列島で、海面から切り立った高さ200メートルの断崖絶壁がそびえる自然豊かなスポットです。 上甑島、中甑島、下甑島といくつもの無人島から成る甑島列島には、太古の歴史ロマンが眠っています。 動画の冒頭に映っている崖の地層はなんと白亜紀から古第三紀頃に形成され、島内最古の地層はなんと約8000万年前のものなのです。 動画で紹介されている、鹿児島県甑島の恐竜の化石とは? 画像引用 :YouTube screenshot 甑島は、恐竜の化石が相次いで発掘される地として注目を集めています。 薩摩川内市と熊本大学の合同研究チームが2016年に発見した長さ70センチの化石は、過去最大の大きさでした。 発見した化石と熊本大学大学院先端科学研究部の小松俊文准教授のインタビューは動画の1:20からご覧になれます。 他の調査メンバーの驚きの声も動画でご覧になれます。 動画で紹介されている恐竜研究の詳しい内容についてご紹介! 画像引用 :YouTube screenshot 動画の3:36からは、日本で初・アジアで3例目の2012年に発見された草食恐竜の仲間ケラトプス類の化石についても紹介されています。 また、鹿児島県甑島の姫裏層群(ひめのうらそうぐん)からは、肉食恐竜の歯や肋骨、角竜類恐竜の歯根の一部、アンモナイトや爬虫類の化石なども発見されました。 動画の3:58からは、持ち帰った恐竜の化石のクリーニング作業の様子も映されているので、ぜひチェックしてみましょう。 あまりの大きさに驚き、また、楽しみもあるとクリーニングの担当者は語ります。 発見から1年半経ちこの大きな化石のことがだんだんとわかってきました。 発見された化石は7000万年前の草食恐竜の仲間であるハドロサウルス類の大腿骨とわかりました。 ハドロサウルス類は白亜紀後期にアジアや北アメリカで繁栄した草食恐竜で大腿骨からの大きさから体長10メートル以上あったことが推定されます。 ハドロサウルス類の復元図は動画の5:07よりご覧になれます。 鹿児島県甑島で発見された恐竜の化石に関する動画まとめ 画像引用 :YouTube screenshot 今回見つかった恐竜の化石は、恐竜の絶滅期に近い時期のものと推定され、恐竜絶滅の謎を解き明かす重要な資料になると期待されています。 太古の昔に存在したという恐竜についてはまだまだ謎が多いもの。 これからも多くの研究者によって、恐竜の化石に関するさらなる研究が進んでいくことでしょう。 動画で紹介されている甑ミュージアム恐竜化石等準備室では恐竜の化石の展示のほか、恐竜化石発掘体験ツアーのイベントなども開催しているので、興味がある方はぜひ観光に出かけてみてくださいね。 【公式ホームページ】こしきしま観光局 甑島の旅・甑島の観光なら、こしきしま観光局 https://satsumasendai.gr.jp/koshiki-sight-seeing/